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My last summer wine
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往年の日本グランプリでエントリーしていた車の中に日野サムライがありました
おぼろげな記憶では最低地上高が理由で車検で失格になったように記憶していますが
その斬新なスタイリングに当時小学生だった私に衝撃を与えた記憶があります。

style_auto_14_6703.jpg

リヤウィングは当時、エアロフォイルと呼ばれていたように記憶してますがチャパラル同様この時代に空力を最優先してレーシングカーを設計していた数少ないものかもしれません。




65-Daytona-Cobra-Coupe-DV-09-AI-01.jpgear_daytona_shelby_cobra_coupe_005.jpg
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幼稚園時代は広島弁丸出しワンパク小僧でしたがその後、再び父親の転勤で渋谷の笹塚に引っ越し、小学校は地元の笹塚小学校に入学。
その後小学2年生の時に世田谷の三軒茶屋に移ったのですがその当時はご多分に漏れずスロットレーシングカーが大流行でした。
憧れはCOXのCHAPARRAL!!

index3.jpg



当時のNEWSWEEKSの表紙を飾ったジムホール氏のこのクルマに憧れを抱くやんちゃ坊主でした。
この時代に独自のエアロダイナミクスに関しては最先端の革新的アイディアを次々に投入
したCHAPARRALは特異な存在だったと思います。



http://www.chaparralcars.com/gallery.php

Chaparral.jpg




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20100614113421_original.jpg

母方の父親(おじいちゃんですね)は昭和の初期に仕立服のビジネスでアメリカと日本を行き来していたそうで母親の姉(おばさん)は戦争前にホノルルで生まれて戦争勃発によりそのまま米国籍となりカリフォルニアに渡って色々と苦労したそうです。
そんな事から物心つくころから身の回りにアメリカの漫画本やハーシーズのチョコレート等々がありました。

そんな中で一番のお気に入りのオモチャがこれ。
ダイキャスト製のぜんまい仕掛けのクルマで明らかに国産ブリキのおもちゃと異なるずっしりとした質感と精度が印象に残ってます。
1ドル360円の時代でした。
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mg_emblem2.jpg

初めてこのエンブレムに興味を持ったのは、丁度幼稚園に通い始めた頃と思います。
家族旅行先で見かけたちょっと他のクルマとは異なるプロポーションのクルマの先端についていた八角形のエンブレム、幼心に妙に気になったのを今でも覚えてます。




時代的に多少不確かですが多分MGのTCだったと思います。
MG_TC.jpg

昭和の30年代初頭ですから当時の英国製スポーツカーは現代のスーパーカー以上の存在感だったんだと思いますが走り去る時の野太いマフラーサウンドは心躍る感覚でした。
(今にして思えば・・・   この頃からマフラーサウンドの音質に興味が ・・・)

当時の国産車は未だノックダウン生産のヒルマンとかオート3輪の時代でした。






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My last summer wine


最後の夏に収穫した葡萄でワインを




これ、イギリスの諺みたいなもんで短くも長い?! 人生の中でその人なりの思いや情熱を何かに残す比喩・・
私の場合はさてさて何が残せるものやら心もとないのが正直なところですが此方のブログでは主に過去に遡っての回顧録的な内容をメインに綴ってみたいと思ってます。






生まれたのは埼玉県の川口なんですが、生後5か月目に父親の転勤で広島に。
歳がばれちゃいますが昭和27年、随分昔の話ですが微かな記憶に残る当時の広島市内は本当にノンビリしていて日中に市電の軌道のど真ん中に座り込んで遊ぶ幼児だったようです・・・
広島市内の縮景園という公園の真向かいが借家で、当時はこの縮景園と広島城跡(当時は石垣だけ残る空地でした)が腕白小僧のナワバリでした。
2~3歳の頃に最初に興味を持ったのが真っ黒な蒸気機関車だったようで初めて描いたお絵かきも汽車だったように聞いてます。
まあ、ありがちなパターンで動くものに興味を持つといったところかと思いますがこの時代
少しあやふやですが木炭車も市内を走っていたように・・
今思えば、当時の貧しい日本には心の中に希望と温かさがあったのではと思います。



・・続く


 
800px-HiroshimaShukkeien7309.jpg
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