皆さんこんばんは~
この高遠城址公園にあったお城とは一体どんなお城だったのでしょう。
高遠城は三峰川と藤沢川に浸食された河岸段丘上の突端に建設されました。
この丘は河川から80mの高さにあり、一般的には平山城と言われています。
この地は古から諏訪氏の勢力圏にあり、南北朝の頃からその支配下にある高遠氏により治められてきました。
しかし1532~1555年の天文年間には、軍事的な要所として武田信玄が侵略しその軍門に下りました。
天文16年・1947年に、信玄は山本勘助に命じて拡張改築を行っていますが、その後の江戸時代の大改修によりその実体はわかっていません。
信玄の支配は35年続き南信州の重要な拠点として、城主は代々信玄の近親者が務めました。
天正10年・1582年の仁科五郎盛信の織田軍との戦いぶりは後世まで語り継がれており、彼の流した血がコヒガンザクラの赤みになぞらえられています。
さてさて屋台の集まる二の丸を通り過ぎ、一旦南ゲートの外に出ました。
一枚目の写真はわかりづらいですが桜越しの高遠湖の様子です。
そして城内に戻り白兔橋から中央アルプスを望みます♪
冠雪した山々とのコントラストは最高です。
次の写真は本丸から南曲輪の風景です。
本丸には現在は何も残っていませんが、唯一ご覧のように太鼓櫓が建てられています。
ただこの太鼓櫓も以前は登る事ができましたが 現在は閉鎖されていました。
最後に本丸からの中央アルプスの眺めと、拾い食いするみんちゃんです。
続く…