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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA

 

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イタリア・シエナのタバコ店の前にたたずむ初代フィアット・パンダ(写真は本文と関係ありません)

 

日本では乗用車、とくに高級車の盗難に関するニュースが頻繁に報道されるようになって久しい。今回は、イタリアにおける事情を。

先日、フィレンツェ郊外にあるチェーン系カー用品店「ノルオート」でタイヤ交換をしたときである。毎回楽しみなのは、待ち時間中の店内散策である。

 

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フィレンツェ郊外にあるノルオートのカンピ・ビセンツィオ店。20248月撮影。

 

その店内には、盗難防止グッズのコーナーも設けられている。イタリアでは物理的にブロックしてしまう方式が今も健在だ。思えば、筆者自身も車両盗難未遂を経験したことから、ペダルロックを使用していた時期があった。もらい物の中古だから文句は言えないのだが、地味な灰色であった。盗っ人が車内に乗り込んでから装置に気づく確率が高いわけで、それ以前にドアの鍵を壊されてしまう確率が高くて不安だった。ノルオートの店頭に並んでいるような鮮やかな色なら、ウィンドウの外から見て、「だめだこりゃ」と最初から諦めてもらえる確率が高い。さらに他のノルオートのオリジナル商品同様、スタイリッシュなのが好ましい。

 

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以下ノルオートのオリジナル商品から。ホイールロックは17インチ・幅215mmまで対応可能で、34.95ユーロ(5680)


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ステアリングロック。手前の黒い半円筒形部分をハンドル上端に、黄色いバー部分をダッシュボードの上端に掛けて鍵で固定する。29.95ユーロ(4800)


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ステアリング+ペダルの同時ロック。24.9539.95ユーロ(40006500)


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バンの両開き式テールゲートに追加・後付けするロック。34.95ユーロ(5600)

 

■ドイツ人がビビる理由

イタリア内務省などの統計によると、2023年のイタリア国内車両盗難件数は131679台である。日本では統計の方法が若干異なり、また乗用車のみの数字だが、5736(データ出典:警察省)にとどまるのを考えると、イタリアでクルマ盗難がいかに多いかがわかる。

さらにイタリアでは2022年と比べて、その件数は7%増だ。乗用車に限定すると11%も増加している。発見率は44%。つまり半分以下しか見つからない。

観光シーズン真っ只中である20248月のこと。シエナ県のとある公共駐車場で、ドイツのナンバープレートが付いたフォルクスワーゲン・マルチバンT7を発見した。後輪を見ると、鮮やかな色のホイールロックがはまっていた。

イタリアでフォルクスワーゲンのマルチバンは後述する車種別盗難件数でトップ10に無い。そもそもワンボックス自体がイタリアの車両盗難の世界では“不人気車”である。したがって「そこまで慎重にならなくても良いのに」と思った。ついでに「装着したのを忘れて発進してしまったりしなければ良いが」と余計な心配までしてしまった。

しかし別の統計を見て納得した。欧州統計局(ユーロスタット)による2021年の自動車盗難件数である。1位はフランスの122700件、2位がイタリアの110171件だ。ドイツはそれに次ぐ3位だが39172件に過ぎない。すなわちイタリアでは、彼らの国の2.8倍も自動車盗難が発生しているのである。おそらくこうした数字を知って、VWマルチバンのオーナーはビビったのだろう、と想像した。

 

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ドイツからやってきた観光客のフォルクスワーゲン・マルチバンT7。左後車輪には、ホイールロックが噛まされている。

 

■ボコボコだって、気にしないわ

イタリアにおける2023年の車種別盗難台数は以下のとおりだ。

1.     フィアット・パンダ          12,571

2.     フィアット500                 5,889

3.     フィアット・プント             4,604

4.     ランチア・イプシロン       4,472

盗まれる台数の多いモデルは、いずれも過去約二十年にイタリアで販売上位の常連である。セグメントでいうとAもしくはBの小型車だ。さらにいえば、およそ10台に1台はフィアット・パンダということになる。

 

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初代ランチア・イプシロン。20248月、シエナで撮影。

 

日本における乗用車の車種別盗難ランキングでは1位アルファード、2位ランドクルーザー、3位プリウス、4位レクサスLXと高級車が目立つ。オフローダーが入っているのは、日本車の信頼性・耐久性が、悪路が多い海外市場で評価されているためとみられている。

対してイタリアでSUV/クロスオーバーは、トップ10圏外だ。その上位を見ても、フィアット500X(1997)、ジープ・レネゲード(1653)、プジョー3008(778)と、前述の小型車より明らかに少ない。

イタリアで小型車に盗難が集中しているのは、以下の理由が考えられる。第一は「盗みやすさ」である。特に初代パンダなど古いモデルは、高度な盗難防止デバイスを備えていない。

第二には「パーツ需要」だ。個人間売買サイトを含めインターネット上には、おびただしい数のパンダやランチア・イプシロン用中古部品が格安で掲載されている。けっしてそれらすべてが盗品であるとは言わないが、それだけ需要があるということだ。解体すればそれなりの闇ビジネスができる可能性が高いのである。

 

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捨てられたパンダがあると、たちまちさまざまな部品を持ち去られてゆくことからも、高いパーツ需要が想像できる。(写真は本文と関係ありません)

 

第3は、他の犯罪への使用しやすさである。レンタカー会社で借りる際も、高級車のような特別な手続きは要らない。実行中にも他車種に比べて目立ちにくい。

それを証明するような事件が、2024年夏ローマで連続発生した。地元紙「ローマ・トゥデイ」によると821日早朝、窃盗団はチェーン系家電量販店のシャッターに3代目フィアット・パンダをバックでぶつけて破壊。店内に侵入した。パンダは盗難車で、別の場所に乗り捨てられていたところを警察によって発見されたという。その直前には、同様に日本料理レストランにパンダで乗りつけて侵入を試みた一団がいたが、こちらは店員がいたため未遂に終わっている。

さらに831日から91日の深夜には、同様に盗んだ3代目パンダを後退させてシャッターを破壊する手口で、食料品店が荒らされている。警察は一連の事件の関連性を調べている。

たしかに、現代イタリアの一風景のようなパンダである。たとえ犯行予定現場の下見をしていても怪しむ人は皆無に近いだろう。ついでにいえば車体がボコボコになっても使われているパンダもけっして珍しくない。

国際ニュースの映像では、日系ブランド製ピックアップトラックが、国際機関と反政府組織の双方で使われているのを目にする。同様にパンダも人気ナンバーワンかつ、丈夫なクルマ

ゆえの光と影がある。

 

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右から3代目✕3台、初代✕1台のパンダづくし。こうした光景はイタリアでは珍しくない。(写真は本文と関係ありません)

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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYABMW

 

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マルチェッロ・ガンディーニ回顧展で。「ベルトーネBMWガーミッシュ(中央)」。2024年5月26日コモで撮影。

 

2024年3月に85歳で死去したイタリアのカーデザイナー、マルチェッロ・ガンディーニを回顧する車両展示が526日、イタリア北部コモ湖畔で催された。

コンクール・デレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の一般公開日に行われたもので、彼がベルトーネのチーフデザイナー時代に手掛けたものと、独立後に参画したものの計12台が集められた。最も古いモデルは1970年「ランボルギーニ・ミウラP400」で、最も新しいモデルは1999年同「ディアブロGT」だった。

 

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マルチェッロ・ガンディー二回顧展は、「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の一般公開会場であるヴィラ・エルバを舞台に行われた。個人オーナー、メーカーそして団体が所有する計12台が集められた。

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マルチェッロ・ガンディーニ(1938-2024) photoBMW

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1971年「アルファ・ロメオ・モントリオール」

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1975年「ランチア・ストラトスHF」グループ4仕様

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「マセラティ・カムシン」。マセラティがシトロエン傘下にあった時代に開発された。

 

■「消えたコンセプトカー」の復刻も

そのいっぽうで、一般の人々からあまり知らないガンディーニ作品もディスプレイされた。

1台は「イソ・リヴォルタ・レーレ」である。イソ社の創業者レンツォ・リヴォルタの息子ピエトロ・リヴォルタ時代に企画されたモデルで、米国市場を意識した快適なグラン・トゥリズモだった。

ベースは先代モデルのイソ・リヴォルタ「IR300/340」で、V8気筒エンジンは当初シボレー製が、のちにフォード製が用いられた。Leleとはピエトロ・リヴォルタの夫人ラケーレの愛称だった。1969年ニューヨーク・ショーで発表された。

デザインは同じくガンディーニの手によるランボルギーニ「ハラマ」に似た22で、極めてルーミーな内装を実現していた。しかし、石油危機によるグラン・トゥリズモ市場の急激な縮小に耐えられず1974年、イソ自体が経営の継続を断念。レーレは、あのイセッタから始まったブランドの、有終の美を飾ったモデルとなった。

 

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「イソ・リヴォルタ・レーレ」。同じくガンディーニがデザインしたランボルギーニ・ハラマと比較すると、全長は165mm長く、全幅は70mm狭い。


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イソ・リヴォルタ・レーレ()と、1989年「ランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリー」

 

次なる1台は「BMWガーミッシュ」である。ベルトーネの社主ヌッチオ・ベルトーネは、1962年「3200CS」で始まったBMWとのさらなるコラボレーションを模索。「20002Tii」を基にしたコンセプトカーをガンディーニに命じた。車名はBMWの本社所在地と同じバイエルン州にあるスキーリゾート、ガーミッシュ=バルテンキルヒェンにちなんだものだった。ネーミング自体がBMWへの熱烈なラブコールだったのである。

ガーミッシュはツーリングカーレースの勇者でもあったベース車と対照的に、優雅なムードが溢れる2ドアクーペであった。1970年のジュネーブ・ショーでデビュー。ショー閉幕後はBMW本社に運ばれた。ところが同社の説明によれば、そこで行方不明になってしまった。

今回展示されたのは、BMWグループデザインを率いるエイドリアン・ファン・ホーイドンクが、
2019年にガンディーニ本人の監修を得て再現したものだ。そのお披露目以来初めてヴィラ・デステに帰ってきた。

 

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2019年にBMWの手で再現された1970年のコンセプトカー「ベルトーネBMWガーミッシュ」()

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ベルトーネBMWガーミッシュ

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後部のハニカム状ルーバーは、3Dプリンターを駆使して再現された。

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ガンディーニ()とエイドリアン・ファン・ホーイドンク()photoBMW

 

■天才デザイナーの、別なる功績

「シトロエンGSカマルグ」も興味深い。ヌッチオ・ベルトーネは、BMWへのアプローチと同様にシトロエンとの協業も探った。そこでガンディーニは生産型シトロエンGSをベースに、部下のマルク・デュシャンとともに、琥珀色の広いグラスエリアを備えた前衛的なクーペを製作。1972年ジュネーブ・モーターショーに展示した。これがシトロエンGSカマルグであった。ハイドロ・ニューマティックサスペンションをはじめとするオリジナルがもつ先進的機構にふさわしい雰囲気を湛えていた。

 

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1972年「ベルトーネ・シトロエンGSカマルグ」

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小型車シトロエンGSをベースにしていた。

 

GSカマルグの結果には2つの説が存在する。第一は、後述するASIによるもので、シトロエンが1974年にプジョー傘下となったことで、ベルトーネの目論見は未完に終わったというものだ。第二は今日シトロエンが説明するように、1982BXから始まり、XM、エグザンティアと続いたベルトーネ・デザイン系量産モデル誕生のきっかけとなった、と見る説である。

 

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1994年「シトロエンBX19GTI 16V」。筆者の感想としては、よりガンディーニのデザイン意図がわかる初期型をフィーチャーしてほしかった。

 

それはともかく、このGSカマルグもBMWガーミッシュとは違った意味で、特異な経緯をたどった。ジュネーブ展示後、長年同車は当時トリノ郊外カプリエにあったベルトーネの社内ミュージアムに保管されていた。
しかし2008年、同社は破産。会社を買い戻すことを意図したヌッチオの未亡人リッリ・ベルトーネは2011年、まずはコレクション中の6台をRMサザビースのオークションで売却した。

いっぽうで残りの79台については、かつてコレクション自体が文化財指定されていたこともあり、イタリア文化財保護省による「国内保存かつ分売不可」という条件を守らなければならなかった。最終的に20159月、イタリア古典車協会(ASI)が一括で落札。その中の1台がこのGSカマルグだった。

GSカマルグは他の車両とともに20187月、ASIの手配によって、ミラノ・マルペンサ空港近くのヴォランディア航空科学博物館に収められた。しかし、元航空機工場棟を改造した展示館は古く、カマルグの魅力を引き出すには十分とはいえなかった。

その後ようやくGSカマルグは、2019年にパリのレトロモビル・ショーにおけるシトロエン100周年記念展示の際、博物館の外に出た。いっぽう今回は陽光の下で鑑賞できる珍しい機会となった。

ガンディーニを語るとき、とかくランボルギーニ「カウンタック」や「ランチア・ストラトス」といった華やかなマスターピースが話題にのぼる。しかし、彼が小さなブランドを世に知らしめるため、また企業としてのベルトーネの顧客リストをより拡張するためにデザインしたモデルもあった。そうした業績を世に知らしめるため、彼の隠れた名作にこれからもスポットが当てられてほしいと切に願う筆者である。


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GSカマルグは現在、イタリア古典車協会が所有している。






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文と写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

 

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「ムルティプラ・フィアット」後期型と初代「フィアット・パンダ」の残骸。202110月シエナで撮影。

 

日本では近年「廃墟」「廃線跡」系コンテンツの人気が高い。いっぽう、イタリア在住の筆者が惹かれるものといえば、廃車とそれがある風景だ。そこで今回は、近年撮影した写真をご覧いただきながら、なぜ廃車に魅力があるのかを考えてみたい。

 

■放置してしまう理由

まず、廃車が発見できる場所を確認してみる。当然ながら第一は、車両解体工場のヤードだ。なかでも赴きがあるのは、廃業してしまったと思われるところだ。そうした場所に置かれたクルマは、まったく処分されないものだから、風化されるがままになっている。

 

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シエナ県の廃車ヤードで。202310月。

 

次は市内だ。イタリアでは都市部・地方部を問わず、公共の場所に放置された自動車を頻繁に見かける。盗難など犯罪の匂いがするものあり、意図的に置き去りにされてしまった車両ありである。

 

理由は、ひとえに行政の対応が追いつかないためだ。処分するには、放置車両を発見した警察官が損傷具合や周囲の状況を確認→ナンバープレートを陸運局に照会→ふたたび実地検分という手順を踏まなければならない。判明した所有者が他の自治体に転居していた場合、情報共有が円滑にできないため、さらに厄介になる。死亡していた場合も、撤去手続きが複雑になる。ナンバープレートに紐づけされた自動車税の督促が、捨てた所有者のもとに届くまでには、かなりの時間がかかる。由々しき問題であるが、「捨てた者勝ち」なのである。

 

ちなみに、そうしたクルマは何者かによって部品が勝手に持ち去られていることが多い。初代「フィアット・パンダ」は、あっという間にさまざまなパーツが無くなることからして、放置車はちょっとした人気車のバロメーターでもある。

 

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初代フィアット「プントSX」。2021年撮影。


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初代「ルノー・クリオ」。赤い車体は退色が激しいため、劣化感が倍増する。2022年撮影。


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2000年登録の「レクサスIS200」。ウィンドウには、「警察に届け出済です。事件ではありません。すみません」という、持ち主によると思われる張り紙があった。2022年撮影。


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スクーターも放置車が多い。「アタラ・バイト50AT50」は1997-99年の製造である。サドルには盆栽のごとく、苔がむしている。2022年撮影。


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シエナ旧市街で。手前右は「ピアッジオ・リバティ」。20225月。


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20231月シエナの公園で。「ベネッリ」のモペッドが土に還ろうとしている。


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「ランチア・イプシロン」。ナンバープレートを見ると1300km以上離れたシチリア島のトラパニで登録された車両であるところからして、どこか怪しさが漂う。シエナで2020年撮影。

 

個人の敷地に放置されている場合もある。イタリアでは1990年代末から複数回にわたり環境対策車への買い替え政策が施行され、各回とも下取り車の提供を条件に奨励金が受給できた。そのため、放置される車両は格段に少なくなったとみられる。また、不動状態の車を廃棄する場合、解体工場までの搬送費用は自治体によって無料となる場合が多い。

 

ただし、登録抹消費用として、印紙代32ユーロ、(長年この国で公共機関的役割を果たしている)イタリア自動車クラブ手数料13.5ユーロ、陸運局への手数料37ユーロ(地方によって違いあり)の合計82.5ユーロを要する。円換算で14千円だ。取るに足らない金額ともいえるが、廃車が生じる状況というのは大抵の場合、事故直後だったり、代替車を購入する。時間・出費ともに消耗が激しい時期である。繰り返しになるが、ナンバープレートに紐づけされた自動車税の督促も、すぐには来ない。ゆえに置いておける敷地があれば、つい放置してしまい、時間が経過してゆくのだ。

 

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夏、成長した雑草に隠れてしまっている1台。


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冬、草が枯れると「マツダCX-7」が姿を現した。左前方を破損したようで、テンパータイヤを履いている。


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5代目「フォルクスワーゲン・パサート」と2代目「メルセデス・ベンツAクラス」。


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初代「スバル・インプレッサ」。

 

■嘲笑と、ねぎらいと

なぜ廃車のある風景に惹かれるのかを自己分析すると、ふたつの感情が存在することがわかる。

 

第一は、大なり小さいなり、苦い思いをさせられたクルマに対する思いである。たとえば、あのクルマに抜かされた・煽られたといったものだ。そうしたモデルがタイヤの空気が抜けたままになっていたり、雑草に埋もれていたりすると、「あんなにイキっていたのに、こんな姿になってやんの」という笑いがこみあげてくる。

 

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「クライスラー300Cツーリング」。2021年。


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「アルファ・ロメオ147」。主に車両の右半分を損傷している。202310月。

 

第二の感情は、ねぎらいだ。チャイルドシートやルーフボックスといった、人々の生活に寄り添った「しるし」を見つけるたび、思わず「おつかれさま」と声をかけたくなるのである。下の写真にあるクライスラー「PTクルーザー()」のウィンドウには、初心者を示すPマークが貼られている。恐らく最後のお役目として、誰かの道路デビューを手伝ったのだろう。

 

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フィアット初代パンダ。


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フィアット初代パンダ。車両の下や周囲に草が生えていることは、イタリアの警察にとって放置車両を見分ける目安のひとつという。


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初代「メルセデス・ベンツ Cクラス」。後部にはチャイルドシートが残されている。典型的ユーザー層が高齢者だったことからして、孫でも乗せていたか。


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かつてのフィアットにおける世界戦略車「パリオ・ウィークエンド」。残されたルーフボックスが、現役時代のヴァカンスを思い起こさせる。


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クライスラー「PTクルーザー()」のウィンドウには初心者マークが貼られている。20228月。

 

ふと思い出したのは、シトロエンの伝説的デザイナー、故ロベール・オプロン氏と2003年に初めて会ったときである。当日は彼の代表作である「アミ8」「SM」そして「CX」のファンミーティングだった。参加車両を見渡せる広場で、筆者が本人に感想を求めると、「ネクロポリスのようだ」と答えた。Necropolisとは墳墓である。常に新しいフォルムを追求するデザイナーにとって、たとえ名作とはいえ、また実動状態でも過去の遺物にすぎないのである。

 

参考までに、放置されたクルマたちは、自動車を運転しているときよりも、徒歩であったり、公共交通機関に乗っているときのほうが発見しやすい。とくにハイデッカー型の長距離バスに乗っていると、ガードレールの向こうが見渡せるので、意外なところに廃車の溜まり場が見つかる。

 

近年、たびたび解体工場でパーツを安く譲ってもらっている筆者としては、早16年ものとなる自家用車と同型車をヤード内に発見するたび、「まだまだ部品があるな」と、ほっと安堵の息をついている。

 

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スクールバスの放置車両も発見。シエナで2020年撮影。


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高速パスから見えた、ある解体工場。多くのクルマからは、いかにクラッシャブル・ゾーンが作用しているかがわかる。明らかに燃えてしまった車両も4台確認できる。


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リユース用に回収されたバンパーの前に立つ筆者。





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文と写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA


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「谷隊長」が印刷されたカクテル缶。


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2月、シエナ市街のカフェで、TAKESHI’S CASTLEと記された缶を発見した。日本で1986-89年に放映されたテレビ番組「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」で、俳優・谷隼人が演じていた「谷隊長」が表面に印刷されている。どうやら、その店のオリジナル・カクテルを詰めた缶らしい。参考までにイタリアで「たけし城」は、2000年代に入って日本のオリジナル版がたびたび放映されてきた。

その谷隊長は、体当たりゲームに生き残った一般参加者に「よくぞ生き残った。わが精鋭たちよ!」と、毎回声をかけるのが常だった。

イタリアの路上では、ときおり「よくぞ生き残った」と声をかけたくなるクルマたちと遭遇する。今回は、そうした例を紹介したい。筆者のアーカイヴは膨大だが、時事性を増すため2023年以降の撮影に限定した。また、趣味車として立ち位置が確立している「シトロエン2CV」「ルノー4」といったモデルは敢えて除外し、明らかに日常生活の中で使われているクルマを集めた。


■車齢33年のフィアットも

まずはイタリア車から。2023年ローマで、この街伝統の石畳「サンピエトリーニ」の上に佇んでいたのは、2代目「アルファ・ロメオ・スパイダー」だ。ナンバープレートからして2001年登録であるから、撮影時点で22年選手ということになる。

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ローマに佇むアルファ・ロメオ・スパイダー。



「クーペ・フィアット」は、のちにBMWに移籍したデザイナー、クリス・バングルによる傑作だ。シエナ歴史的旧市街を囲む市壁付近で2023年に見つけた写真のクルマは1999年登録。24年ものだ。

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シエナの市壁をバックにしたクーペ・フィアット。


「ムルティプラ・フィアット」は2000年代初頭、タクシーも含め頻繁に目撃したものだ。いっぽう、今日ではそうした機会がめっきり減った。2023年の霧深い朝、シエナの公園駐車場に佇んでいた前期型は、2002年登録だ。21年以上が経過していることになる。

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ムルティプラ・フィアット。リアバンパーにバックセンサーが内蔵されている仕様だ。


「パリオ」は、1996年にフィアット版ワールドカーとして登場。イタリアではブラジル工場製が販売されたが、大きな成功には至らなかった。写真は2000年以前の初期型ゆえ、少なくとも23年は使われているが、状態の良さにオーナーの愛情が感じられる。

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フィアット・パリオ。「ウィークエンド」と名付けられたワゴン仕様だ。シエナ旧市街で。


フィアット「ウーノ」5ドアは20239月、シエナ県で確認したものだ。1995年までの前期型である。リアバンパー右側に追加されたバルブは、ガスタンクを後付けして、より経済的なLPG/ガス併用車に改造したことを物語っている。

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フィアット・ウーノ。1995年までの前期型。28年以上走り続けていることになる。



今回紹介するフィアット車のなかで最古は、20231月にシエナ郊外で慌てて撮影した「レガータ・ウィークエンド」である。ハッチバック車「リトモ」の3ボックス版だ。1990年に生産終了しているから、車齢33年以上ということなる。

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フィアット・レガータ・ウィークエンド。



アルファ・ロメオ「159」は、新車当時イタリア市場ではドイツ系プレミアム勢の総攻撃を受け、先代である「156」を超えるヒットには繋がらなかった。そうしたこともあり、今日見かけることは極めて稀である。写真は20231月、シエナの環状道路を走行していたステーションワゴン仕様だ。

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アルファ・ロメオ159スポーツワゴン。気がつけばこれも10年以上前のクルマだが、精悍さは衰えていない。 


これも最早珍しい。「ランチア・リブラ」だ。20241月、クリスマスの余韻が残るフィレンツェで見つけた。1999年に登場した同車は、アルファ・ロメオ「156」と車台を共用していた。当時イタリアでは、米国の俳優ハリソン・フォードを起用したCMが放映された。2004年登録だから、20年ものである。

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フィレンツェ大聖堂を遠くに望むランチア・リブラ。


■こんなモデルも生きてます

イタリア人ユーザーの間でフランス車は、国外ブランドという意識が極めて希薄だ。長年にわたり、国内ブランドのフィアットと価格差があまりないポピュラーカー中心の車種構成だったことが背景にある。

「プジョー106」は20231月シエナでの撮影で、今日でも生存を筆者は確認している。1996年以前の前期型ゆえ、28年以上走り続けていることになる。普段の買い物には格好のサイズである。

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プジョー106


本稿を執筆する数日前には、フランスのナンバープレートを付けた初代「シトロエン C5」後期型をアウトストラーダ“太陽の道”で目撃した。SUVでもなく、エクスクルーシヴ・カーでもない最後のハイドラクティヴ付きシトロエンとして、持ち主の満足度は依然高いに違いない。ちなみに我が街シエナにはC5のタクシー仕様が1台残っていたが、最近見かけなくなってしまった。

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シトロエンC5


最後はドイツ車である。2023年夏にシエナで撮影したこれは、「メルセデス・ベンツ・ヴァネオ」だ。トヨタに匹敵するフル・ラインナップ化を目指していたメルセデスが、初代Aクラスの派生型として2001年に投入したものだ。「トヨタ・ヤリス・ヴァーソ(日本名ファンカーゴ)」のメルセデス版を狙ったものの、Aクラスの人気には遠く及ばず、僅か4年後の2005年には後継車なきまま消滅した。ということは、最低18年も走り続けていることになる。

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メルセデス・ベンツ・ヴァネオ。


■代替が難しいクルマたち

紹介したクルマのユーザーたちは、ヨーロッパで年々強化される排出ガス規制に伴う自動車税の増額と戦ってきたことになる。一部モデルは、有鉛ガソリン時代のものだ。パーツ入手も、だんだんと心細くなっている。維持の苦労が忍ばれる。

新しいクルマは、より安全になっている。2010年には約51,400人だったEU圏の交通事故死者が、2022年には半分以下の約20,600人にまで減少したのには、対歩行者も含めた車両の安全性向上が貢献しているのは疑う余地はないし、高く評価すべきだ。(データ出典:CARE)

しかし、古いクーペやスパイダーからは、今日選択肢が極めて少ない、そうしたボディ形状を支持する人々が引き続き存在することを証明している。同時に、メーカーが主力車種を基に、魅力的なバリエーションをカタログに載せていた時を伝えている。またシトロエンC5は、天文学的に高価でなくても独特の機構を堪能できた時代の一証人である。全長3.54メートル前後でルーミーな室内をもち、かつそこそこの高速巡航をこなせるシティカーたちもしかり。今日その代替を探すのは容易ではない。生き残っているクルマたちは、人々が求めながらも現行車に無いものを教えてくれているのだ。

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2023年夏、シエナのスーパーマーケット駐車場で発見したシトロエンAX90年モデルイヤーまでの前期型だから、33年以上使われている計算だ。

 

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文と写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

 

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シエナのルノー販売店「パンパローニ」に併設された民間車検場。

 

日本で自動車を所有するうえで、頭が痛い維持費のひとつといえば昔も今も車検である。今回は、イタリアの車検制度についてリポートしよう。

 

■格安ユーザー車検の落とし穴

イタリアで車検は一般的に「レヴィジオーネ」と呼ばれている。有効期間は新車が初回登録時から4年。以後は2年ごとである。定員10名以上の車両やタクシー/ハイヤーなど運送事業用車両は1年ごとである。ここまでは日本と細部は異なっても、さほど大きな違いは無い。

 

検査を実施しているのが陸運局と民間車検場双方なのも、日本と同様である。警察による路上検問などで車検切れが発覚した場合に反則金が課されたり、場合によっては差し押さえとなるのも、日本と同じだ。

 

いっぽうで、幸いなことにイタリアの車検料金は安い。かつ定額である。さらに、保険の仕組みが異なるため、日本の自賠責保険料に相当するものは含まれない。実際の料金はというと、自家用乗用車の場合、2024年は陸運局が45ユーロ(7300)、民間車検場が79ユーロ(13千円。換算レートは20241月現在)だ。

 

円にして5700円も安いのなら陸運局によるユーザー車検一択ではないか、と思う読者もいるだろう。何を隠そう筆者も一度、それを試みたことがあった。だが施設は、火〜金曜のそれも午前中しか開いていない。空き照会はいまだメールのみで、予約可能日はかなり先なのが常だ。加えて筆者が住むシエナの場合、陸運局がひどい郊外に立地している。ゆえに待ち時間を潰す場所がない。ついでにいえば(当時乗っていた筆者のクルマがあまりに古かったのが原因なのだが)検査官のチェックが厳しい。実際、排ガス濃度がやや高かったうえ、シートベルトの規格が古いことを指摘されて、泣く泣く撤収した。

 



その後
、知り合いの元整備士のおじさんに車検を頼むようになった。朝、家までクルマを取りに来て来て、午後に届けてくれた。彼が陸運局に持っていったのか、それとも旧知の民間車検場に持って行ったのかは知らない。料金は法定費用+おじさんのお小遣いだったと思う。かなり便利だったのだが、おじさんが歳をとって完全に引退してしまったのを機に、頼めなくなってしまった。

 

■教育的指導も

過去数回は、市内にあるルノー系新車ディーラーの併設サービス工場に車検を依頼してきた。筆者のクルマはルノー系ではないのだが、快く引き受けてくれるうえ、比較的家の近くにあるから便利なのだ。

 

筆者の場合、1月が車検月だ。前月である12月になると、そのディーラーから車検が迫っていることを示す封筒が舞い込む。それと前後して、自動車関連税を管轄している州からも車検期限が迫っていることを知らせる通知が同じく郵便で届く。

 

今回ディーラーからの手紙を読むと、いつの間にかネット予約を導入していた。車検部門は朝が8時半から12時半まで。地域の習慣にしたがって2時間の昼休みをはさんで、午後は2時半から19時までである。およそ30分刻みで入庫時刻が選択できるようになっている。翌日も空いていたが、より筆者が都合の良い翌々日にした。実はネット予約後、何らかの障害で受付確認済メールが届かず、結局電話でリコンファームした。だがこのあたりはイタリアでは日常のことだから、さして動揺しなかった。

 

さて当日のこと。このサービス工場で、車検はマルコさんというスタッフが一人で担当している。A4版を4つに折り畳んだ車検証とキーを渡すと、筆者のクルマは彼の運転によって車検専用ブースへと移動した。設備は日本のものとほぼ同等といってよい。違いはといえば、マルコさんの通勤用である日本製二輪車が脇に収まっている日があるくらいだ。

 

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車検受付カウンター。

 

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車検場を表すREVISIONE VEICOLIのサインが掲げられている。車両はルノー・グループの「ダチア・サンデロ」。2023年のイタリア登録台数では「フィアット・パンダ」に次ぐ2位を記録した人気車である。

 

イタリアでは従来の検査項目に加え、2024年からエンジン・コントロールユニットに記録されている車台番号、走行距離、さらにエンジン警告灯によって表示された異常も、検査員がチェックすることが義務付けられた。それでも所要時間は3040分。ディーラー内の新車・中古車コーナー双方を散策しているうちに車検は終わってしまった。日本のスピード車検よりも短い。

 

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待ち時間に販売店部門を散策。ダチア「ダスター」は、ルノー日産B0プラットフォームを使用したSUVである

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こちらは中古車センター。2021年ルノー「クリオ1.6 Eテック・ハイブリッド」は、走行42千キロメートルで18500ユーロ(298万円)

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EVが集められた一角。手前の2020年ルノー「ZOE」は、走行76千キロメートルで14950ユーロ(241万円)

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販売店オーナーがヒストリックカー・ラリーやヒルクライムに参加するため収集したコレクション。

 

終了すると、車検証に走行距離と検査合格のステッカーが貼られる。貼り付け欄は4つしかない。足りなくなると最も古いステッカーの上に重ね張りされるので、我がクルマは16年落ちなので、部分によって厚くなっている。

 

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検査終了。新しいステッカーが貼られ、過去のものには、無効が一目でわかるよう//が引かれている。

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加えて近年は、車検証明書なるものまで発行されるようになった。

 

車検はともかく、毎回緊張するのがマルコさんの“教育的指導”である。前々回はヘッドライトの光軸ずれ、前回はドライブシャフトのブーツ劣化と、それに伴うアウタージョイント側のグリース流出だった。走行17万キロだから仕方ないといえば仕方ない。後日お金が貯まったところで、彼の同僚に直してもらった。

 

果たして今回は? 歯科医院の検診結果を聞くような気持ちの筆者にマルコさんが指摘したのは、フロントタイヤのショルダー劣化だった。実は2年前にもマルコさんに前輪の摩耗を指摘され、後日交換していた。ということは換えてから僅か1年半だ。いくら前輪駆動とはいえ、走行距離は15千キロメートルちょっとである。近年日本でも販売されている中国ブランドを選んだのだが、やはり安物買いの銭失いだったのかもしれない。

 

心中を察するかのように、マルコさんがすかさずお勧めのタイヤをメモして渡してくれた。グッドイヤー140ユーロ(23千円)、コンチネンタル系でチェコのバルム105ユーロ(17千円)、そしてグッドイヤー系でスロベニアのサヴァ100ユーロ(16千円)…と記されている。さらにキーを受け取ってクルマに乗り込み、助手席を見ると、「板金部門始めました」というチラシと、記念品のボールペンが置かれていた。いずれも従来イタリアの車検では見られなかった営業努力である。民間車検場の競合が激しくなっていることを窺わせる。

 

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助手席には、板金部門解説のお知らせと記念品のボールペンが。

 

ただし、そうした施策無しでも筆者には効き目あるセリングポイントがある。マルコさんの名字だ。「ロメオ」といい、綴りもアルファ・ロメオのRomeoと同じだ。“ルノーのロメオ”というミスマッチが逆に覚えやすく面白くて、ふたたび彼のサービス工場に車検を頼んでしまうのである。会社も本人も気にしていないだろうが。

 

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パンパローニ社車検担当のマルコ・ロメオさん。


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プロフィール
Akio Lorenzo OYA
Akio Lorenzo OYA
大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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