別に大した内容じゃないです。ただ私がGTVを失った日(正確には、失うきっかけとなった日)は色々とあったので、ちょろっと書いてみようと思ったんです。
2008年4月20日
この日は、色々と凄い日でした。
この日、私にとっては初のアルファロメオだけの集団ミーティング。総勢30台以上のGTV他アルファロメオ達が長浜、そして奥琵琶湖に出現しました。
幽霊楽団。美しき歌声の車たちが、ある日突如集い現れ、一際美しいアンサンブルを奏で、そして幻の幽霊のごとく消える。私がいつかやりたいと思っているクラブチームの名前「幽霊楽団」の意味はこんなとこなんですが・・・このきっかけはこの日のアルファロメオ・ミーティングでアルファロメオ楽団の演奏に一番近くで触れ合い、感化されたことによります。初めて幽霊楽団という名前を使ったのもあの時でした。つい口をついて出た言葉だったんです。そういう名前の楽曲があるのを知ったのは、また後の話。
さて、まずこんな集会に参加できたことも一つ大きなニュースなのですが、実はアルファロメオ・ミーティング中、参加者の車が途中で突如ストールし、制御を失いガードレールや電柱、木と衝突し廃車になったんです。ドライバーは敬称でしたが、ある意味イタ車の怖さを垣間見た瞬間でした。それに付け加え、我がGTVはツーリング途中で煙を吹いていました。パワステ・オイル漏れだったのですが、熱いところに付いたんです。
そんなこんなで、事故がありましたが、他の皆さんには大きな事故も無く帰路に着きました。私も愛知組と途中まで併走し、愛知組もばらばらになった一宮。割り込みをしてきたAE86に我がGTVは突っ込み、お互い廃車。高速での事故で、相手は遠くに止め「逃げた」と勘違い。駆けつけた親父がそれで相手に殴りかかった・・・っていう事もありました。なんだかんだいつまでも心配されてるんですね、子供って。
まあ、その事故ってきた馬鹿と保険屋の馬鹿のせいで、保険代が降りるのに1年もの時間がかかったんですが。知り合いに運良く弁護士がいたので、任せたら1ヶ月で解決。弁護士すげえ。
話がそれました。あの日、私が事故処理を終え地元に帰り、深夜までやってるバイト先のラーメン屋で疲れ果てて飲んでいると、携帯に着信が。
私「ああ、Mか。こんな夜中にどうした?」
友人M「事故った!」
私「え!?(なぜ知ってるんだ?まだ言ってないのに)」
M「俺のBMWとセラがあぁぁぁぁあ!!」
私「え!?(混乱)」(彼はBMWとセラに乗っていた)
M「だから、俺のBMWとセラが事故ったんだよ!」
私「なんで自分の車同士で事故るんだよ!?」
M「BMWに乗って俺が自宅に帰る。セラは今日親父に貸してた、自宅を出発しようとしていた。んで、あの砂利の坂を俺
が上がっていき、セラが出てきたのに気づき止まってたら、そのまま結構な勢いでセラが正面から突っ込んでき
た」
私「マジか!?」
M「マジだ」
私「悲惨だな。で、状況は?」
M「多分両方廃車。でもって、家の中で親族同士だから保険が降りない」
私「・・・実は・・・まあいいや。暇か?」
M「暇」
私「飲むか?」
M「飲もう」
・・・と、友達も事故って廃車になってたという。しかも自分の車2台。こういうことってあるのですね。
因みに彼のBMW。本人が何度も危ないことするは、私がバックミラー取ってしまうわ、さらには一度私が運転している時にも事故の危機がありました。
結構な雨の日に普通(勿論法定速度内)に走っていたらパチ屋から車が飛び出してきたんです。「うぉお!」と言いながらフルブレーキにエンブレ。で、しかもそいつ、混乱して止まっている。当たり前ですが全く間に合いません。ABSも効きません(なぜだ?)。まっすぐでは避けきれず、そのまま駐車場に滑りながら突っ込み、なんと!駐車してる車と車の間のあいてる駐車場にそのままドリドリしながら半分横向きに滑り込んだ・・・と言う、ある意味凄いことがありました。9死に一生スペシャルです。いまだに、あれはどうやって考え操作したのか・・・不思議です。そこだけ聞くと「Canguro運転が上手い!」ってなりそうですが、私にそんな限界で車をコントロールする技術などありませんから、結局火事場の馬鹿力っていうか追い込まれた時のなんたらですね。人って凄いです。でも。あの時一番びびったのはMを含め同乗者でしょうけど。本当に漫画みたいに、同乗者ずっと叫びっぱなしだった。
なんか、あのBMWとは運命的ななにかがあったのかもしれません。
因みにそのBMW。古い型の320iクーペのATだったのですが・・・・こいつのエンジンと音、乗り味、ハンドリング・・・すべて凄かった。特にエンジンと音。排気量以上のトルクフルな感じです。馬力と言うよりトルク。でも、高回転も伸びるし、なによろ音がいい。やっぱエンジン屋ですね、BMWも。