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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

シェフのおまかせコース

アルフィスタならご存知のとおり、2020年はアルファロメオにとって110周年のアニバーサリーイヤーだった。これは、前身であるロンバルディア自動車製造有限会社(A.L.F.A.)が1910年に発足したことによる。

2020年、ミラノの北西アレーゼにある企業ミュージアム「アルファロメオ歴史博物館」は3月から新型コロナ対策の休業命令により休館していたが、6月末に土日限定で再開した。

アルファロメオの創立記念日である2020年6月24日には、記念イベントが開催された。こちらも安全対策としてリアル参加者と車両数は限定されたが、代わりにストリーミング放送でその模様がライブ配信された。

再開した博物館では、もうひとつ特別企画がスタートした。それが今回紹介するバックヤード・ツアーである。予約制で、約1時間半をかけて非公開の車両保管フロアをめぐる企画である。1976年の開館以来初の試みという。

まずは企画展「バックステージ」を見学して開始を待つ。こちらにも常設展にない幻のワンオフや、世に出なかった試作車・試作品が数々紹介されている。

ブースで異彩を放つオーブンは、第2次大戦末期、戦後事業を模索すべく疎開先であるオルタ湖畔の設計室で試作されたものだ。価格が定められ販売網まで構築されていたが、最終段階で発売に至らなかったという。熱源は電気とガス。今ふうにいえばハイブリッドだ。日本のいくつかの自動車メーカーも終戦直後、家庭用品を作って糊口をしのいでいたことは知られるが、さすがアルファロメオ。目指していたレヴェルが違う。

1983年にローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世がミラノを訪問した際に用いられた「アルファ6」も展示されている。

車体、ガラスともに厳重な防弾仕様が施されているのは、同教皇がその2年前から2回にわたって遭遇した暗殺未遂事件を念頭に置いたことは疑う余地がない。

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まずは企画展「バックステージ」から。第2次大戦末期、疎開先の設計室で開発されたオーブン。

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1959年に試作された「ジュリア」の公道試験車。アルファロメオと分からないようにカモフラージュされ、隣国の旧ユーゴスラビアでテストが行われた。


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1960年の試作車「ティーポ103“ピドッキオ”」は、横置エンジンの前輪駆動車。pidocchioとはイタリア語でシラミの意味で、デザイナーたちによってつけられた愛称であった。


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これは1972年「アルフェッタ」の機構説明に使われたもの。ショー会場でド・ディオン・アクスル、トランスアクスルなどが誇らしげに解説されていた風景が目に浮かぶ。


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1983年にローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世がミラノを訪問した際に用いられた「アルファ6」。

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ミラノ郊外バロッコのテストコースで使われていた「164 Q4」ベースの消防車仕様。

集合時間になると点呼のあと、普段は開放されていない階段に案内された。
ドアを開けた途端、迎えてくれたのは、赤いカバーが被(かぶ)せられた車たちだった。
保管庫に充てられた2フロアを合わせると、非公開車両の収蔵台数は150台以上になるという。




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カロッツェリア作品が並ぶ一角。一番手前は、イタルデザインによる1971年「カイマーノ」。攻撃的なスタイルだが、実は中身は「アルファスッド」である。左隣はザガートによる1983年「ゼータ6」。

スタッフのイレニアさんは、説明しながら次々とカバーを剥(は)いでゆく。
彼女の解説の内容は一般来場者だけなく、かなりのエンスージアストも飽きさせない。その口調からけっして丸暗記ではない。説明の合間に秘密は?と聞けば「パッシオーネ(情熱)です」と答えてくれた。FCAの人材選びは秀逸である。

1939年「6C 2500SSスパイダー・コルサ」は、あのベニート・ムッソリーニのお抱え運転手であったエルコレ・ボッラートが、トリポリのレースに駆ってでた車である。日本で菅首相を乗せて走るレクサスLS600hの運転手がル・マン24時間レースに出場するようなものと考えると、これは痛快である。

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1939年「6C 2500SSスパイダー・コルサ」


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アルファロメオといえば航空機エンジンが有名だが、その他の乗り物も。1920年の農業用トラクター(右)は2000台が造られた。1969年のパワーボート(左)は225.15km/hを記録した。

車両以外のさまざまな研究の軌跡も紹介された。1960年代にアルファロメオも研究していたロータリー・エンジンや、1980年代に着手したエンジンの総合電子制御システムは、その一例だ。後者は当時ミラノのタクシー1000台に搭載され、試験が実施された。


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名設計者カルロ・キティの考案によるレーシングカー用燃料タンク。消火剤を封入した弾性素材と組み合わせることにより、事故時の安全性を向上させた。




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開発時に、各種部品が収容できるかを検討するため作られたモックアップ。3Dプリンターが誕生するはるか前の職人芸である。


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世界のメーカーから夢の発動機と期待されていたロータリー・エンジン。アルファロメオも発明者であるドイツのヴァンケル博士からライセンスを取得し、1960年代半ばから開発に着手していた。


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1980年代に研究していたエンジンの総合電子制御システム。

かつてピニンファリーナ、ベルトーネ、イタルデザイン、そしてザガードなどがアルファロメオをベースに手掛け、ターンテーブル上でライトを浴びていたショーカーたちも静かに余生を過ごしている。いずれも往年のカロッツェリア・イタリアーナが、カーデザイン界を震撼させていた時代の名作たちだ。


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1971年ブリュッセル・ショーにピニンファリーナが展示した「33クーネオ」




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一角に置かれていたマケット。特徴的なウェッジと広いグラスエリアに目を引かれる。


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「SE048SP」。1990年代初頭にグループCレーシングカーとしてアバルトによって開発されながら、ついぞ実戦に参加することはなかった。


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アルファロメオ・デサインセンターとスイスのコーチビルダー「スバッロ」の協力により制作された2006年「ディーヴァ」。


この博物館のバックヤード・ツアーの嬉しさは、日常感が溢れていることである。
車両コンディションを維持すべく空調こそ効いているものの、ビジター用の順路が作ってあるわけではない。参加者は、ときに車と車の間の狭い隙間を抜けてゆく。
参考までに、写真撮影も自由だ。
一部の車の周囲には、いつのものか知れぬトロフィーや縮尺版クレイモデルが掃除されぬまま転がっている。
確認を経ていないので記すことは憚るが、「恐らくあの生産型のバリエーション案」と思われるものもある。ファンの目でしかわからない宝物も数々あるのだ。
解説ボードも、博物館のリニューアル前に使われていたものを片付けたままなので、近くにある車両と合致していない。
そこを巡るのは、ちょっとしたキュレーター感覚だ。
ヴェールがめくられ、ヒストリーが語られる車も、訪れてみないとどれかはわからない。
リストランテでいうところの“シェフのおまかせコース”だ。
とりあえず、2020年中は継続するとのこと。「期間限定メニュー」だとすると、これまたありがたみが増すのである。

アルファロメオ歴史博物館 Museo Storico Alfa Romeo-La macchina del tempo
Viale Alfa Romeo, Arese(Milano)ITALIA
開館日 2020年10月現在、土日のみ
時間 10:00~18:00 (入館は17:30まで)
一般12ユーロ
https://www.museoalfaromeo.com/it-it/Pages/MuseoStoricoAlfaRomeo.aspx

バックヤード・ツアー
完全予約制 土日のみ
6ユーロ(入館料別)
予約は上記サイトから


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「4C」の各国仕様の違いを解説するスタッフのイレニアさん。


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アルファロメオ歴史博物館のバックヤード・ツアーで。1991年ジュネーブで公開されたコンセプトカー「プロテオ」を紹介するスタッフのイレニアさん。
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

新型コロナウイルス感染対策として国境を封鎖していたイタリアが2020年6月15日、緩和措置としてEU(欧州連合)との自由往来を再開した。3月以来およそ3ヶ月ぶりの開放である。

その話題をオーリストリア・ウィーン在住の知人とメッセージングアプリで会話していると、やがてドイツ語とイタリア語の語感に違いに話が及んだ。
相手いわく「蝶はドイツ語でシュメッターリングSchmetterlingだが、イタリア語でそれを示すファルファッラfarfallaのほうが、よりフワフワした感じが想像できる」らしい。
幸い、蝶形のパスタはドイツでもファルファッレ(ファルファッラの複数形)と呼ぶが、万一シュメッターリングだったら、いくら茹でても固そうである。

たしかにそのとおりだ。逆に筆者が文房具店の親父だったら、同じボールペンでもイタリア語でビーロbiroというより、ドイツ語のク―ゲルシュライバーKugelschreiberというだけで3倍高く売れそうな気がする。

そこで世界各国・古今東西の自動車ネーミング(車名、バージョン名)を、筆者が思いつく範囲でリストアップし、自由な名称をつけて分類・分析したのが今回の企画である。

ついでにいえば昨今の自動車名は数字の羅列、もしくは数字とアルファベットの組み合わせが目立つ。言語によって異なった意味や、ときに猥褻なニュアンスになってしまったりするのは回避できるが、どこか味気ないと思うのは筆者だけか。
それでは始めよう。

1.ラテン憧れ系

イタリア、フランス、スペインの地名を関したモデルたちである。

<イタリアの地名>
大都市だけでなく、実はのどかな村や島の名前まで用いられているのが面白い。

ローマ、ポルトフィーノ、モデナ、マラネッロ、モンツァ(いずれもフェラーリ)
ステルヴィオ、イモラ(アルファ・ロメオ)
シエナ(フィアット)
エルバ(イノチェンティ)
カプリ、トリノ、グラン・トリノ(フォード/マーキュリー)
リヴィエラ(ビュイック)

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ポルトフィーノの村。

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シエナのカンポ広場を望む。

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トリノにおけるシンボル、旧サヴォイア家王宮。ここは統一イタリア王国最初の首都だった。


<スペインの地名>
トレド、イビザ、アルハンブラ、アロナなど(セアト)

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スペインのセアトはフォルクスワーゲン・グループの1ブランド。これはクロスオーバーのアロナ。シエナにて。

<フランス、モナコの地名>
ミュルザンヌ(ベントレー)
カマルグ(ロールス・ロイス)
モンテカルロ(シボレー)

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ル・マン24時間レース期間以外、ミュルザンヌはフランスのロワール流域サルト県の静かな村である。あのベントレーのモデル名になっているイメージは到底沸かない。

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カマルグは南フランスの湿地帯で、良質な海塩が生産されていることで知られる。



ということで、地名ではイタリアが最強である。さらに以下の例もある。

<単にイタリア語を用いたもの>
ビトゥルボ、クアトロポルテ(マセラーティ)
スーペルレッジェーラ(カロッツェリア・トゥリング)
クアトロヴァルヴォレ、セディチヴァルヴォレ(複数ブランド)

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カロッツェリア・トゥリングの「スーペルレッジェーラ」は、イタリア語で「超軽量」の意味。2014年コンコルソ・ヴィラ・デステにて。

いずれも「ツインターボ」「4ドア」「4」「超軽量」そして「4バルブ」「16バルブ」を意味するだけであるのに、国外でも浸透した。

なぜイタリア語名がここまでもてはやされるかを考えるには、歴史を振り返る必要がある。

その鍵は、かつてイタリア車の大得意先であったアメリカ合衆国だ。
同地では第二次大戦前までイタリアといえば芸術界を除き、一般には移民の一出身国に過ぎなかった。やがて戦後になると、米国人たちは強いドルを握りしめてイタリア観光を楽しむようになる。

そのイタリアは、外貨獲得のために多くの製品をアメリカはじめ世界に輸出した。それらのスタイリッシュなデザインは多くの人々を魅了し、イタリアのイメージ向上に繋がった。

いっぽうフォードがイタリア語名を好んだのは、ヘンリー・フォードⅡ世(1917-1987)が教養以上に個人的にイタリアファンだったことも多分に影響している。参考までに2番目の妻もイタリア人であったし、1970年代初頭にはカロッツェリアのギアおよびヴィニャーレをアレハンドロ・デ・トマゾから買収している。

今回挙げた車たちはずっと後年のものだが、かくしてイタリア語名は今日まで人々にとって心地よい響きになっている。イタリア中央統計局によれば、2018年の米国人来訪者数は約1454万人で、国・地域別ではドイツに次ぐ2位である。

2.スターウォーズ系

 

“ロケット”シリーズ/エンジン(オールズモビル)
トラバント(旧東ドイツ)
ギャラクシー(フォード)
コスモ(マツダ/ユーノス)
サターン(ゼネラル・モーターズ)

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旧東ドイツの国民車トラバント。2013年ポーランドのワルシャワにて撮影。

宇宙にあやかった名称の端緒は、1950年代の米ソによる宇宙開発競争であるのは明らかだ。
旧東ドイツの国民車トラバントもドイツ語で「人工衛星」を意味する。初代のデビュー年である1957年、ソヴィエトが世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功したのを記念したものだ。

“西側”であるアメリカ・フォードのギャラクシー(Galaxie)も、スペースエイジ前夜である1959年モデルイヤーに登場している。

宇宙開発競争が終わると、そうしたネーミングに夢を託すのは沈静化する。
それでも1995年、ヨーロッパ・フォードがGalaxyの綴りとともに今度はミニバンにその名称を復活させ、現在に至っているのが面白い。

3.コミュニスト系

紅旗(中国)
ザスタヴァ(旧ユーゴスラヴィア)

 

社会主義体制下で生まれたネーミングには、国威発揚を匂わせるものがみられる。紅旗はいうまでもなく、そのイデオロギーの象徴である「赤旗」、ザスタヴァも「旗」を意味する。前述のトラバントも、ソ連の一衛星国であることを示しているという意味では、これに分類できる。

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中国第一汽車の紅旗HS7。北京・故宮博物院とのコラボレーションによるデコレーションが施された。2019年上海モーターショー展示車。

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旧ユーゴスラヴィア製のザスタヴァ600は、フィアット600をベースにしていた。クロアチアにて2004年撮影。


4.“シャウエッセン”系

 

コンプレッサー(メルセデス・ベンツ)
アダム、カール(創業者一族の名前から。オペル)

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初代メルセデス・ベンツSLKコンプレッサー。

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オペル・アダム。ショーデビューを飾った2012年パリサロンにて。


日本では、プチ高級なハム・ソーセージというと「シャウエッセン」「グランドアルトバイエルン」など、ドイツ語風のものが多い。しかし、自動車の車名やバージョン名でドイツ語名に接する機会は、イタリア語と比べると急激に減ってしまう。
メルセデス・ベンツには1930年代と戦後のトップモデルに「巨大な」を意味する“グローサー”と呼ばれる車両が存在するが、通称に過ぎない。
そのメルセデスは、戦前にスーパーチャージャー付モデルを示した「コンプレッサー」の名称を1990年にわざわざドイツ語綴りのKompressorとともに復活させたが、再びカタログから消えてしまった。

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1963年に誕生したメルセデス・ベンツ600プルマン(手前。写真は1965年製)も、1930年代の超大型モデル同様、“グローサー”と呼ばれた。

背景には、イタリア人やフランス人からすると、ドイツ語名は今ひとつ親しみに欠けることがある。
それは、いくつかの事例でも証明できる。
ダイムラーが1902年に「メルセデス」を商標登録したきっかけは、ニースの販売代理人の強い希望を反映したものだった。

自動車ではないが、ドイツの有名な食品メーカー「ドクター・エトカー」の例もある。同社は早くも1933年のイタリア進出を果たしているが、発音の難しさと記憶されにくさが販売の妨げになった。そのため、戦後1953年にイタリア市場のみ「カメオ」と改名して現在に至っている。

ちなみにドイツ観光に関する統計資料によると、2018年の外国人観光客数ランキングでイタリアからの訪問者はようやく第6位に姿を現す。数も約416万人に過ぎない(出典:Statista)。

筆者個人は、このドイツ語マイナー環境を残念に思っている。
なぜならブレーキを意味する言葉もドイツ語でブレムゼBremse !と叫んだほうが、イタリア語のフレノfreno !よりも数倍サーボが掛かりそうだ。
シートベルトもイタリア語のチントゥーラ・ディ・シクレッツァCintura di sucurezzaより、ジッヒャーハイツグルトSicherheitsgurtのほうが締まりが良さそうではないか。

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フレノよりもブレムゼといったほうが効きそうだ。写真はアルファ・ロメオ・ステルヴィオのもの。
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彼女に会いたくてドライブ→検挙

イタリアでは新型コロナウイルス感染対策として、2020年3月10日から事実上の国土封鎖と移動制限が実施されている。急務でない生産・商業活動も3月12日から休止されたままだ。
当初4月3日だった期限は2回にわたり延長され、本稿執筆時点では5月3日まで続く予定だ。そのとおりになると、約2ヶ月弱にわたり封鎖が行われることになる。

今回は、そうした状況下、イタリアの中古車市場はどうなっているのかを探ってみた。

その前に、筆者がどのような生活をしているか、カーライフを中心に説明しよう。
徒歩であれ車であれ、外出は厳しく制限されている。
具体的には、食料・生活必需品・薬品の購入、通院、食品や医療機器生産など許可業種の通勤に限られる。
家屋周辺の散歩は許されているが、気分転換のドライブは不可能だ。一部州ではジョギングさえ許されていない状況を考えれば当然である。
ちなみに先日我が県で、ある若者が本人いわく「彼女が恋しくなり」会いに行こうとクルマを走らせていたら検挙された事件は、同情も加わって全国ニュースとなった。

外出の際は内務省発行の自己申告書をダウンロード・出力したうえで、必要不可欠な移動であることを示すための目的地を記入。加えて、新型コロナ隔離対象者でないことを宣誓する文に署名して携行しなければならない。

隣の自治体への移動さえ許されていない。検問は市警察・国家警察そして軍警察(憲兵)によって路上において実施されている。筆者は先日、アルファ・ロメオ・ジュリエッタの覆面パトロールカーも確認した。

罰金の金額は3月26日、最高3千ユーロ(約36万円)まで引き上げられた。
参考までに4月1日にインターネット受付が開始され、筆者も申し込んだ自営業者向け一時給付金は一律600ユーロ(約7万1千円)にとどまる。万一検挙されたら、一気に吹き飛ぶ額だ。

給油所はライフラインのひとつとして開店許可業種だが、売店は営業していない。
ガソリン価格の元となる原油価格は18年ぶりの安値というのに、自由に車を運転できないのは、なんとも皮肉である。

ただし周囲のイタリア人に関していえば、筆者が思っていた以上に辛抱強い。
3月最終日曜日からサマータイムに切り替わって夜が明るくなった。日中の気温も日増しに温暖になっている。それらが人々の心理にプラスに働いていることは明らかである。

あとは、本格的な夏の日差しとなって彼らが大好きな海に行きたくなる前に、この災難が収束することを願うばかりである。

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商業施設の休業が命じられた2020年3月12日午前に撮影。この日からシエナ市のFCA販売店中古車展示場は、今日まで閉鎖されたままだ。

売れる車の10台に8台は中古車

この状況下、自動車販売店の多くは修理部門を予約制にし、緊急性を有するものを優先している。
ショールームは営業が許されていないので、各ブランドはインターネットで見積や予約を続ける旨アピールしてきた。
ただし実際の結果は惨憺たるものだった。2020年3月の登録台数は28,326台で、前年同月(194,302台)と比べマイナス85.4%となった。
自動車購入マインドが極端に冷え込んだことを如実に物語っている。

今回のテーマである中古車も同様に影響を受けている。イタリアでその市況を示す自動車の名義変更数によると2020年3月は110,715台で、前年同月(270,942台)と比較して、59.1%のマイナスとなった(イタリア自動車クラブ調べ)。

新車+中古車の合計を元に中古車の比率を計算してみると、2019年3月は58%だったのに対し、2020年3月は79%。中古車需要が急上昇したことがわかる。

イタリアでは、「km0(キロメトロゼロ)」と呼ばれる登録済新古車が、平常時から相当数流通していて、多くのユーザーは新車よりもまずそちらを検索する習慣が定着しているのも事実だ。それにしても、極言すれば売れる車の10台に8台は中古車になってしまったのである。

そうした状況下で中古車価格はどうなっているのか。
業界を俯瞰したデータはまだ発表されていないので、筆者が過去にチェックしていたものを参考にお伝えする。

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ミラノにあるメルセデス・ベンツ販売店に並ぶ大量のスマート・フォーフォー。2019年5月撮影。


写真は昨2019年5月末、ミラノを代表するメルセデス・ベンツ販売店で撮影したものである。ここは州内最大級のディーラーで、いつも大量のメーカー認定中古車を、いわば均一価格で扱っているので、時系列での価格推移をみるにはうってつけだ。

そのとき並んでいた「スマート・フォーフォー」は大半が2017年登録、つまり2年落ちで走行3万キロ台。価格は9900ユーロ均一であった。
今回執筆にあたり同じ販売店のウェブサイトを見る。すると2018年登録、つまり同じ2年落ちでほぼ同様の仕様の車が7900ユーロで売り出されている。2000ユーロ(約23万円)も安くなったことになる。

同じ店のメルセデス・ベンツAクラス(W176)A180dも比較してみる。走行4万キロ弱・3年落ちのモデルは昨2019年に20,900ユーロで大量に売られていたが、現在確認すると1000ユーロ(約12万円)下がって19,900ユーロ(約236万円)だ。

ディーゼル復活の兆しか

 

 

次に個人的好奇心も手伝って、「新車当時、世間的には不人気だったものの、気になっていた車」の相場も確認してみる。
参考にしたのは、5万軒のディーラー・2百万台を網羅する欧州最大の中古車情報サイト「アウトスカウト24」である。

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ランチア・テージス(本文中の車両とは関係ありません)。

まずは「ランチア・テージス」。イタリア国内では55台がリストアップされている。
新車時に官公庁やハイヤーで使われた個体が多いためだろう、大半がディーゼルで走行20万キロ台が中心だ。最安は2002年登録の1500ユーロ(約17万8千円)、最高でも2008年登録で1万0999ユーロ(約130万円)である。
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アルファ・ロメオ・ブレラ(本文中の車両とは関係ありません)。2018年シエナにて撮影。

「アルファ・ロメオ・ブレラ」もバーゲンといえる。135台も出品されていて、およそ1万3千ユーロ(約154万円)が中心価格帯といえる。格安は走行18万キロで2900ユーロ(約34万円) の2009年2.4JTDmディーゼルだ。

実は新型コロナウイルス以前にも、中古車価格は下落していた。理由は少なくともふたつある。
ひとつは税務調査だ。近年イタリアでは新車/中古車問わず、価格が2万ユーロ(約250万円)以上の車両を購入した者は、原則としてすべてが調査の対象となっている。
前述のメルセデス・ベンツAクラスが19,900ユーロという微妙な価格設定に書き換えたのも、それを意識したと考えてもよいだろう。いくら高級車でも高額では売れないのだ。

ディーゼル車に対する環境規制の強化も価格低下に拍車をかけた。
先に挙げたイタリア車のディーゼルは、いずれも欧州排出ガス基準における「ユーロ4」である。すでにミラノをはじめ北部大都市の数々では乗り入れが禁止されている。

ただし、ディーゼルの中古車に限っていえば外出規制解除後、若干人気が持ち直すかもしれないと筆者はみる。

イタリア政府が新型コロナ対策に注力するため、これまで進められてきた脱ディーゼル化や電気自動車(EV)インフラの拡充に遅れが生じることが予想できるからだ。
休業措置で収入が減少している国民に、すぐにEVに買い替えよ、とはいえない。

燃料価格という面からしても、環境政策で長年軽油をガソリンより高価に設定しているスイスと違い、イタリアの給油所では今も軽油のほうがガソリンより安い。
新車当時から「イタリアの道には大きすぎる」といわれていたテージスやブレラが売れ始めると到底思わないが、そのような理由で、安くなったディーゼル中古車に一定の需要が生じるかもしれない。

ウチもこれで十分?

筆者がもうひとつ、意外な引き合いがあるのではないかと予想しているのは、「クアドリチクロ・レッジェーロ」と呼ばれる軽便車である。

欧州委員会が定めた規格で、車両重量425kg以下、最高速度45km/h以下、ガソリンの場合排気量50cc以下、その他(ディーゼルなど)は出力4kW以下と定められている。
ゆえに高速道路の走行は許可されていないが、日本の原付用に相当する免許で運転が可能だ。イタリアでは14歳から操縦が許されている。

もともとは普通免許の更新が難しくなった高齢者が主なユーザーだったが、税金・保険とも原付二輪車に準じることから、経済が低迷する近年では幅広い年代に需要がある。
「ラ・レッププリカ」紙2017年4月11日付電子版がイタリア自転車・自転車協会(ANCMA)のデータとして伝えたところによると、イタリアでは一段上の規格も含め約8万台のクアドリチクロが走っているという。

中古も一定の市場がある。価格にもそれが如実に反映されていて、10年落ち・走行52,000kmでも4500ユーロ(約53万円)という強気のオファーさえネット上で見かける。

生活が厳しくなるなか、クアドリチクロ・レッジェーロの需要は、より加速するかもしれない。

我が街の公共駐車場には、少し前から「売りたし」の貼り紙とともに、赤いクアドリチクロが置かれている。週一度家を出るのは近所の買い物だけという外出制限生活のなか、その車の横を通るたび「ウチも、実はこれでいいんじゃないか?」と考え始めた筆者である。

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外出制限で閑散とした公共駐車場。VENDESI(売りたし)の張り紙とともに置かれたイタリア製クアドリチクロ「ジンコ」。2020年4月10日、シエナにて撮影。
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witten by Akio Lorenzo OYA
世界中
うんうんする
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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 大矢アキオ/ソニー株式会社

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ソニー歴史製品展示コーナー「History Wall」は、東京・品川駅港南口の本社1階ロビーに設けられていて、自由に見学できる。

“ソニーの車”の衝撃

自動車に関心を向ける人にとってソニーといえば2020年1月、米国ラスベガスのエレクトロニクスショー「CES」のニュースが新しい。
展示された電気自動車「VISION-S Prototype」は、“ソニーが自動車を発表”と世界のメディアが報じた。

同車には車載向けCMOSイメージセンサーを中心に計33個のセンシング・デバイスが搭載されているほか、ネットワーク時代を見据えた技術、自動運転に対応したエンタテインメント・コンテンツが盛り込まれている。

車両開発でパートナーを務めたのは、オーストリアのグラーツを本拠とするマグナ・シュタイヤー社である。製造部門はトヨタGRスープラを手掛けているので既知の読者も少なくないだろう。

なお、VISION-Sは車名ではない。発表文を引用すれば、ソニーは「モビリティにおける安心・安全から、快適さやエンタテインメントなども追求する取り組み」の総称として位置づけている。

スペシャルサイトにも「プロトタイプ車両は、将来のコンセプトを示すためのもの」と但し書きともいえる一文が付されている。
つまり、ソニー・ブランドの自動車が明日登場するというわけではなく、テクノロジーのショーケースなのである。

しかし、突然現れたこのコンセプトカーは、同社の歩みをあらためて振り返ってみたい意欲を筆者に駆り立てた。

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ソニーが2020年1月のCESで公開した「VISION-S Prototype」 (ソニー株式会社提供)
 

フライパンで磁性粉を煎っていた時代

ソニーの広報・CSR部に確認してみると、残念ながら、かつて北品川に存在していた「ソニー歴史資料館」は2018年末をもって閉館していた。筆者は一度も訪れたことがなかっただけに、惜しい。

だが代わりに、スタッフいわく「歴史資料館時代よりも規模は小さいものの」品川駅港南口の本社1階に昨2019年3月から歴史製品展示コーナー「History Wall」が開設されているという。

そこで2020年2月、筆者は東京滞在の折に訪ねてみた。

出迎えてくれたのは、広報・CSR部 コーポレート広報グループ シニアPRアドバイザーの岸貴展氏。ご本人は1964年生まれというから、ソニーが特にコンシューマ製品分野で世界を驚かせ続けた時代と共に歩んだ世代である。これは解説者として心強い。

実際にコーナーを訪れると、L字型のスペースに歴代主要製品が、それもほとんどがケースに収納されることなく展示されている。

説明パネルは敗戦の翌年である1946年、ソニーの前身である「東京通信工業」を井深大と盛田昭夫が設立したところから始まる。東京・日本橋の百貨店「白木屋(現在のコレド日本橋の場所)」の建物内にあった10坪の部屋を間借りしての船出だった。

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1946年の東京通信工業株式会社設立趣意書(複製)。有名な一文「一.真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」が読める。

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草創期の社名プレート(左)と、後年のオープンリール式テープ「ソニテープSoni-Tape」(右)。パッケージに記されているのは、初期の社名ロゴである。

残念なのは、ソニー企業サイトの歴史ページで紹介されている、「うまく炊けるほうが稀だった」という試作型電気炊飯器や、「毛布を焦がしてしまった」と客から苦情が相次いだ電気ざぶとんといった草創期の失敗作や商品がないのが惜しい。展示物はすべて、いわば“かっこいいソニー製品”なのである。

そうした思いがよぎりながらも、ふたたび時系列を追ってゆく。
東京通信工業が開発に挑戦した製品は録音機であった。日本初のテープレコーダー「G型」(1950年)のテープは紙製だ。「シュウ酸第二鉄をフライパンで熱して磁性粉にし、ラッカーで溶いてテープに塗っていました」と岸氏は解説する。初期の納入先は最高裁判所などであったという。

 

しかし、「大衆に直結する仕事がしたい」という井深の思いが次なる製品開発につながった。
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日本初のテープレコーダーである「G型テープレコーダー」。裁判所をはじめとする官公庁需要が中心だった。

 

「ソニー」の名前に社員が反対

それがトランジスタ・ラジオだった。
1950年代初頭、東京通信工業はトランジスタの特許を保有していた米国のウェスタン・エレクトリック社からライセンス供与の合意を取り付けた。しかし契約は製造の許可のみで、製造ノウハウについては一切公開されなかった。のちの4代社長となる岩間和夫が渡米しても、工場内での写真撮影はおろかメモも禁止された。
そこで岩間は記憶を頼りにホテルでメモし続け、それをエアメールで送ることを繰り返した。「彼が3ヶ月後に帰国すると、東京では試作品が完成していたといいます」と岸氏は説明する。こうして1955年、日本初のトランジスタ・ラジオ「TR-55」が誕生した。

展示では井深、盛田と並び、1982年から社長を務めることになった大賀典雄についても、さまざまな形で触れられている。東京芸大卒のバリトン歌手であった大賀は、当初嘱託として草創期のソニーに参画していた。だが岸氏によれば「二足の草鞋生活はきつく、ある演奏会の最中、舞台の袖でつい居眠りをしてしまったのがきっかけで、ソニーに専念することを決意」したという。

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1955-58年までの歴代トランジスタ・ラジオが並ぶ。


東京通信工業株式会社からソニー株式会社に社名を変更したのは、1958年である。
そのとき社員の一部からは反対の声があがった。「当時カタカナ社名が一般的でなく、せめて『ソニー電子工業』といった名称にというのが彼らの主張でした」と岸氏。
しかし、盛田はソニー株式会社への社名変更を押し通した。「我々が世界に伸びるためだ。将来、(この会社が)何を手掛けているのかはわからない」というのが理由だった。

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トリニトロン方式カラーテレビ1号機である1968年「KV-1310」。従来のシャドーマスク方式と比べて2倍相当の明るさを実現した。

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ベータ方式VTRの1号機である1975年「ベータマックスSL-6300」。同年には、TVチューナー内蔵のモデルも登場。裏番組録画が可能になった。


社員自ら“ホコ天”でパフォーマンス

1968年「トリニトロン・カラーテレビ」、1975年「ベータマックス」が続いたあと、ディスプレイされている製品といえば、あの1979年“ウォークマン”である。

参考までに、筆者が23年前イタリアに住み始めたとき驚いたのは、現地の人々にとって“Walkman”とはソニー製を指すものではなく、再生専用・小型ヘッドホンステレオの総称となっていたことである(注:「ウォークマン」はソニーの登録商標で他社は使用できない)。
加えて、その誕生はイタリア人にとって衝撃的であったらしい。昨2019年も、筆者が住むトスカーナ州ルチニャーノで開催された春祭り「伝説の1980年代」では、”ウォークマン”を模した巨大な山車が練り歩いた。

しかし「技術的に新しいものはなかったことも事実です」と岸氏は説明する。
当時の井深は出張で飛行機に搭乗する際、従来型ステレオカセットテープレコーダー“デンスケ”とヘッドホンを組み合わせて音楽を鑑賞していた。
ある日その井深が、モノラルのポータブルテープレコーダーにステレオ機能を加えることを依頼。開発陣は、既存商品の“プレスマン”を改造して、試作品を制作した。

再生専用に割り切ったその試作品に、別部門が手掛けていた軽量ヘッドホンを組み合わせれば売れると提案したのは盛田だった。「学生が夏休みにはいる前に出せ」という号令のもと、発売日は7月1日に設定された。

 

販売店の反応は「録音機能がないなんて」と冷ややかなものだった。実際に発売後も約1ヶ月は売れない状態が続いた。しかし社員が毎週末、”ウォークマン”を身につけて、歩行者天国を歩きまわるという、いわば草の根作戦でその存在を若者に知らしめた。やがて有名芸能人が装着して人気雑誌写真に収まるという幸運も加わった。
こうしたことから歴史的ともいえるヒットに繋がった”ウォークマン”は、技術のソニーが商品企画についても秀逸であったことの証左として語り継がれている。

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“ウォークマン”1号機である1979年「TPS-L2」。超軽量ヘッドホンは、偶然別部門で開発が進行していたものだった。。

はじめにひとつの木型ありき

 

世界初のポータブルCDプレイヤーとして1984年に発売された「D-50」の右側に、木型がひとつ並んでいる。よく見ると表面に「OHSONE」というサインペンの文字が記されている。
背景を岸氏は、こう打ち明ける。
D-50の開発にあたって、当時オーディオ事業部長だった大曽根幸三は、目標とするサイズを木型で提示した。ところが開発陣にとって、当初その寸法内にすべての機構を収めることは困難を極めた。
「そこである日彼らは、こっそり木型を、ちょっと大きなサイズのものに差し替えてしまった。後日それを見破った大曽根は、“本物”に自分の名前を記した…という話を聞いたことがあります」。三十数年前の現場での攻防が、目の前に蘇ってくるエピソードである。

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世界初のポータブルCDプレイヤーとして登場した1984年「D-50」。

製品展示に隣接して、盛田、井深両氏が生前に遺した語録を紹介するビデオのコーナーもある。そのなかでは、とくに「未来を予測するのはあまり意味がない。自分で創りだす気構えが必要」と話す井深の姿が印象的だ。

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1994年に発売された、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)による家庭用ゲーム機第1号であるプレイステーション®。△、◯、✕、□ボタンのアイコンは後継機のトレードマークとなった。
ちなみに2015年にはニューヨークの出版社から、ソニーの歴代製品を紹介した写真集が出版されている。

www.sony.co.jp


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2001年に設立されたソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズが手掛けたフューチャーフォンの数々。

“見えないモーター”になるか?

展示はコンテンツ事業、CMOSイメージセンサー、医療機器など、今日ソニーを支える各種ビジネスで締めくくられている。

コーナーは面積が限られている。また前述したように“失敗作がなく、かっこいいソニーだけ”だ。だが、戦後日本のひとつのストーリーが凝縮されているのは事実で、その内容の濃さは集積回路の如くといえる。

ロケーションも良い。東海道山陽新幹線の始発駅のひとつである品川駅から徒歩圏だから、東京都内を拠点とする人のコーヒーブレイクのみならず、出張の折にも気軽に立ち寄れる。

最後に冒頭の「VISION-S Prototype」に話を戻せば、ソニーとマグナ・シュタイヤーは、2020年度中の公道走行試験を目標にしている。

将来、このHistory Wallに同車やソニーの自動車関連技術が紹介されるのか、現在の著者は知らない。しかし、この企業のあまりにダイナミックなモノづくりの軌跡が、VISION-S を前進させる、目には見えないモーターとなることに期待しようではないか。

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広報・CSR部の岸貴展氏は1987年入社。元バリトン歌手らしい大柄な体躯の大賀典雄が入社式で壇上に立ち「SONYの4文字はソニーの最大の財産」と誇らしげに語ったのを鮮明に記憶している。


【information】
ソニー株式会社 本社1階 歴史製品展示コーナー「History Wall」 

〒108-0075 東京都港区港南1-7-1
JR品川駅港南口より徒歩5分
開館時間 10:00~18:00
休館日 土日祝日、および会社休業日
入場料 無料
※通常はガイド無しの自由見学です。

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世界中
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

日本では昨2019年の乗用車車名別新車販売台数で、トヨタ・プリウスがまたもや1位になりそうだ。いっぽうで、イタリアの2019年における新車登録台数は、なかなか興味深いものとなった(データはUNRAE調べ)。

本来ならば、ランキングは下位から上位へと向かうものだが、今回の結果は、逆のほうがより楽しめる。
第1位はフィアット・パンダ(138,132台)である。2017年(124,266台)比で11%増である。現行モデルは2011年発売だから今年で9年目のモデルとしては大健闘といえる。2019年のイタリア国内総生産(GDP)は僅か0.2%増。経済に本格的回復の兆しが見られない中、パンダは堅実な選択肢なのである。

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シエナにてフィアット・パンダ。乗っているのは、教会の修道女の方々だった。以下写真は、フェイスリフト前のモデルを含みます。

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ルッカ県の村で。フィアット・パンダ2台。




続く2位はランチア・イプシロンだ。台数は58,759台と、パンダの半分以下である。しかしながら、前年の4位から2ランクも這い上がった。
こちらも姉妹車のパンダ同様、花の(?)2011年デビューモデルだ。
イプシロンの強みをイタリアの自動車販売関係者は、「イタリア人が好きな“小さな高級車”感」と分析する。パンダより強いお洒落感を醸し出しているところが、ユーザー心をくすぐるのである。
前述のような経済状況下で「高級車には乗れない。でもパンダはちょっと」というドライバーを獲得しているのである。それは1950年代末から60年代、先代フィアット500の傍らで、その姉妹車であり、イプシロンの遠い祖先でもあるアウトビアンキ・ビアンキーナが一定の人気を獲得したのと似ている。
参考までにイタリアでランチアは、女性ユーザー比率が市販車中最も高いことでも知られる。新車購入見積もりを依頼するユーザーのうち、48%が女性である(driveK調べ)。ランチアは目下イプシロン1車種なので、それはすなわちイプシロンということになる。

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シエナのFCA販売店に展示されたランチア・イプシロン。

3位のダチア・ダスターは、前年の圏外から急浮上した(43,701台)。
参考までにダチアとはルノー・グループのサブブランドである。ダスターは日産-ルノーのB0プラットフォームを用いたSUVだ。今回の急躍進は「頭金なし。1日5ユーロ」といったキャッチーな残価設定ローンが功を奏したのはたしかだ。同時に、2018年に発表された現行モデルは初代と比べて格段にスタイリッシュで、“ローコスト版ルノー”のイメージが希薄なのも人気の理由である。依然続くSUV/クロスオーバー・ブームも人気を後押しした。


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シエナのルノー・ディーラーの一角は、ダチアの展示スペースに充てられている。右がダスター。

以下、4位フィアット500X(42,554台。前年3位)、5位ルノー・クリオ(41,792台。前年2位)、6位ジープ・レネゲード(41,683台。前年5位)、そして7位シトロエンC3(41,646台。前年6位)と続く。8位のフォルクスワーゲンT-Roc(39,600台)は初の圏内入りである。

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ジープ・レネゲードと熟練セールスマン2名。


9位には、トヨタ・ヤリス(36,805台)が入った。好調を牽引したのはハイブリッド仕様だ。かつてプリウスがイタリアに導入されたときと比べて、地方自治体などによる各種奨励金はあまり期待できなくなった。だが環境志向がトレンドともいえる高まりをみせる中で、「市街地走行では50%以上がEVモード」、またプラグインでないから当然なのだが「充電不要」といった巧みなキャンペーンが消費者の心に刺さったようだ。事実、我が街シエナでヤリス・ハイブリッドを購入した知人は、そうしたトヨタ・イタリアのPRにすっかり心酔したようで、筆者に「チャージしなくていい電気自動車とは素晴らしい!」と興奮気味に語った。
加えて、初代ヤリス誕生から20年が経過し、日本ブランドでは抜群の知名度を獲得していることもプラスに働いている。

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トヨタ・ヤリス・ハイブリッド欧州仕様はフランス工場製。エンジンルームが誇らしげに開けられて展示されていた。シエナで。


なお10位は、ジープ・コンパスがやはり初のトップ10入りを果たした。これもSUVトレンドの恩恵であろう。

最後に、2018年まではトップ10の常連であったにもかかわらず、今回から圏外となったモデルがある。1台はフォード・フィエスタ、そしてもう1台は、なんとあのフィアット500である。
思えば、デビューは2007年。2020年で13年選手である。そろそろ数字が落ち着いても当然であろう。同じ年に登場した日本のダイハツ・タントは、現在までに2回モデルチェンジしていることを考えると、いかに長寿であるかが窺える。

気になるのは新型500だ。Autocarは2019年8月、次期500の姿として、BMWi3のようなリアヒンジの後部ドアをもつ予想イラストを公開している。現行モデルから5ドア化に踏み切ったランチア・イプシロンが売れているのを考えれば、妥当な選択といえよう。
しかしながら、今や世界各地でフィアットといえば500である。どこまでキープコンセプトを図って、どこまで新しくするか。次期モデルのデザイナーたちが今感じているプレッシャーといったら、とてつもないものに違いない。

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フィアット500Cを満載した陸送車。



 

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フィレンツェにて。フィアット500。次期型の姿は如何に。
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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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