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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA  写真 Akio Lorenzo OYA, Stellantis

 

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渋谷の夜、銀幕のアルファ・ロメオを語る

Stellantis ジャパンは2026年9月24日夜、東京・渋谷でUna Notte Speciale(イタリア語で特別な夜)と題したイベントを催した。最新の限定車「ジュニア イブリダ スポルト スペチアーレ」と「トナーレ イブリダ スポルト スペチアーレ」の披露を伴ったカクテルパーティーだった。普段イタリアに住む筆者だが、ちょうど東京を訪問していたため参加の幸運に恵まれた。

 

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アルファ・ロメオUna Notte Specialeの会場となった渋谷のトランク(ホテル)キャットストリートで。Ayasa氏が演奏する映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のサウンドトラックで華やかにスタートした。

 

当日の特別企画は「アルファ ロメオと映画」を語るセッションだった。ゲストとして俳優・フィルムメイカーの斎藤 工氏が登壇。映像作品に関する豊富な知識をもとにトークを繰り広げた。相手役を務めたStellantis ジャパン イタリアンブランド責任者の黒川進一氏も、自らのイタリア在住経験を交えながら、独自の視点で映画観を熱く語った。

5803.jpgアルファ・ロメオと映画についてトークを展開する斎藤 工(中央)、黒川進一(右)の両氏。

 

2人が最初に紹介したのは、スクリーンのアルファ・ロメオを語るうえで欠かせない1967年のアメリカ映画『卒業(原題:The Graduate)』だった。封切り当時のポスターが投影されると斎藤氏は、初めて観たときサイモン&ガーファンクルによる主題歌の印象が鮮烈だったことを振り返るとともに、主人公ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)が乗る、大学卒業記念プレゼントの「スパイダー“デュエット”」について語った。

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アルファ・ロメオ「スパイダー“デュエット”」。アレーゼのアルファ・ロメオ博物館で2026年7月撮影。

 

続いて紹介されたのは、1969年のイタリア映画『さらば恋の日(原題:Un bellissimo novembre)』だ。『ニュー・シネマ・パラダイス』同様、どこか切ない音楽はエンニオ・モリコーネによる。こちらの作品には初代「33ストラダーレ・プロトーティポ(プロトタイプ)」が登場し、華麗なエグゾースト・ノートでミサの参列者を驚かせる。

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アルファ・ロメオ初代「33ストラダーレ・プロトーティポ」。photo: Stellantis

 

これは筆者の見解だが、『卒業』『さらば恋の日』は、ともに青春恋愛映画で、主人公が前者は父親のビジネスパートナーの夫人との情事、後者は戦後イタリアを代表する女性俳優の一人ジーナ・ロッロブリジダ演じる叔母に恋心を抱く。どうやら禁断の恋にアルファ・ロメオは似合うようだ。

 

トークイベント後半では音楽ディレクターの田中知之氏が合流。「イタリアのB級映画が面白い」と語る彼は、1968年の『女性上位時代(原題:La matriarca)』を紹介した。こちらはサディズムとマゾヒズムに目覚めた若き未亡人ミンミ(カトリーヌ・スパーク)が展開するセクシーなコメディである。劇中では、彼女の男性遍歴の一人となる男(ガブリエレ・ティンティ)が「ジュリア・スプリントGT」に乗って登場する。筆者が補足すると、『男と女』(1966年)でレーシングドライバーを演じたことで知られるジャン=ルイ・トランティニャンも彼女を診察する放射線医役で出演する。

 

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1960年代のイタリア映画とそのサウンドトラックの魅力を強調した田中知之氏(右)。

 

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「ジュニア・スプリントGT」が登場する『女性上位時代(原題:La matriarca)』を語る。筆者としては機会があれば、同じ作曲家アルマンド・トロヴァヨーリがサウンドトラックを担当した『黄金の七人』についても田中氏と語りたいものである。

 

■名優は、うまく斬られる

彼らのトークでは『卒業』のエンディング近くで、スパイダー“デュエット”がガス欠で止まってしまうことも話題として取り上げられた。それを基に、ここからは筆者のアルファ・ロメオ観を記したい。名優マルチェッロ・マストロヤンニを見ればわかるように、イタリア映画の二枚目俳優というのは、どこかとぼけた、もしくは抜けたところが味である。そうした意味で、スタイリッシュでありながら最後にガス欠するアルファ・ロメオは、まさに“とぼけた二枚目”を演じているのである。

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斎藤 工氏のフォトセッション。60台の限定車「トナーレ イブリダ スポルト スペチアーレ」とともに。冒頭写真は同氏と、140台限定の「ジュニア イブリダ スポルト スペチアーレ」。


同時に筆者の視点からすると、アルファ・ロメオは名脇役でもある。トークショーでは話題に上らなかったが、前述の『さらば恋の日』では、主人公である青年の叔父が別荘まで運転するのは白の初代「ジュリア」標準仕様である。その朴訥な佇まいは、後で登場する33ストラダーレを無言のうちに引き立てている。


こちらもその晩は採り上げられなかったが、さらなる好例が2008年の『007/慰めの報酬』だ。ストーリーの冒頭でダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンドの「アストン・マーティンDBS」を追う、敵役の「159」である。ガルダ湖畔で壮絶なカーチェイスを繰り広げた挙句、カッラーラの大理石採掘場で崖から転落してゆく。

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アルファ・ロメオ「159」 photo:Stellantis

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トークショーの後は、田中氏のDJでイタリア映画サウンドトラックとともに、名産チーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」をはじめとするアペリティーヴォを楽しんだ。

 

時代劇の殺陣では主役の立ち回り以上に、敵役のアクションがシーンを決める。つまり、斬られ方だ。「159」はイタリアが舞台であることの象徴として登場しながら、満身創痍でパフォーマンスを披露し、最後は銃撃を受けて消えてボンドとDBSを立てる。見事な斬られ役だ。そうした意味でも映画の中のアルファ・ロメオは名優なのである。

 

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「ジュニア イブリダ スポルト スペチアーレ」と筆者。

 

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アフターパーティーはホテルの屋外にある串焼き店「TRUNK(KUSHI)」で、いつ果てるともなく続いた。

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企画展「スパイダーはアルファ・ロメオ」会場で。

 

2026年はアルファ・ロメオ・スパイダー“デュエット”の誕生60周年である。それを記念して、ブランドゆかりの地・ミラノ郊外アレーゼのアルファ・ロメオ博物館では企画展示が行われている。タイトルは「スパイダーはアルファ・ロメオ Spider è Alfa Romeo」だ。

 

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企画展示は博物館の開館50周年の一環でもある。

 

■始まりは“イカの骨”から

展示スペースは入場ゲートを入った直後の小さな一角だが、会期を4期に分け、そのたびに展示車を入れ替えている。具体的には、その後部形状から“イカの骨 Osso di seppia”と呼ばれた1966年の初期型、まさにそのテールを改変した1969年のコーダ・トロンカ、新意匠の前部バンパーとともに当時の潮流であった樹脂製スポイラーを与えられた1983年以降の通称“アエロディナミカ(空力)”、そして1990年の最終型、という流れだ。

 

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すでに展示を終了した初期型展示期間の光景。 (photo : Stellantis)


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これは常設展示の1600スパイダー“デュエット”。2本通ったキャラクターラインが後部に向かって下降する。そのさまは、ほぼ同時期にピニンファリーナがデザインした410型ブルーバードとの近似性を感じさせる。

各モデルの歴史についてはさまざまなメディアで語り尽くされているので、今回は繰り返さない。代わりに会場の展示物や解説から興味深いものをお伝えしよう。

 

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初代やコーダ・トロンカのファクトリー・フォト、さらに5段変速機の各段における回転数/速度相関チャートが並ぶ。(photo : Stellantis)

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歴代の取扱説明書やカタログの表紙も、来館者の目を楽しませてくれる。(photo : Stellantis)


多くの人が知るとおり、デュエット Duetto(よりイタリア語に近く発音すればドゥエット)とは二重奏、またはソプラノとテノールの二重唱を意味する。アルファ・ロメオの歴史資料などが示すように、その名称は1966年ジュネーブ・モーターショーを機に開始された公募で選ばれたものだった。今回、展示スペースの一角には、実際に使われた応募用紙が拡大掲示されている。文字を読むと、「名前を与えてあげてください。それは有名になるでしょう」「応募には記入のうえ、ハガキを切り離し、切手貼付のうえ投函してください」と記されている。

 

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車名募集の応募ハガキが拡大掲示されている。

 

だが、実際には予期せぬ展開となった。先にDuettoを商標登録していた著名菓子製造会社「パヴェージ」から、自社製おやつ菓子と同名であると異議を申し立てられたのだ。結果として実車は単に「1600スパイダー」として発売されることになった。今日でも“デュエット”とダブルクォーテーション付きで記されるのは、正式名称ではなく愛称であるためだ。

ガラスケースに展示された資料も一見の価値がある。たとえばあるイタリアの雑誌には、スパイダーを一躍有名にした1967年のダスティン・ホフマン主演映画『卒業』の車両撮影風景が掲載されている。

 

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アルファ・ロメオ・スパイダーが映画『卒業』で劇中車となったことを報じた雑誌。

 

さらに、モーターショーにおけるアルファ・ロメオ・スタンドを検討する際に描かれたと思われる洒落たイラストレーションもある。いずれも、当時は産業復興公社(IRI)という公営組織の傘下にあった企業としては、あまりに華やかな軌跡といえる。

 

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1973年ロンドン・モーターショーにおけるアルファ・ロメオ・スタンドのイメージ図。

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別のスタンドをイメージしたイラストレーション。「アルフェッタ」「モントリオール」の向こうにスパイダーが見える。

 

■詩人も惚れ込んだ

ところでアルファ・ロメオ・スパイダーを語るとき、初期型を至上とする愛好家もみられる。しかし、時代の潮流を採り入れながら変化を重ねてきたからこそ、“おじいちゃんのクルマ”とならずに、1994年まで28年にわたって生き延びたのである。

 

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以下は2026年7月、「コーダ・トロンカ」期の展示車。1971年2000スパイダー・ヴェローチェ(ジャンニ・レオポルド・ストッコ蔵)。

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1973年スパイダー1300ジュニア(エットレ・ガリアルディ蔵)。

今日、保安基準や環境対策など、自動車を取り巻く環境は過去と比較にならない速度で変化している。アルファ・ロメオ・スパイダーのようにひとつのモデルを長期にわたって作り続けることは、けっして簡単ではない。しかしながら、「モデルチェンジのためのモデルチェンジ」を繰り返しもはや何代目かわからなくなってしまったクルマが溢れる中で、根強いファン層を育ててゆくための、ひとつの手本がここにあるのではないか。

 

最後にふたたび“デュエット”に話を戻せば、取り下げられた車名が、愛称として60年にわたり親しまれている。その理由を示すヒントは、20世紀イタリアの詩人で、車名選考時の審査員も務めたレオナルド・シニスガッリの言葉にある。

「Duetto。発音も綴りも明瞭な言葉。この『d』と『t』だけで、すでに美しく洗練された名前だ。(中略)つまり、この自動車は優雅さと力強さのハーモニーを生み出すと同時に、おそらくはカップル、すなわちクルマを運転する人とそのパートナーのハーモニーをも生み出す」

 

2人乗りとしての秀逸なデザインと、美しいネーミングの幸福な結婚。それが、このクルマを名車にした。だからこそ今も、企画展タイトルさながらに「スパイダーといえばアルファ・ロメオ」と言うイタリア人が絶えないのである。


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1981年スパイダー1600(ライモンド・グラツィオーリ蔵)。スパイダーは、デザインのみならず車体製造も担当したピニンファリーナ社にも大きな利益をもたらした。

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トリノのアルベルトさん宅。入った途端、頭上のラジカセ以前に、筆者の目は「ソファ」に釘付けにされた。

 

■只者でない家主

先日トリノに滞在する際、宿泊仲介プラットフォームを介して個室を借りた。家全体ではなく、一部屋を借りるタイプである。バスルームはホストと共用の形式だ。

 

夜、セルフチェックインで室内に入って、いきなり目に飛び込んできたものといえば、リビングに置かれたソファであった。どう見ても自動車の後部座席である。その特徴的な意匠は、何のクルマのものであるか筆者には即座にわかった。シュペール・サンクこと2代目ルノー5用だ。それも「バカラ」仕様の革張りシートである。

 

5バカラについて説明しておくと、ルノーがトップモデル25(ヴァンサンク) の高級仕様車バカラ投入に合わせて企画した5版である。1987年から1990年に生産された。「殿方は25、奥様は5の、いずれもバカラはいかがですか」というマーケティングだった。ご存知のようにBaccara とはトランプゲームの一種である。なお、後年ルノーの高級仕様は「イニシアル」という名称に置き換えられる。背景には−たとえ綴りが異なっても−高級クリスタルガラス・ブランドのバカラ(Baccarat)社による抗議があった。

 

リビングに続く空間に足を踏み入れると、同じく5バカラの前部座席を取り外し、パーソナルチェアに改造したものも発見できた。

 

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明らかにルノー5バカラのリアシートである。

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2026年1月、パリで開催された「レトロモビル」で販売されていたルノー5バカラ。走行8万9千キロメートルで、価格は6990ユーロ(約128万円)だった。

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座席下を見ると、フォークリフト用パレット+キャスターが取り付けられていた。

 

廊下には本物の道路標識やカーブミラーが掲げられている。ヒーターの放熱板上にはオリベッティの歴史的タイプライター「レッテラ32」、見上げれば懐かしいラジカセ(ラジオカセット・レコーダー)もある。筆者にあてがわれた寝室にも古いベスパの広告レプリカが掛けられていた。家の主がそれなりの趣味人であることを直感した。

 

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オリベッティ・レッテラ32。名デザイナー、マルチェッロ・ニッツォーリによる作である。

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アルベルトさんは2026年で37歳。

 

本人に対面できたのは、翌日夕方になってからのことだった。アルベルトさんは1989年生まれ。聞けば、市内きっての人気ナイトスポットで働いていて、勤務時間は夕方から深夜3時までのため、昼間に睡眠をとっているのだという。昨晩会えなかったのは、出勤後のためだった。

筆者が、「その椅子、バカラのですよね?」と言うと、アルベルトさんは「よくわかったな」と驚いた。続いて彼の口からは、思い出話が溢れ出た。

 

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こちらはフロントシート。

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下を覗く。こちらも家庭用にモディファイするための苦労がにじむ。

 

5バカラは、トリノ郊外で中古を発見し、ひと目惚れしたのだという。「いちばん長いツーリングは、ガールフレンドとジブラルタルまで行ったよ」

地中海をフェリーで横断したのかと思いきや、なんとアルベルトさんは陸路を辿っていた。トリノを出発し、まずリグリア地方へと南下。リヴィエラ海岸に沿ってフランスを横切ったあとスペイン入りし、イベリア半島の南東端に突き出した英国領ジブラルタルに至るドライブだった。「往復で6千キロメートル走ったよ」。その間、5バカラはトラブルに見舞われなかったばかりか、彼いわく「オイルを1滴も垂らさなかった」とのこと。

 

■たとえクルマを失っても

かくも溺愛していた5バカラに今も乗っているのかと尋ねると、彼は首を横に振った。残念ながら事故に遭い、廃車にせざるを得なかったのだという。その際に前後シートを取り外し、後席はキャスターを取り付けたフォークリフト用パレットに載せ、前席にも工夫の上キャスターを付けて自宅の椅子にした、というわけだ。

 

レカロをはじめ自動車用バケットシートをオフィスチェアにする例は時折みられる。だが、5バカラのようにソフトで上質感が漂っていた頃のフランス車用シートも、十分家庭用に値する、と筆者は思う。

 

アクシデントで愛車を失うのは、やはり悲しい。ジブラルタルまでの道のりをともにしたガールフレンドも、今はもう彼のそばにいない。シートは、ステアリング以上に長くオーナーの肌に触れてきた自動車パーツである。思い出ごと部屋に迎え入れ、いつまでも寄り添って暮らす――なんとも洒脱な選択ではないか。


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壁には標識やカーブミラーのコレクションが。


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写真 大矢麻里 Mari OYA/Akio Lorenzo OYA

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フィレンツェのメンズファッション見本市「ピッティ・イマージネ109」の「FHストア」で。2026年1月撮影。

 

■愛車を失った代わりに夢を実現

世界屈指のメンズモード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。年2回イタリア・フィレンツェで開催されるこのトレードショーは、紳士ファッションの行方を占うものとして知られている。日本の有名百貨店を含め世界のバイヤーが訪れることでも有名だ。主に2026/27年秋冬モードが展開された2026年1月の第109回は、758の出展者と1万9千人近いビジターで賑わった。

 

出展社のひとつ「FHストア」は、ずばり古き佳き時代の4輪・2輪にインスパイアされたファッションアイテムを扱うショップである。栄枯盛衰が激しいこの世界を反映し、ピッティでは少し前まで大きなブースを構えていたブランドでも忽然と姿を消えていることが珍しくない。そうしたなか「出展19年目」と、社主のマッシモ・ロニグロさんは胸を張る。

 

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FHストアは1970年代のモータースポーツ・シーンを反映したアイテムのショップ。

 

1960年生まれの彼は、自動車レースが最も輝いていた1970年代に青春時代を送った。続く80年代はデザイナーとして服飾界で経験を積んだ。仕事の傍らで、モータリングライフもおおいに謳歌した。「二輪はBMW、ドゥカティ、カワサキ。四輪はBMW、ポルシェ、そしてメルセデスといったブランドをひととおり楽しんだよ」

 

みずからのショップを開いたのは2007年のことだった。「開業資金を調達するために(ポルシェ)964カレラ2カブリオレを失ったけどね」とマッシモさんは笑う。当初はガルフ、ホイヤー、ル・マン24時間レースなどにちなんだアパレル製品を扱っていたが、後年自らプロデュースするレトロ風情溢れるヘルメットの限定販売も始めた。

 

オリジナルブランド「ヴィンティッジ・レースFHイタリア」は「私自身のヒストリックカーおよびヴィンティッジ・バイクへの情熱の投影」と語る。デザインはすべてマッシモ氏本人が監修している。他社の多くが低コストを追求し生産を東欧など国外に移行するなか、すべてイタリア国内で行い、各アイテムは200〜500点という厳格な限定数を守っている。

 

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牛革製バッグは280〜590ユーロ。

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エイジング&ディストレスト加工が施されたジャケット。以下、多くは来シーズンのものなので価格は問い合わせのこと。

 

今回のピッティで彼が強調していたのはグローブ、つまり手袋のコレクションだ。世界的アパレルブランドの製品も手がける専門工房に発注したもので「1970〜80年代のポルシェ車のシートに使用されていたのと同じテキスタイルを使った」とマッシモさんは説明する。その生地は手袋だけでなく、ヘルメットの内張りやキャップにも。さらにパターンはシルクのスカーフにも反復されている。ラムレザーを用いたジャケットもイタリア国内において総手縫いで仕立てられている。

 

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主宰するマッシモ・ロニグロさんは2026年で66歳。

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往年のポルシェのテキスタイルを再現したグローブ。

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スカーフにもパターンが反復されている。

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こちらのスカーフには、往年のレースにおける名シーンがプリントされている。

 

■ほろりとさせるレター

そうした彼のブースでグリーンのバルケッタが映った1枚のチラシを発見した。何かと聞けば、マッシモ氏は「映画ですよ」と教えてくれた。『ローラ・バム 心の機械仕掛け Lola Bum La meccanica del cuore』と題したイタリア映画で、ストーリーは筆者が住む中部トスカーナを舞台にした、ほろ苦いコメディだ。そういえば地元では2025年秋、劇中に登場する看護師、修理工場のお客、レースのコミッショナーといったエキストラが募集されて、ちょっとした話題となった。インディーズではあるが、この作品にヘルメットをはじめ小道具を監修・提供したという。公開は2026年中が予定されている。

 

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2026年公開予定の映画『ローラ・バム 心の機械仕掛け』のチラシ。

 

いっぽうで筆者は、商品に添えるためマッシモさんがしたためたレターも発見した。

「弊社製品をお選びいただき、ありがとうございます。

私たちは20年間、人々の感情を揺さぶる象徴的な製品を探し求めてきました。

伝説の70年代の思い出と感情。

あなたが選んだ靴は、1970年代に有名なシチリアの職人によってクレイ・レガッツォーニや ジョー・シファート(シフェール)、ニキ・ラウダ、そしてエリオ・デ・アンジェリスなど当時の有名ドライバーのために手づくりされた有名なドライビングシューズからインスパイアされています。

このブラウン、とりわけコニャック色は名門レース、タルガ・フローリオで1970年にジョー・シファートが履いていた靴から着想を得たものです。ガルフ・カラーの伝説のポルシェ908を操縦したときです!

ヴィンティッジカーを操縦するときも、ヴィンティッジバイクを操るときも......幸運をお祈りします。

FHストア  イタリア」

 

商品を受けとったカスタマーの笑みが目に浮かぶフレーズではないか。通販が日常生活において通常の消費行動となったなか、逆にこうしたエンスージアスト泣かせのフレーズは顧客の心をしっかりとつかむに違いない。

 

ピッティ期間中、マッシモさんのブースの目的は当然新規の取引先を開拓することだ。しかし、クルマ好きのバイヤーや同業他社の人にとって憩いの場にもなっている。次は6月。どのように栄光の70年代を“切り取って”見せてくれるのか、今から楽しみである。

 

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クルマ好きの涙を誘うフレーズ。

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オリジナルブランドは自身の店のほか、ザルツブルクやモンテカルロなど国外を含む15都市のパートナーでも展開している。

FH Store https://fhstore.it/


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文・写真  大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

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いつから置かれているのだろうか、2009年登録のフィアット500。

 

■ルノー・クリオ、ご難

ルノー・クリオ(日本名ルーテシア)の部品盗難がフランスで頻発している。2025年後半から現地メディアによって次々報じられている。狙われているのは、クリオ5といわれる5代目モデルだ。路上や駐車場に置かれた車両だけでなく、車庫で保管されていた車も被害に遭っている。

盗まれた部品の多くは、インターネットを通じて販売されている。「アクテュ・ポワン・エフェンヌ」紙電子版によると、リヨン南郊サンテティエンヌでは2ヶ月に2回部品を盗まれてしまった不幸なクリオ5オーナーもいた。また、フランスの主要テレビ局TF1は、リアシートを盗まれてしまった所有者を報じている。

クリオ5の部品盗難が相次ぐ理由はきわめて簡単だ。同車はフランスにおける最多販売車種のひとつだからである。2025年に10万0101台を記録し、2位プジョー208の7万3092台を大きく引き離した。

ドアミラー、ヘッドランプなど損傷しやすい部品と、リアビューカメラ、タッチスクリーンなどの人気アクセサリーが狙われやすいという。いずれも純正品は高額なため、中古品をインターネット検索するユーザーが多いことも、犯罪を助長している背景にあるとみられている。

いっぽう今回読者諸氏にご覧いただくのは、希少な車が数々放置されているにもかかわらず、意外にも荒らされていない、奇跡的な駐車場である。


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ルノー・クリオ5最終型(向かって左)。2025年7月、イタリア・シエナ市内の販売店で撮影。



■空きが目立つパーキングにあった車たち


場所はイタリア北部の一都市にある公共駐車場だ。スロープをともなった立体式で、屋上まで含めると6層になっている。収容台数は630台である。

2025年初夏、偶然訪れた筆者が建物内に入った瞬間に感じたのは、観光地として誰もが知る街でありながら、妙に空いていることであった。同時に驚いたのは、長いこと動かされていないと思う車が次々と現れたことであった。

筆者が車を駐めようとした階にあった赤いフィアット500(312型)は、ナンバープレートからして2009年登録である。埃のかぶり方からして、昨日今日に置かれたものではないことは即座に想像できた。他階も含め場内を回ってみると、メルセデス・ベンツEクラス(W124)をはじめ、ちょっと古い高級モデルが何台も置かれている。500と同様に埃まみれであると同時に、気がついたのは、いたずらされた跡がほとんど見受けられないことだった。


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メルセデス・ベンツEクラス W124の後期型。スリーポインテッド・スターは失われているが、それはイタリアで当たり前の光景である。


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新車時代から希少だったアルファ・ロメオ166もあった。

愛好家にとってはコレクターズアイテムになりそうなヒストリックカーも発見できた。古い英国ナンバーが付いたMG MGBや1968年モデル以前の初期型ランチア・フルヴィア・ベルリーナといった車たちである。最も驚いたのは、1967年登録と思われるデイムラーV8 250だ。本場英国でも生存台数約1000台といわれる希少モデルである。


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新車当時はジャガー・マーク2の姉妹車だったデイムラーV8 250。

どうして駐車場がこうした状態になったのか。まず、なぜガラガラなのかについては、後日さまざまな資料を読むうちに判明した。一言でいえば計画のずさんさと立地のひどさだ。市街地の駐車場不足問題を解消するため、州および市が巨額の費用をかけて建設して2006年に開業したこの施設は、実は新交通システム構想と一緒だった。車を置いて街に行く、いわゆるパーク&ライド用というわけである。しかし、肝心の新交通システム建設開始の具体的目処は、いまだ立たない。駐車場のほうが先にできてしまったのである。

市街地との距離は2.5キロメートル。歩くと優に30分を要する。“陸の孤島”から脱出するには従来の路線バスに頼るしかない。しかも駐車場の営業時間が24時間ではなく朝6時30分から夜の9時までと限られているところも、人々から敬遠される理由になっているのは間違いない。観光地における売りのひとつであるナイトライフを楽しむには、まったく使えないのである。


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MGBは錆が結構浮いている。


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MGB。英国ナンバーが付いた右ハンドル仕様である。


■“名車”が集まってしまった背景

次に、なぜヒストリックカーが滞留してしまうのかについて考えてみた。第一の理由は料金が1日1ユーロ(約185円)と、今日破格ともいえる料金であることだ。年間料金も設定されていて、こちらも350ユーロ(6万5千円)だ。

屋根付き・場内監視カメラ付きであるうえ、郊外ゆえいたずら目的の輩が市街地より少ないのも保管に好都合なのだ。また、本連載第45回「なぜ廃車に惹かれるのか」に記したように、放置車に関する行政対応が追いつかないことも背景にあるのは明らかだ。追いつかない以上に対策に着手しにくい雰囲気なこともあるだろう。前述のように格安料金ゆえ、明日オーナーが帰ってきて(さすがにジャンプケーブルによる始動は必要そうだが)エンジンをかけ、料金を精算して去ってゆくことだって有り得るのだ。

車種に趣味性が高いのには理由がある。伝統的に一帯は繊維や家具工業を基盤とした、イタリア屈指の豊かな都市だからである。

もちろん、盗難車などの事件性が皆無とはいえないだろう。さらに、オーナーが維持しきれなくなって捨ててしまったとも考えられる。屋外で雨ざらしにするよりも、心が傷まないに違いない。もしくは、病院の駐車場でよくあるように、持ち主に放置の意図はなかったのだが死去してしまった、というケースも考えうる。オーナー本人とは対照的に車に関心がない家族−−イタリアではよくあることだ−−が、ここに生前の愛車があることをまったく知らない…といった場合だってあろう。


冒頭のルノー・クリオのような部品盗難は由々しき問題だ。だが、このようにほぼ無傷で放置されてしまった高級車も、筆者にさまざまな物語を想像させてしまい困るのである。


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ランチア・フラヴィア・ベルリーナ。被せておいたカバーが強風で飛んでいまい、ロープのみが残ったのだろうか。隣にはメルセデス・ベンツCLKカブリオレが。


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デイムラーV8 250はヒョンデ・テラカンのそばにたたずんでいた。


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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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