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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文と写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

 

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202410月、ボローニャの「アウトモト・デポカ」ショーで。アジップ系ガソリンスタンド詰め所のレプリカを発見。手前のクルマはアルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スプリント・スペチアーレ。

 

■ギャレー備品をクルマ好きテイストに

 欧州のヒストリックカー・イベントを渡り歩いていると、自動車以外にもそそられるものがあり、思わず足を止めてしまうことが多々ある。今回は、その中から2つを紹介しよう。

 

最初は、フランス・パリのヒストリックカー・ショー「レトロモビル2024」で発見したものだ。店名を「カストミーズ・エア」という。フランス北東部マルヌ県の町タイシーを本拠としている。「エア」の名前がイメージさせるとおり、彼らが得意としているのは、民間航空機のギャレー用アルミ製搬入カート(ミールカート)のモディファイである。日本の航空会社でもときおり放出している中古品と異なるのは、自動車好きに焦点を合わせてカスタマイズしていることだ。自動車ブランドやF1チームを想起させるもの、自動車が登場する映画をイメージしたもの、と数々ある。

 

同様にギャレーで使われる小さなコンテナは、上部にクッションを追加してスツールにモディファイされている。カートは1890ユーロ(308千円)、コンテナは590ユーロ(96千円)である。個体によっては、オランダ「トランサヴィア」など、現役時代に使われていた航空会社名が残っている。各部に残る擦りキズ、凹みそして汚れは、リモワのアルミ製スーツケース同様、これまでアイテムがたどってきた旅にイメージを馳せるため、と受け取るのが正しいだろう。

 

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「カストミーズ・エア」は飛行機のギャレー用搬入カートやコンテナのカスタマイズを専門としている。

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2024年パリ・レトロモビルで。多くの来場者が足をとめ、興味深げに観察していた。

 

■道端給油所はいかが?

もうひとつは、ボローニャで毎年秋に開催される「アウトモト・デポカ」で、2023年・2024年と出展され、注目を浴びていたものだ。ずばり「ガソリンスタンド」である。

 

従来から、古い給油ポンプや石油ブランドの看板は、長年コレクターズアイテムとして愛好家の間で取引されてきた。いっぽう、そこでの展示物は、かつて欧州各地の道端に存在した給油所の、スタッフ詰め所だ。

 

手掛けているのはアーサー・ピスカニック氏と、彼がオーストリアで主宰する「アルテタンケ(古いスタンド)」である。1967年生まれの彼は、25年間古いクルマを手掛けるうち、約10年前にこのアイディアを実行に移した。欧州各地で、使わなくなったスタンド詰め所を発掘して販売している。2023年のアウトモトデポカに展示した建屋は「実際にFINA(フィーナ)の給油所として、オランダで使われていたものです」とアーサー氏は説明する。

 

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2023年ボローニャ「アウトモト・デポカ」で。まずはアジップ・カラーに塗装された、この1958年フィアット682Nタンクローリーが目に飛び込んだ。イタリア「マラッツァート財団」のコレクションである。

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その脇には、アーサー・ピスカニック氏と彼の屋外ブースが。

 

レストアのかたわらで、1930年代から70年代までのレプリカ建屋もプロデュースしている。1930年代は角形、50-70年代はオーバル型が基本だ。冒頭写真のアジップのスタンドは、彼が手掛けたレプリカの一例である。周辺に同じくアンティークの給油機やオイル缶などさまざまなアクセサリーを散りばめることで、さらに雰囲気を盛り上げることができる。そうしたセットは、各地の博物館やイベントなどに販売もしくはレンタルされ、展示車や参加車の引き立て役として活用されているという。

 

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左はFINAのオイル缶。往年の同社によるモットー「tanken, fahren, loben(給油して、運転して絶賛)」が印刷されている。右はボッシュ製スパークプラグの販売用ラック。

 

■黒電話に「あの灰皿」も

今回紹介したものに、なぜ心動かされるのかを自分なりに分析してみた。航空機用カートやコンテナに関していえば、飛行機が高価な移動手段だった頃への郷愁を否定することはできない。だが同時に、さまざまなユニット機器が面一に収まるものに惹かれた時代への懐旧とも筆者は分析する。旅客機内のギャレーに整然と収まるカートやコンテナは、ラックにマウントされたコンポーネントステレオ、初期のデジタルシンセサイザーが全盛だった1970年代を彷彿とさせるのである。

 

同様にアーサー氏のガソリンスタンドも70年代にタイムスリップさせてくれる。日本の給油所のサービスルームは詰め所型よりもう少し大きかった。しかし独特の雰囲気があったものだ。薄っぺらい座布団が敷かれたパイプ椅子の向かいにレースのカバーがかかったソファ。その傍らでは8トラックの演歌テープがプロドライバー向けに売られていた。マガジンラックには提携している自動車販売店が置いていった、初代トヨペット・コロナ・マークⅡのカタログがしわくちゃになって挿してあった。そしてテーブル上には、当時カーライフ産業のおきまりであった、タイヤをかたどった灰皿が置かれていた。いずれもたわいものない事象であるが、今のスタンドより大人の香りがして、いつか自分も運転免許を取得したら、客になりたいと思ったものだ。

 

筆者が心ときめいたのと同じノスタルジーを、ここ欧州の人々も胸に秘めていたのかと思うと、妙に嬉しくなるのである。それを証明するように、アーサー氏のスタンド内の机には、しっかりとタイヤ型灰皿が置いてあったのだった。

 

Customi’s air

https://www.customis-air.fr/

Alte Tanke

https://www.alte-tanke.com/

 

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オランダで発見したというFINAのスタンド詰め所。

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詰め所の内部。黒電話、オリジナル道路地図、タイヤ型灰皿といった小道具も情緒あふれる。


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文と写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

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イタリア中部ポッジボンシの「デ・マルコ・パーツ」で。202412月、廃業ディーラーから入手した品の中には、看板も含まれていた。左からマッシモ社長、スタッフのミンモ、アッティリオ、クリスティーナ、ラミン各氏

 

■その量、トラック2台分

「大収穫があったから見に来なよ」。そう声をかけてくれたのは、開店間もなくから筆者が本欄で追ってきたフランス車パーツショップの社長、マッシモ・デ・マルコさんである。2024年暮れのことだ。彼がイタリア中部トスカーナ州ポッジボンシで営む「デ・マルコ・パーツ」については第19https://carcle.jp/UserBlogComment?UserID=10568&ArticleNo=19

を、彼がオーガナイズする「イタリアン・ルノー4フェスティバル」については、第31https://carcle.jp/UserBlogComment?UserID=10568&ArticleNo=31
を参照いただきたい。

 

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デ・マルコ・パーツの本社入口。2019年創業の当初から通販にも力を入れており、すでに50以上の国と地域に発送してきた。

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倉庫の一角にはルノー「4」の未再生ボディも数々。手前の黄色い個体は、フィレンツェで見つかったという希少な3段変速仕様である。

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マッシモ・デ・マルコ社長。とりわけルノー4、「シトロエン2CV」、そして「フォルクスワーゲン初代ビートル」の部品に関しては、多くの顧客を獲得している。

 

翌日さっそく店を訪ねてみると、開業以来いつも気持良いくらい整然としていた倉庫内に、溢れんばかりのパーツが積まれている。それらはサービスフロントまで達している。一見の客は、どこが窓口かわからない状態だ。ただ事でない。

 

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サービスフロントを塞がんばかりに積まれたルノーのパーツ。

 

「すべてはルノーのNOS、それも純正部品だよ」と、マッシモさんは教えてくれた。NOSとは、New Old Stock=新古在庫のことだ。きっかけは、1カ月前に受け取った1本の連絡だったという。「相手は320キロメートル離れた北部の町、ロヴェレートにある元ルノーの販売店だった」。その店は、遠く1960年代から地域ディーラーだったが、少し前に権利を返上した。「その機会に、指定サービス工場にあった約半世紀分の部品ストックをまとめて売りに出したんだよ」。それをマッシモさんの店は、まるごと買い取ったというわけだった。ちなみにマッシモさんによると、同様の申し出は近年、イタリア全国の新車販売店からたびたび寄せられていたという。新車販売の低迷を背景に、廃業する販売店が多いためだ。

 

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スタッフのミンモさんと、方向指示器レバーを確認する。彼らの右に並ぶ部品棚も、すべて今回引き取ったものだ。

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部品棚の引き出し。マッシモさんも11段はまだ確認してない。そのひとつを開けると

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シャフトのシールが入っていた。

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こちらはクラッチ部品。

 

商談成立後、マッシモさんはトラック2台を連ねて現地に向かった。積載にも丸2日を要したという。

「ルノーに関していえば、純正パーツは社外品よりも格段に品質がいい。だから、絶好のチャンスだった」とマッシモさん。またルノー「25」のテールランプユニットを見せながら、「こうした上級モデルの部品は絶版になりやすい。だから貴重なんだよ」と語る。補足すれば、ルノー「4」など人気車は、今日でも数々のサードパーティーによってアフターパーツが多数製造されている。対して高級モデルは生産台数が少ないうえ人気が限定的なため、社外品が限られている。残存純正品だけが頼りという部品が多いのだ。

 

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オイルパン用ガスケット。

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コンタクトブレーカー・ポイント・コンデンサーセット。マッシモさんによると、数社製が存在した。これはマニェッティ・マレッリ製。

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ルノー「6」の燃料計もあった。

 

■整理には要3年

旧オーナーのもと、長年サービス工場で使われていた灰色のスチール製部品棚も引き取った。1段ごとに手書きで几帳面に記された部品番号は、あたかも昨日まで使われていたような雰囲気を匂わせている。いっぽうで、長身のマッシモさんでも腰の丈ほどある木箱には、頂上から底までぎっしりと部品が詰め込まれている。まだ何が入っているか、彼さえもわからない。

 

各部品を見ていると、どのモデル用かを言い当てるのを競うクイズができそうだ。ただし、そう言う筆者がわかったのは、恥ずかしながら前述のルノー25用テールランプと初代「エスパス」のテールゲートだけだった。

 

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ルノーの部品番号も貼られたクライスラー純正「MOPAR(モパー)」エアフィルター。旧アメリカン・モータース(AMC1987年クライスラーに吸収)がルノー傘下だった時代があったため、このような共通部品が存在した。

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ホイールが積まれた一角。手前は「シュペール・サンク」用。

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初代「メガーヌ」用のルーフ用クロスバー。その下に転がっている筒はポスターかと思いきや

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箱を開けてみると「19」用サイドモールだった。

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初代「エスパス」のテールゲート。

 

今回の収穫を収めるため、すでにマッシモさんは隣接する別の倉庫を確保したという。だが作業を想像すると、部外者の筆者でも気が遠くなる。「従来のストック同様、すべてをきちんと整理するには、どのくらいかかるのか」という筆者の質問に、「3年はかかるな」とマッシモさんは答える。整理と並行して、撮影ボックスで11点写真に収め、自社ホームページやショッピングサイト「イーベイ」に掲載してゆくのは、スタッフであるミンモさんの仕事だ。果たしてどんなお宝が発掘されるのか。彼らの顧客のお楽しみは、間もなく始まる。

 

De Marco Parts

https://www.demarcoparts.com/en/

De Marco Parts e-bayサイト

https://www.ebay.it/str/demarcoparts

 

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木箱の中身発掘は、これからのお楽しみ。

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1992年に制定され、2020年まで使われた旧ロゴの看板も。


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文と写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

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■イタリア最大の古典車ショーで

202410月イタリアのブランド別国内登録台数で、トヨタはフォルクスワーゲンとともにフィアットを抜き、3位にランクインしている。背景には「ヤリス・クロス」「ヤリス」の好調がある。そのヤリスが“インスタント・クラシック”の領域もうかがった、というのが今回の話題である。

 

「アウトモト・デポカAuto moto d’epoca」とは、イタリア最大級のヒストリックカー・ショーの名称である。2022年までは北部のパドヴァで催されてきた。伝統的に会期は10月の最終日曜にかかることが多い。その週末イタリアでは夏時間から冬時間に切り替わるから、時計を1時間遅らせるのと一緒にアウトモト・デポカを覚えている人は少なくない。

 

2023年の第40回からは、より施設が新しく、かつ広いボローニャに舞台が移された。
会場は、2017年までモーターショーが開催されていた場所だ。その消滅以降、大規模な自動車関連イベントが催されなかっただけに、メッセ運営会社としてはおおいに嬉しかったことだろう。

 

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「アウトモト・デポカ」2024の会場で。手前はフェラーリ「360モデナN-GT」。

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パーツ&アクセサリー館で。

 

引越し後2年目である2024年度は1024日から27日の4日間にわたり開催された。パビリオン数は14館、展示台数は7千台以上と記せば、規模が想像していただけるだろう。

 

パドヴァ時代からの傾向として、アウトモト・デポカは北東部という地理柄ドイツ、スイス、オーストリアといった西欧各国はもとより、近年経済力を増した東欧からの越境ビジターが少なくない。パビリオン内ではさまざまな言語が入り混じっている。

 

今回ポルシェ、メルセデス・ベンツ、ボルボなどは、イタリアの公式クラブスタンドを後援するかたちで参加した。また、フェラーリはモデナとマラネッロにある博物館のプロモーションを、ランボルギーニとマセラティは歴史車のレストア部門を紹介。ピニンファリーナは2024年に開設されたオリジナル状態証明書発行サービスを披露するブースを設けた。

 

中古車の展示館では、プロとアマチュアが入り混じって出展。近年の傾向として「価格応談・乞う連絡」よりもプライスを明示する出品が増えたのは、来場者にとって良いことだ。部品館では、陳列された中古パーツやリプロダクションのアクセサリーに自分の愛車用がないか、目を皿のようにして探すビジターがみられた。

 

WRC「はじめの一歩」✕最新・超限定車

日本ブランドで前年に続き唯一参加したのは、ローマに本社を置くトヨタのイタリア法人である。前回の彼らのテーマは「ランドクルーザー」で、まだ正式なイタリア法人が発足する以前に輸入された「BJ42」と「FJ60」を、最新の「250」シリーズと並べた。

 

対して今回のテーマは「トヨタGAZOO Racing」である。まずは一角に掲げられた彼らのモットーを紹介しよう。
TOYOTA GAZOO Racingは、 『もっといいクルマを作るために、あらゆる限界を乗り越えようと日々挑戦する』というトヨタの哲学を見事に体現しています。
私たちのレーシングチームは、革新の創造とともに、最も過酷な条件であるモータースポーツを通じて新技術を試み、解決策に命を吹き込む理想的な環境といえます。
コースでステアリングを握っている間は、自分たち自身を試すとともに、最も困難な課題から学ぶのにいちばん適した時間です(中略)
レースはトヨタの未来のDNAを生み出す鍵です。そして私たちは、すべての人に完全な自由、冒険、そして運転の喜びを提供するためにレースを続けます」

 

今回、ブースで最も注目を浴びていたのは、2代目「カローラ」のラリー仕様である。TOYOTA GAZOO Racingの公式ウェブサイトによれば、1970年代初頭、トヨタは世界ラリー選手権(WRC)にオベ・アンダーソンがステアリングを握る初代「セリカ」で参戦していた。それとは別に197311月、トヨタのカナダ法人が米国でTE20型、すなわち2代目カローラにセリカと同じ2T-Gエンジンを搭載した車両を用意。トヨタ車初のWRC優勝を手にした。

 

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41回アウトモト・デポカにトヨタ・イタリア法人が展示した2代目カローラのラリー仕様。

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特徴だった丸いお尻が懐かしい。スタッフの説明によれば、現在はドイツのコレクターのもとにあるという。

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その室内。ステアリングコラムやシートを除き、今日のラリーカーと比較すると、限りなく量産車に近い。シフトレバーの長さにも驚く。

 

その後1974年、正式にトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)として、2T-Gエンジンを搭載したTE27型「カローラ・レビン」を投入。翌1975年に1000湖ラリーで、公式チームによる初のWRC優勝を達成した。

 

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歴史写真から。クリス・スクレイターとコ・ドライバーのマーティン・ホームズ(ともに英国)が駆るカローラ・ラリー仕様。一部資料からして、1975年のRACラリーと思われる。(photo: TOYOTA ITALIA)

 

そのかたわらで、トヨタ・イタリアは限定仕様「GRヤリスTGRイタリー リミテッドエディション」を初めて一般公開した。

 

ヨーロッパで売られている標準型「ヤリス」は初代以来フランス工場製だが、GRヤリスは日本から輸入されてきた。担当者によれば、今回の限定車も日本で生産されたものだが、イタリア国内で改造を施したという。

 

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GRヤリスTGRイタリー・リミテッドエディション」。

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そのリアビュー。テールゲート左下には、専用バッジが付く。

 

3気筒1.6リッターターボエンジン、8ATGR-DAT)、4WDというのは日本のGRヤリスと同一だ。ただし最高出力は日本仕様の304PSに対し、280PSと記されている。

 

車体には往年のTTEラリー車両を反映した赤いラインが施されている。筆者の私見であるが、欧州で“ヴィンティッジ”を感じさせるスポーツウエアに若者の人気が集まっている今日、赤いラインはそれに通じるレトロ風情がある。
生産台数はWRC初優勝年からの年数にちなんで51台。価格は67500ユーロで、円換算すると約1087万円(202411月現在)だ。


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フロントフェンダーのバッジ。


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BBS18インチ鍛造ホイールは日本仕様と同じだが、「ヘリティッジ・ゴールド」仕上げが施され…

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セミスリックの「ピレリPゼロ トロフェオR」が組み合わされている。

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インテリア。

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ダッシュボードの助手席側には、限定何号車であるかの刻印プレートが付く。参考までに設定された予約金は2500ユーロ(40万円)で、デリバリーは2024年以内という。

 

■そこを狙えば、道は拓ける

このGRのイタリア限定仕様、前述のようにアウトモトデポカが初公開であったものの、もう売り切れだ。20249月にインターネットおよびミラノ、トリノ、ローマなど国内の「GR Garage」を通じて受注を開始したところ、たった2時間で完売御礼となったという。発表以前にポテンシャル・カスタマーによってソールドアウトというのは、フェラーリやランボルギーニ、もしくは高級時計で近年たびたび耳にしてきた。それがトヨタ車でも起きたのである。

 

ところで昨今ヒストリックカー界では、たとえ発売直後でも将来高い価値が見込めるモデルを「インスタント・クラシック」と呼んで珍重する。「アルファ・ロメオ・ジュリアGTAm」「アルピーヌA110S」そして「アバルト124スパイダー」がその好例だ。

 

思えばヨーロッパにおける日系ブランドの定番イメージであった「価格に対して装備豊富なお買い得車」からいち早く脱したのは「マツダMX-5」であった。独自のプレミアム性を確立してのことだった。

 

今度はGRヤリスが、インスタント・クラシックという新しい立ち位置で、従来の日本車のイメージを打破できるかもしれない。日本車がヨーロッパで新たなマーケットを拓く鍵は、このあたりにあると筆者は信じるのである。

 

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2020年からトヨタ入りし、2022年にWRC最年少王者となったカッレ・ロバンペラが開発に参画。20241月にリリースされて、日本でも話題を呼んだGRヤリス「ロバンペラ・エディション」。とくに華麗なドリフトが披露できるようチューニングされている。

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リアビュー。カラリングはロバンペラの友人が考案したものという。

4815.jpg こちらはプライベートのラリー・カスタマーのために供給されているGRヤリス「ラリー2」。

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トヨタ・イタリアのプロダクト・マーケティング部門に所属するマルコ・コンドレッリ氏()と、ロベルト・ソルデッリ氏()

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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA

 

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イタリア・シエナのタバコ店の前にたたずむ初代フィアット・パンダ(写真は本文と関係ありません)

 

日本では乗用車、とくに高級車の盗難に関するニュースが頻繁に報道されるようになって久しい。今回は、イタリアにおける事情を。

先日、フィレンツェ郊外にあるチェーン系カー用品店「ノルオート」でタイヤ交換をしたときである。毎回楽しみなのは、待ち時間中の店内散策である。

 

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フィレンツェ郊外にあるノルオートのカンピ・ビセンツィオ店。20248月撮影。

 

その店内には、盗難防止グッズのコーナーも設けられている。イタリアでは物理的にブロックしてしまう方式が今も健在だ。思えば、筆者自身も車両盗難未遂を経験したことから、ペダルロックを使用していた時期があった。もらい物の中古だから文句は言えないのだが、地味な灰色であった。盗っ人が車内に乗り込んでから装置に気づく確率が高いわけで、それ以前にドアの鍵を壊されてしまう確率が高くて不安だった。ノルオートの店頭に並んでいるような鮮やかな色なら、ウィンドウの外から見て、「だめだこりゃ」と最初から諦めてもらえる確率が高い。さらに他のノルオートのオリジナル商品同様、スタイリッシュなのが好ましい。

 

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以下ノルオートのオリジナル商品から。ホイールロックは17インチ・幅215mmまで対応可能で、34.95ユーロ(5680)


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ステアリングロック。手前の黒い半円筒形部分をハンドル上端に、黄色いバー部分をダッシュボードの上端に掛けて鍵で固定する。29.95ユーロ(4800)


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ステアリング+ペダルの同時ロック。24.9539.95ユーロ(40006500)


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バンの両開き式テールゲートに追加・後付けするロック。34.95ユーロ(5600)

 

■ドイツ人がビビる理由

イタリア内務省などの統計によると、2023年のイタリア国内車両盗難件数は131679台である。日本では統計の方法が若干異なり、また乗用車のみの数字だが、5736(データ出典:警察省)にとどまるのを考えると、イタリアでクルマ盗難がいかに多いかがわかる。

さらにイタリアでは2022年と比べて、その件数は7%増だ。乗用車に限定すると11%も増加している。発見率は44%。つまり半分以下しか見つからない。

観光シーズン真っ只中である20248月のこと。シエナ県のとある公共駐車場で、ドイツのナンバープレートが付いたフォルクスワーゲン・マルチバンT7を発見した。後輪を見ると、鮮やかな色のホイールロックがはまっていた。

イタリアでフォルクスワーゲンのマルチバンは後述する車種別盗難件数でトップ10に無い。そもそもワンボックス自体がイタリアの車両盗難の世界では“不人気車”である。したがって「そこまで慎重にならなくても良いのに」と思った。ついでに「装着したのを忘れて発進してしまったりしなければ良いが」と余計な心配までしてしまった。

しかし別の統計を見て納得した。欧州統計局(ユーロスタット)による2021年の自動車盗難件数である。1位はフランスの122700件、2位がイタリアの110171件だ。ドイツはそれに次ぐ3位だが39172件に過ぎない。すなわちイタリアでは、彼らの国の2.8倍も自動車盗難が発生しているのである。おそらくこうした数字を知って、VWマルチバンのオーナーはビビったのだろう、と想像した。

 

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ドイツからやってきた観光客のフォルクスワーゲン・マルチバンT7。左後車輪には、ホイールロックが噛まされている。

 

■ボコボコだって、気にしないわ

イタリアにおける2023年の車種別盗難台数は以下のとおりだ。

1.     フィアット・パンダ          12,571

2.     フィアット500                 5,889

3.     フィアット・プント             4,604

4.     ランチア・イプシロン       4,472

盗まれる台数の多いモデルは、いずれも過去約二十年にイタリアで販売上位の常連である。セグメントでいうとAもしくはBの小型車だ。さらにいえば、およそ10台に1台はフィアット・パンダということになる。

 

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初代ランチア・イプシロン。20248月、シエナで撮影。

 

日本における乗用車の車種別盗難ランキングでは1位アルファード、2位ランドクルーザー、3位プリウス、4位レクサスLXと高級車が目立つ。オフローダーが入っているのは、日本車の信頼性・耐久性が、悪路が多い海外市場で評価されているためとみられている。

対してイタリアでSUV/クロスオーバーは、トップ10圏外だ。その上位を見ても、フィアット500X(1997)、ジープ・レネゲード(1653)、プジョー3008(778)と、前述の小型車より明らかに少ない。

イタリアで小型車に盗難が集中しているのは、以下の理由が考えられる。第一は「盗みやすさ」である。特に初代パンダなど古いモデルは、高度な盗難防止デバイスを備えていない。

第二には「パーツ需要」だ。個人間売買サイトを含めインターネット上には、おびただしい数のパンダやランチア・イプシロン用中古部品が格安で掲載されている。けっしてそれらすべてが盗品であるとは言わないが、それだけ需要があるということだ。解体すればそれなりの闇ビジネスができる可能性が高いのである。

 

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捨てられたパンダがあると、たちまちさまざまな部品を持ち去られてゆくことからも、高いパーツ需要が想像できる。(写真は本文と関係ありません)

 

第3は、他の犯罪への使用しやすさである。レンタカー会社で借りる際も、高級車のような特別な手続きは要らない。実行中にも他車種に比べて目立ちにくい。

それを証明するような事件が、2024年夏ローマで連続発生した。地元紙「ローマ・トゥデイ」によると821日早朝、窃盗団はチェーン系家電量販店のシャッターに3代目フィアット・パンダをバックでぶつけて破壊。店内に侵入した。パンダは盗難車で、別の場所に乗り捨てられていたところを警察によって発見されたという。その直前には、同様に日本料理レストランにパンダで乗りつけて侵入を試みた一団がいたが、こちらは店員がいたため未遂に終わっている。

さらに831日から91日の深夜には、同様に盗んだ3代目パンダを後退させてシャッターを破壊する手口で、食料品店が荒らされている。警察は一連の事件の関連性を調べている。

たしかに、現代イタリアの一風景のようなパンダである。たとえ犯行予定現場の下見をしていても怪しむ人は皆無に近いだろう。ついでにいえば車体がボコボコになっても使われているパンダもけっして珍しくない。

国際ニュースの映像では、日系ブランド製ピックアップトラックが、国際機関と反政府組織の双方で使われているのを目にする。同様にパンダも人気ナンバーワンかつ、丈夫なクルマ

ゆえの光と影がある。

 

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右から3代目✕3台、初代✕1台のパンダづくし。こうした光景はイタリアでは珍しくない。(写真は本文と関係ありません)

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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYABMW

 

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マルチェッロ・ガンディーニ回顧展で。「ベルトーネBMWガーミッシュ(中央)」。2024年5月26日コモで撮影。

 

2024年3月に85歳で死去したイタリアのカーデザイナー、マルチェッロ・ガンディーニを回顧する車両展示が526日、イタリア北部コモ湖畔で催された。

コンクール・デレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の一般公開日に行われたもので、彼がベルトーネのチーフデザイナー時代に手掛けたものと、独立後に参画したものの計12台が集められた。最も古いモデルは1970年「ランボルギーニ・ミウラP400」で、最も新しいモデルは1999年同「ディアブロGT」だった。

 

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マルチェッロ・ガンディー二回顧展は、「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の一般公開会場であるヴィラ・エルバを舞台に行われた。個人オーナー、メーカーそして団体が所有する計12台が集められた。

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マルチェッロ・ガンディーニ(1938-2024) photoBMW

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1971年「アルファ・ロメオ・モントリオール」

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1975年「ランチア・ストラトスHF」グループ4仕様

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「マセラティ・カムシン」。マセラティがシトロエン傘下にあった時代に開発された。

 

■「消えたコンセプトカー」の復刻も

そのいっぽうで、一般の人々からあまり知らないガンディーニ作品もディスプレイされた。

1台は「イソ・リヴォルタ・レーレ」である。イソ社の創業者レンツォ・リヴォルタの息子ピエトロ・リヴォルタ時代に企画されたモデルで、米国市場を意識した快適なグラン・トゥリズモだった。

ベースは先代モデルのイソ・リヴォルタ「IR300/340」で、V8気筒エンジンは当初シボレー製が、のちにフォード製が用いられた。Leleとはピエトロ・リヴォルタの夫人ラケーレの愛称だった。1969年ニューヨーク・ショーで発表された。

デザインは同じくガンディーニの手によるランボルギーニ「ハラマ」に似た22で、極めてルーミーな内装を実現していた。しかし、石油危機によるグラン・トゥリズモ市場の急激な縮小に耐えられず1974年、イソ自体が経営の継続を断念。レーレは、あのイセッタから始まったブランドの、有終の美を飾ったモデルとなった。

 

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「イソ・リヴォルタ・レーレ」。同じくガンディーニがデザインしたランボルギーニ・ハラマと比較すると、全長は165mm長く、全幅は70mm狭い。


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イソ・リヴォルタ・レーレ()と、1989年「ランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリー」

 

次なる1台は「BMWガーミッシュ」である。ベルトーネの社主ヌッチオ・ベルトーネは、1962年「3200CS」で始まったBMWとのさらなるコラボレーションを模索。「20002Tii」を基にしたコンセプトカーをガンディーニに命じた。車名はBMWの本社所在地と同じバイエルン州にあるスキーリゾート、ガーミッシュ=バルテンキルヒェンにちなんだものだった。ネーミング自体がBMWへの熱烈なラブコールだったのである。

ガーミッシュはツーリングカーレースの勇者でもあったベース車と対照的に、優雅なムードが溢れる2ドアクーペであった。1970年のジュネーブ・ショーでデビュー。ショー閉幕後はBMW本社に運ばれた。ところが同社の説明によれば、そこで行方不明になってしまった。

今回展示されたのは、BMWグループデザインを率いるエイドリアン・ファン・ホーイドンクが、
2019年にガンディーニ本人の監修を得て再現したものだ。そのお披露目以来初めてヴィラ・デステに帰ってきた。

 

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2019年にBMWの手で再現された1970年のコンセプトカー「ベルトーネBMWガーミッシュ」()

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ベルトーネBMWガーミッシュ

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後部のハニカム状ルーバーは、3Dプリンターを駆使して再現された。

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ガンディーニ()とエイドリアン・ファン・ホーイドンク()photoBMW

 

■天才デザイナーの、別なる功績

「シトロエンGSカマルグ」も興味深い。ヌッチオ・ベルトーネは、BMWへのアプローチと同様にシトロエンとの協業も探った。そこでガンディーニは生産型シトロエンGSをベースに、部下のマルク・デュシャンとともに、琥珀色の広いグラスエリアを備えた前衛的なクーペを製作。1972年ジュネーブ・モーターショーに展示した。これがシトロエンGSカマルグであった。ハイドロ・ニューマティックサスペンションをはじめとするオリジナルがもつ先進的機構にふさわしい雰囲気を湛えていた。

 

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1972年「ベルトーネ・シトロエンGSカマルグ」

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小型車シトロエンGSをベースにしていた。

 

GSカマルグの結果には2つの説が存在する。第一は、後述するASIによるもので、シトロエンが1974年にプジョー傘下となったことで、ベルトーネの目論見は未完に終わったというものだ。第二は今日シトロエンが説明するように、1982BXから始まり、XM、エグザンティアと続いたベルトーネ・デザイン系量産モデル誕生のきっかけとなった、と見る説である。

 

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1994年「シトロエンBX19GTI 16V」。筆者の感想としては、よりガンディーニのデザイン意図がわかる初期型をフィーチャーしてほしかった。

 

それはともかく、このGSカマルグもBMWガーミッシュとは違った意味で、特異な経緯をたどった。ジュネーブ展示後、長年同車は当時トリノ郊外カプリエにあったベルトーネの社内ミュージアムに保管されていた。
しかし2008年、同社は破産。会社を買い戻すことを意図したヌッチオの未亡人リッリ・ベルトーネは2011年、まずはコレクション中の6台をRMサザビースのオークションで売却した。

いっぽうで残りの79台については、かつてコレクション自体が文化財指定されていたこともあり、イタリア文化財保護省による「国内保存かつ分売不可」という条件を守らなければならなかった。最終的に20159月、イタリア古典車協会(ASI)が一括で落札。その中の1台がこのGSカマルグだった。

GSカマルグは他の車両とともに20187月、ASIの手配によって、ミラノ・マルペンサ空港近くのヴォランディア航空科学博物館に収められた。しかし、元航空機工場棟を改造した展示館は古く、カマルグの魅力を引き出すには十分とはいえなかった。

その後ようやくGSカマルグは、2019年にパリのレトロモビル・ショーにおけるシトロエン100周年記念展示の際、博物館の外に出た。いっぽう今回は陽光の下で鑑賞できる珍しい機会となった。

ガンディーニを語るとき、とかくランボルギーニ「カウンタック」や「ランチア・ストラトス」といった華やかなマスターピースが話題にのぼる。しかし、彼が小さなブランドを世に知らしめるため、また企業としてのベルトーネの顧客リストをより拡張するためにデザインしたモデルもあった。そうした業績を世に知らしめるため、彼の隠れた名作にこれからもスポットが当てられてほしいと切に願う筆者である。


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GSカマルグは現在、イタリア古典車協会が所有している。






プロフィール
Akio Lorenzo OYA
Akio Lorenzo OYA
大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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