私が参加させて頂いた、ヒューマニティー・ファースト(人間性が第一)は
震災3日後より現地に乗り込み、まだボランティアセンターが立ちあがって
ないとの理不尽な理由で受け入れを断られても尚、人道支援の立場から
炊き出しのボランティア活動を自力で行って来ていたそうです。
16年前の神戸の震災に始まり、中越地震ではミャンマーで凶弾に倒れた
戦争カメラマンの長井健司さんとともに活動をされた事もあるそうです。
画像中央は、パキスタン出身のリーダーと青年部長どちらもAさんです。
避難所の湊小学校では震災直後1500人の方が避難していて食料はおろか
飲料水は1.5リットルしかなかったと聞きました。画像は体育館ですが・・・
水はバスケットゴールのリングの上あたりまで達し、水位が下がった後も
ヘドロがひざ上まであったそうです。水位が下がるのに一晩中はかかり、
歩道橋の上や、野球のバックネットの上で一晩震えながら耐えた方もいた
そうです。折しも厳しい東北の3月、雪もチラつく中津波で濡れて冷えた体で
よく耐える事が出来たものだと、自分には想像もできない話に、返す言葉も
ありませんでした。。。
そんな壮絶な体験をしてきたにも関わらず、カメラを向けると素敵な笑顔で
応えてくれるお母さん達。 あまりにもその笑顔が美しいので、震災など
無かったかのようにすべては幻影だったのではないかと錯覚する程でした。
自分はボランティアで参加してはいましたが、支援している事は次第に忘れ
逆にその笑顔に癒され、そしてパワーを貰っていた様な気がしてなりません。
正に画像の大鍋で毎日カレーの炊き出しをしていた訳ですが、同じ釜の飯を
食べて、同じ時間・同じ空間を共有することにより家族の様な絆が生まれて
来たのかもしれません。それは自分にとってはとてもとても貴重な体験でした
今後もその恩返しではありませんが、可能な限り、色々と制約はありますが
石巻に行きたいと思っています。
写真家:加藤昌人さんの画像 ⇒ 石巻市立湊小学校避難所で
次回に、つづく・・・