皆さんおはようございます。
名古屋駅前笹島交差点の南東の角を、南に少し下った所にこんな二つの石碑があるのをご存じでしょうか?
"めいちはし""明治三十三年二月"とそれぞれ刻まれています。
調べてみると明治橋(めいぢ(じ)ばし:ぢは古い読み仮名で、昔は橋の名前には川の水が濁らないようにと濁点を使わなかったようです)は、ここから写真の名鉄レジャックの南側の路地のところを、ガードの西側の小さなロータリーの所まで架っていた跨線橋だったようです。
明治橋は東海道線、中央線、関西線を跨いでいたんです。
明治34年3月31日に完成し、長さ八間一尺(約14.6メートル)、幅員四間(約7.2メートル)の立派な木造の橋であったようです。
明治43年、関西府県連合共進会を機会に豊国神社の社域が拡張され中村公園が整備されました。
明治橋から中村公園へ直通する道が開通したのは大正2年のことで、橋の上はますます混雑をきわめることになりました。
更に大正12年大須の旭遊郭が中村に移ったことにより、この道は四六時中人通りの絶えない道となりました。
ただ昭和12年の汎太平洋博覧会の開幕を期に名古屋駅は笹島から現在地に移り、それに伴い鉄道線路は高架式になり、明治橋はその役割を終え撤去されたそうです。
完成当時は橋の上から名古屋の街並みを見渡せたそうですが、今はその面影も偲べません。