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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

 

■ホイールキャップがさらに充実していた

フランスを発祥するチェーン系カー用品店で、日本でもオンラインストアが運営されている「ノルオート」。本連載では、2021年から毎年イタリア・フィレンツェ郊外の店舗を訪問してきた。今回もおよそ1年ぶりに訪問してみた。

 

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フィレンツェ郊外にあるノルオート カンピ・ビセンツィオ店。オープンは20174月だから、早くも7年目に入ったことになる。

参考までにイタリア語でNorautoは「ノラウト」、フランス語では「ノロト」に近い発音である。

 

ちなみに今回の目的はオイル交換で、筆者のクルマの場合94.35ユーロ(15千円)だった。内訳はノルオート純正オイル5リッター+オイルフィルター 89.95ユーロ、廃棄物処理費用1.5ユーロ。これに、接触部分の保護費用(シート、カーペット、ステアリングなど。恐らく新型コロナウィルスの規制が厳しかった時代の名残だろう)2.9ユーロが強制的に加わっている。だが、合計金額からすると巷の修理工場やガソリンスタンドの標準もはるかに安い。

 

さて、本題である。前回訪れた第32回では「WRC(世界ラリー選手権)」ブランドのホイールキャップがあることを記したが、今回は「ノルオート」オリジナルおよび「ミシュラン」の樹脂製ホイールカバーが並んでいた。いずれも、どのクルマにもフィットしそうな好デザインだ。ミシュランに至ってはセンター部分にリフレクターが付いていて、それは夜間の側方視認性向上に寄与するという。

 

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ノルオートの汎用ホイールカバー。16インチ用は36.95ユーロ(5800)

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ミシュランのリフレクター付き汎用ホイールカバー。15インチ用は44.95ユーロ(7400)。ただし、30%レジ割引のステッカーが。

 

ミシュラン・ブランドの、ジャッキ、タイヤコンプレッサー、高圧洗浄機も販売されていた。このあたりはさすがフランス系といえる。

 

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ミシュランは、まだまだ続く。各種ジャッキ、ジャッキスタンド(ウマ)、タイヤコンプレッサー。

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高圧洗浄機、フットポンプ、そしてインパクトレンチ。

 

■あのボルボのアイディア装備も

次にステッカーのコーナーを見る。真っ先に目に入ったのは、フィアット500用各種である。同車がデビュー後15年経過してもイタリアにおいて登録台数3(2022)という、ロングセラー&人気車種であることを物語っている。いっぽう、ミリタリー・スターのステッカーは、ジープ・レネゲード(参考までに、イタリアで販売されているのは国内工場製である)の純正アクセサリーで人気に火がついたものだ。

 

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フィアット500のダッシュボード用イタリア・トリコローレ(3色旗)ステッカー。イタリア「クアトロエッレ」社がメーカー公認で製造している。

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同じくクアトロエッレ社の製品から。汎用のトリコローレ・ステッカー。

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ジープ・レネゲードの人気を背景に人気上昇中のミリタリー・スター。

 

ただし個人的にもっと気になったのは、「チケットホルダー」である。長年ボルボ車のフロントウィンドウ、Aピラー脇に付けられてきたのに似た透明のクリップだ。パーキングチケットを置いておく際、ガラスとダッシュボードの隙間に入り込んでしまう恐怖、またはドアを締めた途端風圧で舞ってしまう不安をいつも感じている筆者としては、どんなクルマにも後付けできるのは有り難い。

 

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ボルボ風チケットホルダーは2.99ユーロ(480)

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本文には記していないが、ついでに見つけたサンバイザーのオーガナイザー。ゴムバンドに挟む方式で、収納ポケット式よりも小洒落ている。9.95ユーロ(1580)

 

■マンマの国ゆえ

実用的アクセサリーといえば、後付けのバックセンサーやリアビューカメラのコーナーは、過去訪れたときに比べて品数が増えている。たとえメーカーのカタログにバックビュー・モニターが用意されているも、当初は買わない→やがて後方が確認しづらいことに辟易する→後付けを探す、というユーザーがいることを窺わせる。その背景には、目視で後方を見にくいデザインのクルマが増えていることがあるに違いない。

 

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日本同様、ナンバーフレーム一体型のリアビューカメラが販売されている。これはドイツのテクナックス社製。

 

いっぽうお楽しみアクサセリーとしては「首振りダックスフント」を見つけた。振動を与えると首がゆらゆらと揺れる。リアウィンドーの中に置いて、後続車のドライバーを楽しませることができる。1970年代ドイツのドライバーの間で流行したものだ。その証拠に近年は、当時の標準的なデザインを模したものがメルセデス・ベンツから純正アクセサリーとして販売されており、日本でも購入できる。いっぽう陳列されていたのはノルオートのオリジナル商品で、ドイツ系よりもコミカルな顔をしている。価格も12.95ユーロ(約2千円)と手頃だ。

 

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ノルオートの首振りダックスフント。

 

次はフロアマットである。店頭に陳列されているものを眺めていると、こちらの普及車種が何であるかわかってくる。ちなみにアルファ・ロメオはAlfa Roméoとアクセントが付いているところが、フランス発祥の会社っぽい。

 

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フロアマットのコーナー。 “地元”フィアット用が圧倒的多数派だが、次にシトロエン、ルノーといったフランス系が多いのはノルオートならでは。

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アルファ・ロメオ用フロアマットの一部には、フランス語風にAlfa Roméoの表記が。

 

日本でもみられるカスタムメイド対応のものもある。その作例として置いてある中に「W(viva) LA MAMMA」があった。日本語にすれば「母ちゃん万歳」である。繰り返しになるが、これは作例である。だが顧客にオーダーする気に起こさせる文言を選んでいるに違いない。だとすると、家族を大切にする国民性ゆえ、母親にプレゼントするばかりか、自分用に購入する親思いの青年もいるのでは?と思ってしまうのであった。ノルオート散策は、いつも愉快だ

 

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カスタムメイドの作例コーナー。左から「TI AMO!(愛してる)」「W LA MAMMA(母ちゃん万歳)」「The Best」、そしてよくある人名「FRANCESCO」。

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オイル交換が終了した我がクルマを引き取りに行ってみると、珍しいアルファ・ロメオ156クロスワゴンQ4が店舗前にいた。新車時代も少なかったモデルである。

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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

写真 what3words/Akio Lorenzo OYA

 

■自動車ブランドも採用続々

3つの単語の組み合わせで位置情報を共有するアプリ/サービス「what3words(ワットスリーワーズ)」。日本では2022年にSUBARUが「クロストレック」の車載ナビに採用し、2023年に入ってからは「NAVITIME」が対応した。そのため、すでに耳にした、もしくは体験した読者諸氏もいることだろう。今回は、イタリア在住の筆者がどう使用しているかを記しながら、海外旅行や出張で活用するヒントを例示したい。

 

what3wordsついて簡単に説明すると、世界中を57兆個の3メートル四方で区切り、各マス目に固有の3つの単語の組み合わせを割り当てた位置情報アプリ/サービスである。アプリはAppStoreGoogle Playから無料ダウンロードが可能だ。例として「ここち。ゆいいつ。くちぶえ」といった3語で、他の人と今いる場所や所在地を共有できる。提供しているのは、2013年ロンドンに設立された同名の企業だ。what3wordsは現在までに170の国・地域において、数千にのぼる企業、政府機関、NGOなどに採用されている。欧州の自動車ブランドでは、メルセデス・ベンツやランボルギーニによってすでに導入されている。


 
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今回はwhat3wordsを、イタリアでどのように使えるかを記す。アンコーナ大聖堂は日本語表示で「ひさしく。きんにく。げんし」、英語では「rich.skipped.making」だ。(photo:what3words)

 

■メリット、すでに数々

イタリアを含むヨーロッパでは、街路に「◯◯通り」といった名前がつけられていて、片側に奇数、もう片側に偶数の地番が振られている。日本の◯丁目△番地✕号からすると、きわめて明快かつ探しやすい。広場(ピアッツァ)の場合も、ぐるっと一周にわたり地番が割り振られている。それなら、「イタリア旅行で場所を探すのは、楽勝じゃないか?」もしくは「従来の地図アプリで十分ではないか?」というと、そう簡単にはいかないケースが多々ある。以下に例を挙げて説明しよう。

 

・巨大な広場での待ち合わせ

広場のどのあたりで落ち合えば良いのか、たびたび苦労する。筆者が住むイタリア中部シエナにあるピアッツァ・デル・カンポ(カンポ広場)などは好例だ。面積は5885平方メートル。テニスコートにすると30面分だ。「ミッレミリア」のときは数百台のクルマが次々やってきて広場を埋め尽くす。イタリアを代表する伝統行事のひとつである競馬「パリオ」が開催されるときは、約3万人がすし詰め状態となる、と書けば、その広さがイメージしていただけるだろう。そうした状況で旅のお供とはぐれたとき、what3wordsは強い味方となる。

 

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シエナのカンポ広場。競馬「パリオ」の日は、約3万人の観衆が埋め尽くす。what3wordsは「きしめん。ふとん。せんえん」。

 

・運転中

街路名は、基本的に建物の角に記されているが、せっかくの表示が軒先のテントなどで遮られていることが多々ある。古すぎて、煤けていたり薄くなっていることもある。とくに運転中に確認することは、かなり難しいし、危険である。従来のカーナビを使っているとわかるが、つい似たような街路に入ってしまったあとに、気がついて引き返すこともある。what3wordsの正確さは、そうした間違いをかなり解消できる。

 

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街路名は店のテントや樹木に隠れている場合がままある。運転中に確認することは、かなり難しい。

 

・アグリトゥリズモを探すとき

what3words設立のきっかけのひとつは、創立者クリス・シェルドリックの、イタリアにおける苦い経験だったようだ。世界各国で音楽のライブイベント運営の業務をしていた彼は、ローマから南に1時間行ったところが会場であったにもかかわらず、ドライバーは北に1時間の場所に全機材を降ろしていたという。彼が間違いに陥った詳しい状況は知らないが、これはイタリアで起こりうる「あるある」だ。たとえば、山を表すモンテ◯◯、聖人の名前に由来するサン△△といった地名がやたら多い。地域では同じ聖人を祀っていたりするから、同名であっても、大きな町の名前であったり、単なる小さな集落の名前だったりする。カーナビの地名検索だけでは罠がある。

以後シェルドリック氏は、GPS座標を使用するようにしたものの、「数字16桁を正確に伝えるのは、容易ではなかった」と振り返っている。

 

ところでイタリアでは、自治体の観光振興政策も手伝って、アグリトゥリズモ(農園民宿)が人気である。そうした施設は景観規制にしたがい、日本のホテルのような大看板を出していない。また、他地域からやってきて開業する人もいるので、地元の人に聞いても知らない場合が多い。郊外ゆえ、「〇〇地区」という大まかな行政区画名しか存在しないこともままある。幸運にも、従来の地図アプリで表示されても、ヘクタール級のワイン畑をもつような農園では、入口がどこかを探すだけでひと苦労である。そうした場合でもwhat3wordsなら、素早く場所を特定できて助かる。

 

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トスカーナの郊外で。

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モンテプルチャーノ郊外「ポッジョ・ゴーロ」は、12ヘクタールのワイナリーを備えたアグリトゥリズモ。what3wordsは「みずくらげ。ひなたぼっこ。あかだし」。オーナーでドバイから移り住んだニアール&パーリ夫妻と。

 

・著名人の墓地

これが意外に迷う。著名人の墓の位置が簡単に探訪できる日本の多磨霊園などと異なり、イタリアやフランスなどではガイドブックにも「◯◯墓地にあり」としか記されていない場合が多い。そのうえ、現地に丁寧な案内があることは極めて少ない。好例は、筆者が住むトスカーナ州にある画家カラヴァッジョこと、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)の墓であろう。長年にわたる名所のような印象を抱く人が多いだろうが、実は遺骨の鑑定調査が行われたあと、終の地ポルト・エルコレに墓が建てられたのは、没後404年たった2014年だった。さらに、町議会会派の抗争に巻き込まれるかたちで、わずか5年後の2019年には現在の墓地内に移設された。しかも、墓の近くには案内板がない。その結果、イタリア美術を代表する人物のひとりにしては、あまりに目立たない場所にある。そうしたケースでもwhat3wordsは高い精度で所在地を特定できる。

 

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トスカーナ州ポルト・エルコレにて。カラヴァッジョの命日が近い20237月のある日、勝手に公式参拝をする筆者。what3wordsは「すうかい。にくせい。めぼしい」。

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こちらはポルト・エルコレから北東へ約62キロメートル。サトゥルニアの川湯。「ちやほや。つきでる。しんめ」

 

 

■カーライフを良くする予感

いっぽう近い将来、人々が外国旅行の際、クルマに関連することで、what3wordsが活躍するのは以下の2点だろう。

 

Uberなどのライドシェアやタクシー配車アプリ

そうしたサービスは、乗車地をリクエストできる。しかし、従来の地図アプリは、正確さが限定されている。したがって、とくに大きな交差点では、どこで待っているのか、もしくは相手がどこに来るのかを連絡し合うのは難しい。実際筆者は、乗車後ドライバーから「そんなところで待たれても、危なくて停車できないよ」と文句を言われたことがあった。 what3wordsが普及し、またライドシェアやタクシー配車アプリとの連携が進み、ドライバーがwhat3wordsでお客を拾う正確な位置を教えてくれるようになれば、問題は解消できるだろう。

 

・故障・事故などのトラブル時

ディストリビューターの故障、クラッチの抜け、オルタネーターの故障と、たびたびイタリアで立ち往生を経験してきた筆者は、そのつど保険会社や日本のJAFに相当するロードサービスに携帯電話からコールした。毎回、現在地をオペレーターに伝えるのに、それなりに苦労した。走り慣れた道で、何万回と通過したエリアであっても、ふと考えれば正確な地名を意識したことはない。従来の地図アプリを開いても、ちょっと郊外に行くと、かなり大雑把で、地名を把握するのが難しい。what3wordsにコールセンターが対応するようになれば、より簡単に伝えられるようになる。さらにいえば、言葉の壁も下げてくれることが期待できる。すでに英国のAA、オーストリアのOAMTCといった自動車連盟に加え、民間系のロードサービス数社がwhat3wordsを導入している。これについてwhat3wordsシニアPRマネジャーのフランキー・コーワン氏は「これらの企業やその顧客からのフィードバックは、信じられないほどポジティブなものでした。近い将来、ヨーロッパ中のより多くの故障サービスのプロバイダーが私たちの技術を採用することを期待しています」と文書でコメントを寄せた。

 

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各国のロードサービスに普及すれば、故障・事故の際、現在位置の伝達に力強い味方となるだろう。

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英国でのシーン。緊急時の現場到着時間短縮も、大いに期待できる。(photo:what3words)

 

■「カッコいい3単語」を求めてうろつく

ここまで便利であると、「建物内の何階にいるのかまで伝達できればいいのに」と、欲ばりたくなる。それに関してコーワン氏は「what3words2Dですべての場所をカバーしていますが、インドアアドレスをサポートする技術(インドアポジショニング、インドアマッピング、インドアナビゲーション)はまだ十分に普及しておらず、現時点では高さを含む位置指定に大きなメリットはありません」と説明。そのうえで、「私たちwhat3wordsは、ビジターが求める最も有用な情報は、しばしば複雑な建物における正確な入口の位置であることに着目し、現在このニーズにうまく機能しています」と回答を寄せた。

 

ところで、日本語の3単語で表示されるものの、「外国人に場所を伝える場合、どうすればよいのだ?」 という疑問が沸く。そこで調べてみると、what3wordsアプリをダウンロードすると50以上の言語からメイン言語を選べることがわかった。アプリをダウンロードしている相手に3ワードを伝える場合には、そのまま目的地のアドレスをシェアすると、相手がwhat3wordsアプリで設定しているメイン言語に自動的に切り替えられる。3ワードを共有するにはアプリをダウンロードしていることが大前提となる。だが第二言語を設定できるので、異なる言葉を話す相手でも、相手の言語で3単語を伝えれば容易に位置情報が共有できる。

 

面白いのは、言語によって同じアドレスもまったく異なるワードが割り当てられている。3ワードは翻訳されたものではなく、ランダムな言葉なのだ。たとえば前述のシエナのカンポ広場は、日本語では「きしめん。ふとん。せんえん」である。英語では「stew.gets.multiple」だ。もしやイタリア語にした場合、「きしめん部分がパスタになるのか?」と勝手な空想を楽しんだ筆者だが、実際は「eroiche.trovate.portava」だった。とくに、ここではeroicaという著名なヒストリック自転車走行会の舞台になる。「偶然にもなかなか良い3wordsではないか」と、自分で決めたわけでもないのに妙に嬉しくなる。ちなみに、近年スタジアムなどで普及しているネーミングライツ(命名権)のように、将来は好きな3語を販売するビジネスを考えているか?とコーワン氏に質問したところ、「いいえ。ランダムに振られた3語はオフラインでも利用できるよう完全に固定されています」とのこと。すなわち、売買はありえないのである。

 

それはともかく、3メートル四方ということは、ほんの数歩移動しただけで、3つの単語が変わってしまう。これは筆者が住むシエナにある、見晴らしの良い公園にあるベンチである。場所は「じゅうみん。わいわい。かんしん」。なかなか良い組み合わせだ。だが、すぐ隣のベンチは「まよった。ばんにん。ひもち」である。待ち合わせのとき、可能な限り格好いい3単語を相手に送信すべく、うろうろ動きまわってしまう、我ながら自分の見栄っ張りぶりが、情けなくなった。

 

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シエナ旧市街にある公園で。「じゅうみん。わいわい。かんしん」


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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA/Fabrizio Casprini

複雑な経緯の果てに

早いもので、英国の自動車ブランド「ローバー」が2005年に消滅してから2023年で18年が経過した。

ローバーが消えていった経緯は、今振り返っても複雑である。BMWが1994年、Bae(ブリティッシュ・エアロスペース)からローバー・グループ株の80%を取得したところから振り返ってみよう。

しかしバイエルンの本社は、英国側の低い生産性と採算性に悩まされた。結果として2000年、彼らはグループが保有していたMINIブランドを残して、会社を手放すことにする。ローバー部門は「フェニックス・コンソーシアム」と称する投資会社に、ランドローバーはフォードに売却された。

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2000年ローバー25前期型。当時のローバーによる独自設計で、1999年までローバー200(3代目)として販売されていたモデルをフェイスリフトのうえ、改名したもの。シエナ県で2022年11月撮影。

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ローバー25の姉妹車であったMG ZR。英国ビューリー付近で2012年撮影。

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1995年登場のローバー400のフェイスリフト版である45。2012年パリで撮影。

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英国ハンプシャー地方リンドハーストで、慌てて撮影したローバー75。このような写真しかないところに、本国でもけっして多くなかったことがわかる。2012年。

ところが、「MGローバー」と変えて発足したフェニックス・コンソーシアムも経営再建に難航。2005年に経営破たんしてしまう。それを買い取ったのは中国の「南京汽車」だった。ただしさらに、ややこしい事態となる。ブランドとしてのローバーは、先にランドローバーを取得していたフォードが獲得したため、南京汽車が入手できたのはMGブランドのみであった。

傍らで、同じ中国の「上汽集団」は、ローバーの高級モデルだった「75」の生産設備を取得。「栄威(ロエヴェ)」という新ブランドとともに2006年から発売した。

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上海の街にたたずむ栄威750。2013年撮影。


その上汽は、翌2007年になると前述の南京を買収する。そのため以後同社は、栄威750を生産する傍らで、南京が取得した英国のエンジニアリング・センター開発の新MGという、イギリス由来の2ブランドを保有することになった。栄威750は、MGブランドのもと2017年まで輸出も行われた。

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栄威750の発展版である550。2013年上海で撮影。

今も残る、末期の影

筆者がイタリアに住み始めたのは1996年。ローバーがBMW傘下だった時代である。街には、BMW以前から提携関係にあったホンダの車両をベースにした車両と、BMWのもとで開発されたモデルが混在していた。

やがて1998年に誕生したローバー75は、当時テレビでCMが盛んに流れていた。エルガーの「威風堂々」をBGMに「神よ、ローバーを持たざる者を救いたまえ」なるコピーが流れた。ディーラー試乗会の抽選では、汎用カーナビが景品だった。今考えれば、BMWはローバーをなんとか軌道に乗せるべく必死だったのだろう。

 

今や多くのイタリア人は気にしていないものの、ローバーというブランドが存在した痕跡を、発見することがある。こちらの写真は、筆者が住むシエナ市街にある1軒の修理工場である。看板は、かつてローバーの認定サービス工場であったことを静かに物語っている。

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シエナ市街に残る元ローバーの指定サービス工場入り口。2021年12月撮影。

シエナ市街には、ローバーの新車販売店も存在した。当時真隣にあった別の自動車販売店に勤務していた営業マンによれば、「経営者はそれなりの年齢だったので、ローバー破綻を機会に引退したのではないか」と話す。建屋はその後さまざまな用途に使われ、今はタイヤ販売店になっている。

 

もう1軒の元指定サービス工場は、シエナ郊外シナルンガで発見した。こちらは看板のほか、建屋の壁にも垂れ幕が残る。調べてみるとこの工場は1979年創業だから、まさに混乱期のローバーと命運を共にしたことが窺える。

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シエナ郊外シナルンガの元指定サービス工場。2022年10月撮影。


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壁面にもエンブレムの垂れ幕が残っている。


ある青年の思い出

 

いっぽう今日、路上でローバーを見かけることは稀だ。ここに示すのは、2022年4月から11月にかけて筆者が偶然目撃した3台である。

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ローバー25の後期型。まさに経営破たんした2005年のモデルである。

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そのリアスタイル。2022年4月撮影。

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イタリア北部コモに向かうアウトストラーダ上で発見したローバー75。BMWのチャネルを通じて供給されたディーゼルエンジンを搭載した仕様だ。車齢は最低でも17年ということになる。2022年5月撮影。


そうかと思えば先日意外なところで、末期のローバーに出会った。2023年3月、イタリア北部パルマで開催されたヒストリックカー・ショー「アウトモトレトロロ」でのことだ。中古車販売店の屋外ブースに1997年ローバー214を発見した。店主によると、「走行距離たった5万3千キロメートル」が売りだ。こうした低走行距離ヤングタイマー車の多くは、高齢者が退職後、もっぱら街乗り用として乗っていたものという。ドアを開けると敷居にはROVERの文字が刻まれていて、ペイズリー柄のシートも洒落ている。価格は4500ユーロ(約65万円)。隠れローバー・ファンにはお買い得に違いない。

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2023年3月「アウトモトレトロ」会場にて。1997年ローバー214。フィレンツェ「スターカー」社の出張展示だった。

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コンパクトながら、曲線を巧みに用いた上品なデザインである。

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インテリア。イタリアにおける26年ものとしては及第点か。ペイズリー柄のシート地がお洒落。

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傷つきやすいサイドシルも状態が良く、ROVERの文字もきれいだ。

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Cピラーのバッジ。

気がつけば筆者の身近にも、ローバーのオーナーがいた。眼科医カスプリーニ氏である。モデルは75の先代である600である。600は1993年にデビューしたDセグメントのサルーンで、ホンダ「アコード」をベースにしていた。カスプリーニ家の600はモデル最終年である99年登録だった。医師は後年「プジョー407SW」に買い替えるまで600を通勤に使用。その後は、夫人の父親、つまり義理の父に譲ったことで、クルマはさらに生き延びることになった。

その後あの600はどうなったのか? 医師の一人息子で現在スイスの大学で勉強中のラリス君に連絡をとる機会があったので聞いてみた。残念ながら判明したのは、もう600は数年前に廃車にしてしまったということだった。「さすがに機構部分が古くなり、安全性にも問題が生じた」のが理由だ。

しかし、ラリス君にとって、ローバー600は最も思い出深いクルマだという。
「ひとつは子ども時代、祖父が学校まで、ローバー600でいつも迎えに来てくれたので」。もうひとつは、「ボクが運転免許を取得するとき、実技の自主トレーニングのお供を務めてくれたからです」と教えてくれた。

ローバーのクルマや看板は、近い将来イタリアから消えてゆくだろう。だがラリス君の心の中では、おじいちゃんの600は永遠に走り続けるに違いない。

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カスプリーニ家が乗っていた2009年ローバー600。以下3点は2019年撮影。(photo : Fabrizio Casprini)

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ローバー600はホンダ・アコードがベースとしながら、英国でデザインされた。(photo : Fabrizio Casprini)


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ラリス君とローバー600。(photo : Fabrizio Casprini)

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レトロモビル2023

ヨーロッパ屈指のヒストリックカー・ショー「レトロモビル」が2023年2月1日から5日までフランス・パリのポルト・ド・ヴェルサイユ見本市会場で開催された。

レトロモビルは今回で第47回。出展社・団体数は500以上を数え、展示車両も1000台を超えた。2020年以来3年ぶりの通常開催ということもあり連日賑わいをみせ、総入場者数は過去2番目に多い12万5千人に達した。

特集も「ル・マン24時間の100年」や「キャンピングカー」など、多彩な企画が組まれた。公式オークションであるアールキュリアル社のセールの落札総額は3550万ユーロ(約51億2千万円)に達した。

メーカー出展も過去の停滞期を脱し、その数は12に及んだ。彼らの多くは歴史車両展示とともに、最新電動車のアプローチやプロモーションも忘れていなかった。たとえばシトロエンは2022年9月に発表したコンセプトカー「オーリOli」を初めて一般公開した。フォルクスワーゲン・コマーシャルヴィークルズは「ID.Buzz」を、T1やT2といった歴代トランスポーターと並べることで、デザイン的・コンセプト的共通性を強調した。

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レトロモビル2023でルノーは電動化キット「レトロフィット」を公開。これはルノー「4」をベースにしたコンセプトカー「スイートno.4」。

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シトロエンはEVコンセプト「オーリ」を初めて一般公開した。4200mm×1900mm×1650mmというサイズは、小さな寸法のボディが多いヒストリックカーの脇では、想像以上に大きく見えた。

ルノーからソレックスまで

いっぽうルノーは、2023年1月25日に発表した電動コンバージョンキット「レトロフィット」を初めて一般公開した。

フランス南部コート・ダジュールのカシスを本拠とする「Rフィット」とのコラボレーションで実現したものである。第一弾として「ルノー4」用キットが、レトロモビル初日の2月1日にオンラインで販売開始された。

バッテリーは容量10.7kWh のリン酸鉄リチウムイオン式。いっぽう変速機はオリジナルを流用する。車両の重量配分はオリジナルと同等になるよう工夫されているという。16A-220V家庭用電源による満充電までの所要時間は3.5時間。航続可能距離は80キロメートルとされている。保証期間は2年だ。

価格は取付費・付加価値税込みで17,900ユーロ(約258万円)だが、フランスでは多くの自治体が導入している環境対応車補助金制度の恩恵を受けられる。ルノー「5」用は2023年9月に発売、続いて初代「トゥインゴ」用もリリース予定だ。

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レトロフィットが施された初代ルノー「5」。

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発売30周年を迎えた初代ルノー「トゥインゴ」用のレトロフィット・キットも将来発売される。会場には、社内デザイナーの手によって90年代のローライダー風にドレスアップされた仕様が展示された。

別のパビリオンでは、往年のフランス製モペッド(ペダル付き原付き二輪)用コンバージョン・キットを手掛ける業者も出展していた。「ノイル」という名のスタートアップ企業で、「ソレックス」「プジョー103」といったモデルに出力1.4kWのモーターを装着することにより、航続距離30〜60キロメートル、最高時速32〜45キロメートルを実現している。

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モペッドのコンバージョンを手掛ける「ノイル」のスタンドで。電動化を施された「プジョー106」。


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プジョー106のオリジナル・エンジン(左)と、換装用のモーター(右)。


看過してはいけない現象

実は2022年10月に同じ見本市会場で開催されたパリ・モーターショーにも、電動車に改造するキットを手掛ける業者が複数出展していた。

背景には、パリやリヨンなどで段階的に強化されている「クリテアCRIT’Air」と呼ばれる厳しい自動車進入規制がある。たとえばパリでは2021年6月から、05年以前登録のディーゼル車および96年以前登録のガソリン車が反則金付きで禁止された。二輪車も2000年5月以前に登録された車両は進入できない。そうしたクルマは、夜間・早朝と週末しか走行が許されていない。

いっぽうで電動車は、あらゆる規制から除外される。ただし前述のルノー4用レトロフィットのコンバージョン価格を見ればわかるとおり、決して安くはない。そもそもベースとなるルノー4の中古車を用意する必要がある。参考までにルノーのサブブランド「ダチア」のフルEV「スプリング」の新車は、2万1千ユーロ(303万円)で買える。プジョー103用コンバージョン・キットも、取付費込みで899ユーロ(約13万円)だ。こちらも中国製スクーターの新車が買える値段である。にもかかわらず、一定のマーケットが生まれる兆しがある。

いったい、どのような人々が依頼するのか? その質問に答えてくれたのは、電動化したプジョー504クーペをパリ・モーターショーに展示していた業者だった。「何台も所有する古典車コレクターの方は、うち1台を普段の街乗り用に、ためらわず電動化します」。

しかし、筆者はもうひとつ理由があると考える。それを確信したのは、同じ業者による、次の言葉だった。
「創業4年になる我が社で、これまでのお客様のうち25%、つまり4人に1人は女性でした。彼女たちは、市街地をエレガントに走りたいのです」

最新のクルマのデザインに欠如している、古いモデル独特の強い個性と温かみが、人々にコンバージョン・キットを選択させている。そうだとすれば、新車の商品企画に携わる人たちは、けっして看過してはいけない現象だと筆者は思うのである。

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前輪をローラーで駆動するソレックスの特徴的なエンジンもモーターに換装する。510ユーロ(約7万3千円)から。所要48時間も売りにしている。ちなみにノイル社はモーター換装済みの中古ソレックスも販売していて、そちらは999ユーロ(約14万4千円)から。

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witten by Akio Lorenzo OYA
世界中
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

あの人は今

元レーシング・ドライバーのアレッサンドロ・ナンニーニ氏(日本ではナニーニと表記されてきたが、本稿ではイタリア語により近いナンニーニと記す)といえば、1989年F1日本グランプリにおける、波乱の展開を経ての優勝を覚えておられる方は多いだろう。翌90年のヘリコプター事故で瀕死の重傷を負いながら、92年には「アルファ・コルセ」でサーキットに復帰。続いてDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に挑戦した。

そのナンニーニ氏は、筆者が四半世紀にわたって住む中部トスカーナ地方シエナの出身である。実家は、祖父が興したシエナ屈指の菓子店、その名も「ナンニーニ」だった。参考までに、姉ジャンナ氏はミラノで歌手を目指し、今日イタリアを代表するロックシンガーとして不動の地位を確立している。

2023年で64歳を迎える現在、ナンニーニ氏は食品やカフェの商標管理やコンサルティングに携っている。シエナ旧市街を見渡す郊外の自邸に住み、高い塀に囲まれた庭には数え切れないほどのオリーブの木が育っている。枝の下では、彼の白い愛犬がのんびりと昼寝をしている。夏は、2カ月近くサルデーニャ島に拠点を移して過ごす。それが元F1パイロットの今の暮らしだ。

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アレッサンドロ・ナンニーニ氏。自邸前で2021年夏撮影。

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ナンニーニ邸の応接間にて。2021年夏。

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DTM時代、自らが駆ったアルファ・ロメオ155 V6 TIのモデルカーが保管されていた。


広場のカフェにて

シエナの中心であるカンポ広場。夏にはイタリア屈指の伝統行事である競馬「パリオ」が催されることで有名だ。いくつも立ち並ぶバールの屋外席は、セネーゼ(シエナ人)にとって憩いの場である。その中のひとつに、ナンニーニ氏の姿を見かける日がある。「もともと私は、こういう田舎の生まれだからね」と、街への愛着を語る。

正面の「パラッツォ・ブッブリコ」は、市役所である。だが、13世紀から16世紀にかけてシエナが独立共和国だった時代は、政庁舎だった由緒ある館だ。
市役所といえば、実はナンニーニ氏は2011年、シエナの市長選挙に中道右派政党の推薦で立候補したことがあった。一帯はイタリアでもとくに左派勢力が強い一帯ということもあり、結果は落選に終わった。公約としていた地元飛行場の拡張をはじめとする交通インフラ整備も実現しなかった。彼は2015年に筆者に「政治は私にとって、けっして居心地の良い場所ではなかった」と語っている。

ただし社会に対する関心は、いまだ強い。彼と電気自動車(EV)の話をしたときだ。「息子はテスラが欲しいと言ってはばからない。しかし、EVは、使用済み電池の問題まで広い視野で考えないといけない」と釘を指す。そしてこう付け加えた。「環境保護を大義名分にしたビジネスがあることにも気をつけなければならない」

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祖父が興した菓子店兼カフェは、今もシエナのメインストリートにある。2021年6月撮影

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「ナンニーニ」のショーケースにディスプレイされたシエナの伝統菓子「パンフォルテ」。


やんちゃなお坊っちゃま

クルマの話は続く。近年はムジェッロ・サーキットの「ヒストリック・ミナルディ・デイ」に毎年ゲスト参加してきた。「アルファ・コルセ時代に一緒に戦ったニコラ・ラリーニとも会えるからね」

筆者が彼とエスプレッソ・コーヒーを傾けている間にも、「よう、アレッサンドロ!」 と、通りがかりの人々が彼に声をかける。
昔からの仲間たちだ。彼らにとってナンニーニ氏は、元F1パイロットというヒーローである以上に、今も“同志”である。
それを窺い知ることができるのは、筆者の知人である地元男性の回想だ。彼は高校時代、ナンニーニ氏とたびたびバイクを連ねて走ったことを誇らしげに話してくれた。シエナは1965年、他都市に先駆けて、旧市街全域で自動車通行を締め出した街である。にもかかわらず、広場をアレッサンドロとぐるぐる回ったという。

実際のところはどうなのか? その質問に、ナンニーニ氏はこんな話を披露してくれた。
「当時私はKTMのバイクに乗っていたんだ。対して、追ってきた市警察はモトグッチ。彼らは全然、聖カテリーナ教会前(筆者注:シエナの名所のひとつ)の急坂を登れなかったね!」。つまりナンニーニ氏は見事逃げ切ったのだ。名門菓子舗の、やんちゃなお坊っちゃまぶりが目に浮かぶ。
当時とまったく同じ風景が広がる街は、そうした限りなくオフレコに近い武勇伝のリアリティを限りなく増幅させる。だから晴れた日になると、ナンニーニ氏がいないか、思わずバールの屋外席を見回してしまうのである。

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シエナのカンポ広場。向かいに見えるのがパラッツォ・プッブリコ。2022年6月、古典車ラリー「ミッレミリア」当日に撮影。

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カンポ広場でくつろぐナンニーニ氏。2021年秋撮影。
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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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