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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文・写真 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

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トリノのアルベルトさん宅。入った途端、頭上のラジカセ以前に、筆者の目は「ソファ」に釘付けにされた。

 

■只者でない家主

先日トリノに滞在する際、宿泊仲介プラットフォームを介して個室を借りた。家全体ではなく、一部屋を借りるタイプである。バスルームはホストと共用の形式だ。

 

夜、セルフチェックインで室内に入って、いきなり目に飛び込んできたものといえば、リビングに置かれたソファであった。どう見ても自動車の後部座席である。その特徴的な意匠は、何のクルマのものであるか筆者には即座にわかった。シュペール・サンクこと2代目ルノー5用だ。それも「バカラ」仕様の革張りシートである。

 

5バカラについて説明しておくと、ルノーがトップモデル25(ヴァンサンク) の高級仕様車バカラ投入に合わせて企画した5版である。1987年から1990年に生産された。「殿方は25、奥様は5の、いずれもバカラはいかがですか」というマーケティングだった。ご存知のようにBaccara とはトランプゲームの一種である。なお、後年ルノーの高級仕様は「イニシアル」という名称に置き換えられる。背景には−たとえ綴りが異なっても−高級クリスタルガラス・ブランドのバカラ(Baccarat)社による抗議があった。

 

リビングに続く空間に足を踏み入れると、同じく5バカラの前部座席を取り外し、パーソナルチェアに改造したものも発見できた。

 

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明らかにルノー5バカラのリアシートである。

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20261月、パリで開催された「レトロモビル」で販売されていたルノー5バカラ。走行89千キロメートルで、価格は6990ユーロ(128万円)だった。

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座席下を見ると、フォークリフト用パレット+キャスターが取り付けられていた。

 

廊下には本物の道路標識やカーブミラーが掲げられている。ヒーターの放熱板上にはオリベッティの歴史的タイプライター「レッテラ32」、見上げれば懐かしいラジカセ(ラジオカセット・レコーダー)もある。筆者にあてがわれた寝室にも古いベスパの広告レプリカが掛けられていた。家の主がそれなりの趣味人であることを直感した。

 

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オリベッティ・レッテラ32。名デザイナー、マルチェッロ・ニッツォーリによる作である。

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アルベルトさんは2026年で37歳。

 

本人に対面できたのは、翌日夕方になってからのことだった。アルベルトさんは1989年生まれ。聞けば、市内きっての人気ナイトスポットで働いていて、勤務時間は夕方から深夜3時までのため、昼間に睡眠をとっているのだという。昨晩会えなかったのは、出勤後のためだった。

筆者が、「その椅子、バカラのですよね?」と言うと、アルベルトさんは「よくわかったな」と驚いた。続いて彼の口からは、思い出話が溢れ出た。

 

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こちらはフロントシート。

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下を覗く。こちらも家庭用にモディファイするための苦労がにじむ。

 

5バカラは、トリノ郊外で中古を発見し、ひと目惚れしたのだという。「いちばん長いツーリングは、ガールフレンドとジブラルタルまで行ったよ」

地中海をフェリーで横断したのかと思いきや、なんとアルベルトさんは陸路を辿っていた。トリノを出発し、まずリグリア地方へと南下。リヴィエラ海岸に沿ってフランスを横切ったあとスペイン入りし、イベリア半島の南東端に突き出した英国領ジブラルタルに至るドライブだった。「往復で6千キロメートル走ったよ」。その間、5バカラはトラブルに見舞われなかったばかりか、彼いわく「オイルを1滴も垂らさなかった」とのこと。

 

■たとえクルマを失っても

かくも溺愛していた5バカラに今も乗っているのかと尋ねると、彼は首を横に振った。残念ながら事故に遭い、廃車にせざるを得なかったのだという。その際に前後シートを取り外し、後席はキャスターを取り付けたフォークリフト用パレットに載せ、前席にも工夫の上キャスターを付けて自宅の椅子にした、というわけだ。

 

レカロをはじめ自動車用バケットシートをオフィスチェアにする例は時折みられる。だが、5バカラのようにソフトで上質感が漂っていた頃のフランス車用シートも、十分家庭用に値する、と筆者は思う。

 

アクシデントで愛車を失うのは、やはり悲しい。ジブラルタルまでの道のりをともにしたガールフレンドも、今はもう彼のそばにいない。シートは、ステアリング以上に長くオーナーの肌に触れてきた自動車パーツである。思い出ごと部屋に迎え入れ、いつまでも寄り添って暮らす――なんとも洒脱な選択ではないか。


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壁には標識やカーブミラーのコレクションが。


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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA

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フィレンツェのメンズファッション見本市「ピッティ・イマージネ109」の「FHストア」で。20261月撮影。

 

■愛車を失った代わりに夢を実現

世界屈指のメンズモード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。年2回イタリア・フィレンツェで開催されるこのトレードショーは、紳士ファッションの行方を占うものとして知られている。日本の有名百貨店を含め世界のバイヤーが訪れることでも有名だ。主に2026/27年秋冬モードが展開された20261月の第109回は、758の出展者と19千人近いビジターで賑わった。

 

出展社のひとつ「FHストア」は、ずばり古き佳き時代の4輪・2輪にインスパイアされたファッションアイテムを扱うショップである。栄枯盛衰が激しいこの世界を反映し、ピッティでは少し前まで大きなブースを構えていたブランドでも忽然と姿を消えていることが珍しくない。そうしたなか「出展19年目」と、社主のマッシモ・ロニグロさんは胸を張る。

 

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FHストアは1970年代のモータースポーツ・シーンを反映したアイテムのショップ。

 

1960生まれの彼は、自動車レースが最も輝いていた1970年代に青春時代を送った。続く80年代はデザイナーとして服飾界で経験を積んだ。仕事の傍らで、モータリングライフもおおいに謳歌した。「二輪はBMW、ドゥカティ、カワサキ。四輪はBMW、ポルシェ、そしてメルセデスといったブランドをひととおり楽しんだよ」

 

みずからのショップを開いたのは2007年のことだった。「開業資金を調達するために(ポルシェ)964カレラ2カブリオレを失ったけどね」とマッシモさんは笑う。当初はガルフ、ホイヤー、ル・マン24時間レースなどにちなんだアパレル製品を扱っていたが、後年自らプロデュースするレトロ風情溢れるヘルメットの限定販売も始めた。

 

オリジナルブランド「ヴィンティッジ・レースFHイタリア」は「私自身のヒストリックカーおよびヴィンティッジ・バイクへの情熱の投影」と語る。デザインはすべてマッシモ氏本人が監修している。他社の多くが低コストを追求し生産を東欧など国外に移行するなか、すべてイタリア国内で行い、各アイテムは200500点という厳格な限定数を守っている。

 

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牛革製バッグは280590ユーロ。

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エイジング&ディストレスト加工が施されたジャケット。以下、多くは来シーズンのものなので価格は問い合わせのこと。

 

今回のピッティで彼が強調していたのはグローブ、つまり手袋のコレクションだ。世界的アパレルブランドの製品も手がける専門工房に発注したもので「197080年代のポルシェ車のシートに使用されていたのと同じテキスタイルを使った」とマッシモさんは説明する。その生地は手袋だけでなく、ヘルメットの内張りやキャップにも。さらにパターンはシルクのスカーフにも反復されている。ラムレザーを用いたジャケットもイタリア国内において総手縫いで仕立てられている。

 

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主宰するマッシモ・ロニグロさんは2026年で66歳。

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往年のポルシェのテキスタイルを再現したグローブ。

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スカーフにもパターンが反復されている。

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こちらのスカーフには、往年のレースにおける名シーンがプリントされている。

 

■ほろりとさせるレター

そうした彼のブースでグリーンのバルケッタが映った1枚のチラシを発見した。何かと聞けば、マッシモ氏は「映画ですよ」と教えてくれた。『ローラ・バム 心の機械仕掛け Lola Bum La meccanica del cuore』と題したイタリア映画で、ストーリーは筆者が住む中部トスカーナを舞台にした、ほろ苦いコメディだ。そういえば地元では2025年秋、劇中に登場する看護師、修理工場のお客、レースのコミッショナーといったエキストラが募集されて、ちょっとした話題となった。インディーズではあるが、この作品にヘルメットをはじめ小道具を監修・提供したという。公開は2026年中が予定されている。

 

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2026年公開予定の映画『ローラ・バム 心の機械仕掛け』のチラシ。

 

いっぽうで筆者は、商品に添えるためマッシモさんがしたためたレターも発見した。

「弊社製品をお選びいただき、ありがとうございます。

私たちは20年間、人々の感情を揺さぶる象徴的な製品を探し求めてきました。

伝説の70年代の思い出と感情。

あなたが選んだ靴は、1970年代に有名なシチリアの職人によってクレイ・レガッツォーニや ジョー・シファート(シフェール)、ニキ・ラウダ、そしてエリオ・デ・アンジェリスなど当時の有名ドライバーのために手づくりされた有名なドライビングシューズからインスパイアされています。

このブラウン、とりわけコニャック色は名門レース、タルガ・フローリオで1970年にジョー・シファートが履いていた靴から着想を得たものです。ガルフ・カラーの伝説のポルシェ908を操縦したときです!

ヴィンティッジカーを操縦するときも、ヴィンティッジバイクを操るときも......幸運をお祈りします。

FHストア  イタリア」

 

商品を受けとったカスタマーの笑みが目に浮かぶフレーズではないか。通販が日常生活において通常の消費行動となったなか、逆にこうしたエンスージアスト泣かせのフレーズは顧客の心をしっかりとつかむに違いない。

 

ピッティ期間中、マッシモさんのブースの目的は当然新規の取引先を開拓することだ。しかし、クルマ好きのバイヤーや同業他社の人にとって憩いの場にもなっている。次は6月。どのように栄光の70年代を“切り取って”見せてくれるのか、今から楽しみである。

 

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クルマ好きの涙を誘うフレーズ。

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オリジナルブランドは自身の店のほか、ザルツブルクやモンテカルロなど国外を含む15都市のパートナーでも展開している。

FH Store https://fhstore.it/


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文・写真  大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

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いつから置かれているのだろうか、2009年登録のフィアット500

 

■ルノー・クリオ、ご難

ルノー・クリオ(日本名ルーテシア)の部品盗難がフランスで頻発している。2025年後半から現地メディアによって次々報じられている。狙われているのは、クリオ5といわれる5代目モデルだ。路上や駐車場に置かれた車両だけでなく、車庫で保管されていた車も被害に遭っている。

盗まれた部品の多くは、インターネットを通じて販売されている。「アクテュ・ポワン・エフェンヌ」紙電子版によると、リヨン南郊サンテティエンヌでは2ヶ月に2回部品を盗まれてしまった不幸なクリオ5オーナーもいた。また、フランスの主要テレビ局TF1は、リアシートを盗まれてしまった所有者を報じている。

クリオ5の部品盗難が相次ぐ理由はきわめて簡単だ。同車はフランスにおける最多販売車種のひとつだからである。2025年に10万0101台を記録し、2位プジョー208の7万3092台を大きく引き離した。

ドアミラー、ヘッドランプなど損傷しやすい部品と、リアビューカメラ、タッチスクリーンなどの人気アクセサリーが狙われやすいという。いずれも純正品は高額なため、中古品をインターネット検索するユーザーが多いことも、犯罪を助長している背景にあるとみられている。

いっぽう今回読者諸氏にご覧いただくのは、希少な車が数々放置されているにもかかわらず、意外にも荒らされていない、奇跡的な駐車場である。


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ルノー・クリオ5最終型(向かって左)20257月、イタリア・シエナ市内の販売店で撮影。



■空きが目立つパーキングにあった車たち


場所はイタリア北部の一都市にある公共駐車場だ。スロープをともなった立体式で、屋上まで含めると6層になっている。収容台数は630台である

2025年初夏、偶然訪れた筆者が建物内に入った瞬間に感じたのは、観光地として誰もが知る街でありながら、妙に空いていることであった。同時に驚いたのは、長いこと動かされていないと思う車が次々と現れたことであった。

筆者が車を駐めようとした階にあった赤いフィアット500(312)は、ナンバープレートからして2009年登録である。埃のかぶり方からして、昨日今日に置かれたものではないことは即座に想像できた。他階も含め場内を回ってみると、メルセデス・ベンツEクラス(W124)をはじめ、ちょっと古い高級モデルが何台も置かれている。500と同様に埃まみれであると同時に、気がついたのは、いたずらされた跡がほとんど見受けられないことだった。


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メルセデス・ベンツEクラス W124の後期型。スリーポインテッド・スターは失われているが、それはイタリアで当たり前の光景である。


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新車時代から希少だったアルファ・ロメオ166もあった。

愛好家にとってはコレクターズアイテムになりそうなヒストリックカーも発見できた。古い英国ナンバーが付いたMG MGB1968年モデル以前の初期型ランチア・フルヴィア・ベルリーナといった車たちである。最も驚いたのは、1967年登録と思われるデイムラーV8 250だ。本場英国でも生存台数約1000台といわれる希少モデルである。


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新車当時はジャガー・マーク2の姉妹車だったデイムラーV8 250

どうして駐車場がこうした状態になったのか。まず、なぜガラガラなのかについては、後日さまざまな資料を読むうちに判明した。一言でいえば計画のずさんさと立地のひどさだ。市街地の駐車場不足問題を解消するため、州および市が巨額の費用をかけて建設して2006年に開業したこの施設は、実は新交通システム構想と一緒だった。車を置いて街に行く、いわゆるパーク&ライド用というわけである。しかし、肝心の新交通システム建設開始の具体的目処は、いまだ立たない。駐車場のほうが先にできてしまったのである。

市街地との距離は2.5キロメートル。歩くと優に30分を要する。“陸の孤島”から脱出するには従来の路線バスに頼るしかない。しかも駐車場の営業時間が24時間ではなく朝6時30分から夜の9時までと限られているところも、人々から敬遠される理由になっているのは間違いない。観光地における売りのひとつであるナイトライフを楽しむには、まったく使えないのである。


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MGBは錆が結構浮いている。


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MGB。英国ナンバーが付いた右ハンドル仕様である。


■“名車”が集まってしまった背景

次に、なぜヒストリックカーが滞留してしまうのかについて考えてみた。第一の理由は料金が11ユーロ(185)と、今日破格ともいえる料金であることだ。年間料金も設定されていて、こちらも350ユーロ(65千円)だ。

屋根付き・場内監視カメラ付きであるうえ、郊外ゆえいたずら目的の輩が市街地より少ないのも保管に好都合なのだ。また、本連載第45「なぜ廃車に惹かれるのか」に記したように、放置車に関する行政対応が追いつかないことも背景にあるのは明らかだ。追いつかない以上に対策に着手しにくい雰囲気なこともあるだろう。前述のように格安料金ゆえ、明日オーナーが帰ってきて(さすがにジャンプケーブルによる始動は必要そうだが)エンジンをかけ、料金を精算して去ってゆくことだって有り得るのだ。

車種に趣味性が高いのには理由がある。伝統的に一帯は繊維や家具工業を基盤とした、イタリア屈指の豊かな都市だからである。

もちろん、盗難車などの事件性が皆無とはいえないだろう。さらに、オーナーが維持しきれなくなって捨ててしまったとも考えられる。屋外で雨ざらしにするよりも、心が傷まないに違いない。もしくは、病院の駐車場でよくあるように、持ち主に放置の意図はなかったのだが死去してしまった、というケースも考えうる。オーナー本人とは対照的に車に関心がない家族−−イタリアではよくあることだ−−が、ここに生前の愛車があることをまったく知らないといった場合だってあろう。


冒頭のルノー・クリオのような部品盗難は由々しき問題だ。だが、このようにほぼ無傷で放置されてしまった高級車も、筆者にさまざまな物語を想像させてしまい困るのである。


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ランチア・フラヴィア・ベルリーナ。被せておいたカバーが強風で飛んでいまい、ロープのみが残ったのだろうか。隣にはメルセデス・ベンツCLKカブリオレが。


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デイムラーV8 250はヒョンデ・テラカンのそばにたたずんでいた。


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イタリア中部シエナ県の古い修理工場で。「フィアット124」のリアフェンダーと、奥の壁面にはマニエッティ・マレリのサインが。

 

■花をしおれさせてしまったような

「マニエッティ・マレリ」といえば、イタリア車愛好家にとって懐かしい電装品ブランドであろう。いっぽう近年「マレリ」というと、日本では「経営再建中の」という“枕詞”がついて報道されることが多かったのも、これまた事実だ。

 

おさらいしておくと、マニエッティ・マレリの始まりは1919年にまでさかのぼる。当初の製品は点火プラグへの電源供給装置として永久磁石を使用したマグネトー式発電機で、創業者エルコレ・マレリとフィアットの折半出資だった。本稿の話題である伝統的ロゴの原型も、同年に制定されている。社業は順調に発展。1970年代から90年代初頭のフォーミュラ1にはチームのスポンサーとして積極的に関与した。そのため今もノーズにMagneti Marelliのサインが記されたマシンを記憶しているファンは少なくない。


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1992年のフォーミュラ1「ダラーラF192」の鼻先にも、マニエッティ・マレリのロゴが記されていた。202510月、古典車ショー「アウト・エ・モト・デポカ」の企画展で。

コモンレール式ディーゼル燃料噴射やアルファ・ロメオのセミ・オートマチック変速機「セレスピード」の開発にも大きく貢献した。

 

やがて2018年、フィアット・ブランドを要するFCA(現ステランティス)はマニエッティ・マレリの全保有株を投資ファンドCKホールディングスに売却。同ホールディングスは、先に自社が保有していた旧日産系のカルソニックカンセイ統合し、翌2019年にマレリと社名を変えた。

 

しかしその後、主要取引先であったステランティスや日産の経営不振により、持株会社であるマレリホールディングスの経営環境が悪化した。イタリア国内工場でも従業員の一時帰休に端を発する労働争議が頻発するようになった。とくに1970年にマニエッティ・マレリが買収したキャブレター会社ウエバーの生産拠点であったボローニャ工場における争議は2025年現在も続いている。


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マレリのイタリア国内生産拠点のひとつ、ボローニャ工場。元ウエバーの生産拠点であった。

 

2022年、東京地裁に民事再生法の適用を申請したのに続き、2025年には米国デラウェア州で連邦破産法第11(チャプター11)の適用を申請。ドイツ銀行などの貸付機関グループのもとで再建が決定して現在に至っている。

 

202511月にはインド南部に新研究開発拠点を開設という、久々に明るいニュースが伝えられた。だが、市場的にも地政学的にもダイナミックに変化する近年の自動車業界ゆえ予断は許されない。

 

イタリアの自動車関係者がマニエッティ・マレリの現況を知っているか?というと、“フィアット”の手を離れたことはある程度知られている。だが、投資ファンドが介在したこともあり、最終的に日本を本拠とする企業に渡ったことを知る人は限られている。一般人の間ではなおさらだ。

それでも、車体や修理工場に古いマニエッティ・マレリのロゴが誇らしげに掲げられているのを目にするたび、日本にゆかりある筆者は、もらった花をしおれさせてしまったようで後ろめたくなっていた。

 

同時にいえるのは、日本のメディアがマレリの経営状況を伝えるときは、マレリと社名を変えたときに制定された大きなMの字の新ロゴばかりが映し出されることだ。あの伝統的ロゴは、イタリアでもフェードアウトしてゆくのだろうか?

 

■健在を確認

そのような思いをめぐらせていた折、DIYセンターなどで懐かしいマニエッティ・マレリのロゴ入バッテリーを見かける機会があった。メガサプライヤーゆえ、こうしたアフターマーケット品は、とうの昔に手掛けなくなっていたのかと信じていた筆者としては意外だった。

 

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マニエッティ・マレリのバッテリー。シエナ県のDIYセンターで2025年撮影。

 

店頭に並んでいる商品のラベルをもとに調べてみると、コルツァーニという企業が浮上した。マレリのアフターパーツ部門であるマニエッティ・マレリ・アフターマーケット(現マニエッティ・マレリ・パーツ&サービシーズ)は、イタリアの大手自動車部品卸売業コルツァーニ社とバッテリーの独占販売契約を締結していた。調印は2016年だから、マニエッティ・マレリが旧FCAのグループ企業だった最後の時期である。


今日では、バッテリーだけでなく、モーターオイル、添加剤、灯火用バルブ、そしてワイパーブレードといった製品をコルツァーニと展開している。

 

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このモーターオイルもコルツァーニ社とのプロデュースである。2025年撮影。

 

ついでに記せば、マニエッティ・マレリ・パーツ&サービシーズは、今日でも最盛期の生産拠点であったミラノ郊外コルベッタに本社を置いている。そしてアフターパーツのほか、認定修理工場ネットワーク用の計測・検査機器も展開している。

 

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DIYセンターで。このように他ブランドのバッテリーや商品と並べられて売られていることも。2024年5月。


それらの領域で使用しているのは、コルツァーニとのコラボレーションと同じ、マニエッティ・マレリというフルネームと旧ロゴだ。少なくとも伝統は生きていた。筆者のマレリに対する例の後めたさも、やや収まったのである。

 

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ある刃物研ぎ屋さん。店舗ロゴを考えた人の頭には、きっとマニエッティ・マレリのロゴがあったに違いない。202511月、シエナ県で。


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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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