チンクエチェント博物館 博物館通信カーくる版
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2011年7月5日
プチ東京観光?、、食べ歩き?、、or 打合せ? その1 。
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昨日はボンジョルノ西川さんと品川で打合せた後、ASA Club Giappone & Club ABARTH(仮称)の会長の◯ズミさんと浅草で待ち合わせ、打合せを兼ねてもんじゃ焼きをごちそうしてもらいました。
上:浅草の駅をおりると、最近ちまたで人気な634mと大きなタワーが目に入りました。
このタワーのおかげでこの界隈の観光客が増えているそうです。
中:定番の大きい提灯のミーティングポイントで待ち合わせで地元の人のスペシャルなお店に連れてってもらいました。
お寺の参拝はそっちのけで、、、。
下:もんじゃ焼きのお店で「染太郎」、かなりの老舗な感じです。
次回に続きます。
記事 ASA Club Giappone & Club ABARTH(仮称)事務局 & チンクエチェント博物館 代表 伊藤 as kingpin
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2011年7月4日
走る宝石、ASA1000GT、、、写真集、、その1 。
witten by チンクエチェント博物館
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自分自身で勝手にその存在の美しさから「走る宝石」と呼んでいるASA1000GT、先週の土曜日、モーニングを楽しんだ後、チッタナポリにあるチンクエチェント博物館に行きました。
有料道路を走ると名古屋市内の博物館・事務室より55kmに位置して、そこまで行くのに信号は4つしかありません。
つまり田舎です。
チッタナポリ(
http://www.citta.co.jp/
)は海洋系ウォーターフロントリゾートと言うだけあってけっこうセレブっぽい雰囲気のある施設です。
「走る宝石」をチッタナポリに持ち込み写真を撮りまくり、気がついたら380枚ほど撮ってました。
クルマに見惚れるという印象はしばらくなかったのでとっても新鮮でした。
このASAでも細かいシルエットを見ると直したい部分がいっぱいあるんですが、天気のいい日にリゾートでクルマを眺めていると、そんなちっぽけなことにこだわっている自分がちょっと恥ずかしい気分になります。
写真を紹介させてもらいますね、、、。
ASA Club Giappone 事務局 伊藤 as kingpin
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2011年7月1日
今後の「トリコローレ」のプチ説明
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このトリコローレは今後、富士カームだけでなく、愛知や関西でも開催を予定しています。
これも今後のチンクエチェント博物館の「移動博物館」構想の活動の一つです。
愛知は2005年に愛・地球博が開催されたモリコロパーク(
http://www.aichi-toshi.or.jp/park/park
(HP)/morikoro/index.html、ミラフィオーリと同じ会場)、関西は和歌山/滋賀/奈良/京都/大阪/岡山/広島/四国くらいからでも参加が可能な兵庫県、神戸市の神戸市立森林植物園(
http://www.kobe-park.or.jp/shinrin/
)を予定しています。
どの会場もなかなか使用許可がおりない会場なので、とってもスペシャルです。
今年は11月に関西を開催、来年は春に愛知で開催予定です。
それに伴い、今回からイベント名称を単に「トリコローレ」から「富士トリコローレ 2011」に変更します。
11月の関西は「関西トリコローレ 2011」で、10日くらいしたら開催地(神戸市立森林植物園)が正式に決定予定です。
画像:今後のトリコローレのステッカーです、、まだ最終決定ではありませんが、、。
今後、関東、中部、関西で開催する「トリコローレ」、楽しみにしていてください。
記事 代表 伊藤 as kingp
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2011年6月24日
結局、フェラリーナ好きだとやっとわかりました、、。
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フェラーリがイタリアを代表するスーパースポーツカーであるのは誰もが認めるところです(もちろん、私も認めています)。
しかし、イタリアの自動車の歴史を見ると、いろんな時代のエポックメーキング的なメーカーやクルマが活躍しました。
たとえば、世界で初めて開催された公道レースのスーサ・モンテネージオではフィアットが優勝、ドライバーはなんとランチアの創始者、ヴィンチェンツォ・ランチアさんです。
フィアットは1920年代前半のグランプリでサンビームとともに大活躍して歴史をつくりました。
1930年代はアルファロメオがグランプリで活躍しましたし、マセラティ兄弟の造ったマセラティも輝かしい歴史を誇っています。
つまり、今では一般的にフェラーリ=イタリアそのものみたいなニュアンスですが、フィアット、アルファロメオ、ランチア、マセラティも輝かしい栄光の時代もそれぞれ持っています。
そんな輝かしい時代に活躍したクルマはやはり魅力があり、興味をそそります。
私は元来、小さくて元気のいいクルマが好きなので、フィアットやアバルトに興味が向きました。
チンクエチェント博物館を開館した2001年からさかのぼって10年、多分1991年頃、博物館構想を思いつき、クルマの収集、レストアを10年かけて行いました。
そのレストアをプロデュースしてくれたイタリア人はチンクエチェントとフェラーリがとっても大好きな人間で、会う度に、いつか必ず、フェラーリに乗れと言ったものです。
信頼している人間の言葉なので、彼の紹介でフェラーリ512BBを購入し、それからフロント12気筒エンジンのデイトナ、328GTS、ディノ246GTと乗り継ぎました。
が、残念ながらどのクルマもしっくりきませんでした。
それらはアバルトのようなパンチのあるクルマではありませんでした(どのクルマも美しかったですが)。
そんな話を今は他界してしまったカーグラフィックの◯キノさんに話したら、伊藤さんにはASAがいいわよ、、と薦めてくれました。
私自身も、チシタリアか、OSCAか、ASAにいつか乗りたいとは思いましたが、なぜかASAは視野にありませんでした。
でもその言葉がきっかけでASAを集めはじめ、いろんなことがわかりました。
ASAはフェラリーナ、小さなフェラーリと呼ばれていました。
今、私の手元にあるASAは宝石のように輝いています。
ある意味、自分にとって理想のクルマを手に入れたという感覚です。
そうです、私は小さなフェラーリ(フェラリーナ)が好きだったんです。
このイタリアでフェラリーナと呼ばれたASA1000GTは今のフェラーリオーナーはもちろん、自動車業界でも忘れられた存在ですが、素晴らしい性能の持ち主ですし、なにせエンツォ・フェラーリが産みの親です。
そんな素晴らしい歴史を埋もれさせないためにも、博物館の中にASAのクラブ「ASA Club Giappone」をつくりました。
今は会長の◯ズミ氏と私の二人だけの何の活動もしていないクラブですが、このクルマがとんでもなく素晴らしいクルマであることは知っています。
今後いろんなイベントにASAをお披露目しようと思っています。
見かけたら声をかけてください。
日本には恐らく10台程度のASAが生息しているはずです(全世界の生産は100台程度です)。
なのでオーナーズクラブにしたらクラブ員が集まらないので、ASAが好きな人ならウエルカムなクラブにするつもりです。
つまりASAの存在を忘れないためのクラブです。
かわった主旨のクラブですが、そんなクラブがあってもいいと思って設立します。
上:クラブ員がたった二人で何の活動もしないASA Club Giapponeですが、プライドのクラブなのでまず暫定的にロゴマークを創りました。
ちょっとうれしいです。
中:これがASA1000GT、、、私の宝石です。
そうです、、私はフェラリーナ(小さなフェラーリ)が好きだったんです。
私の好きなフェラーリはフェラーリのラインナップにないのは皮肉ですが、、、。
下:アバルトも695トリブートフェラーリとしてフェラリーナを見事に造ってくれました。
小さくて元気なクルマは今のアバルトに生きています。
だからそれに敬意を評してアバルトのクラブ「クラブ アバルト(仮称)」を同じ博物館内に立ち上げます。
こちらは新旧でいろんなアバルトがいるので、積極的に活動するつもりです。
現在、クラブのロゴ製作中です。
アバルト・デイズをミュゼオ御殿場(元フェラーリ美術館)で開催するのもフェラーリにトリブート(献身する)意味も含めています。
記事 代表 伊藤 as kingpin
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2011年6月24日
別に怪しい者ではありません、、、。
witten by チンクエチェント博物館
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チンクエチェント博物館の代表の伊藤 精朗(セイロウと読みます)です。
「移動博物館」構想が始まった今年から、いろんな方にお会いする機会がとても多くなりました。
本来、自分の性格は引きこもりなネクラなオタク系なので、人と接するのは今でもとても苦手なのです。
自分が好きなチンクエチェントやフィアット、イタリア車の話なら人との交流もある程度平気なので、今は少し自分自身も変容しつつあり、明るいオタクといったところでしょうか、、!?
初対面の方から、「伊藤さんは何をされている人ですか、、?」等の質問がとっても多く、自分自身も興味のあるイタリア車の話しかしないものだから、結構不思議がられているようです。
本人はまったく気にしていませんが、隠すようなことではないので、恥ずかしながら、今日は伊藤の職業紹介をさせていただきます。
一日の内のかなりの時間を博物館の「移動博物館」構想(イベントが中心)に費やしていますが、日本のプリント生地をアメリカ、ハワイに輸出するのが伊藤が専門性を持ってしている仕事です。
プリントの柄はイタリアのデザイナーのものが多いので、こんなところもイタリア繋がりですが、主にレーヨンやコットンの生地にプリントしてそれをハワイに輸出しています。
ハワイの会社でJAMS WORLDというブランドで全米中に販売しています(伊藤はそのブランドの生地担当です)。
そんな訳で、伊藤にも職業があります。
皆さん、安心されましたか、、?
画像:これは今年の秋冬用(といってもリゾートウエアだからいつも春夏モノみたいですが、、)の展示会のご案内カードです。
日本でもインポーターさんがいます。
こんなリゾートウエアに興味があれば↓を検索してください。
http://jamsworld.com/
アロハ&チャオ
記事 代表 伊藤 as kingpin
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チンクエチェント博物館は、クラシックFIAT500と向き合ってきた活動の軌跡として、ここに残しています。 現在の取り組みは、「PICCOLA RINASCITA(小さな再生)」という考え方のもと、かた...
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