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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

レトロモビル2023

ヨーロッパ屈指のヒストリックカー・ショー「レトロモビル」が2023年2月1日から5日までフランス・パリのポルト・ド・ヴェルサイユ見本市会場で開催された。

レトロモビルは今回で第47回。出展社・団体数は500以上を数え、展示車両も1000台を超えた。2020年以来3年ぶりの通常開催ということもあり連日賑わいをみせ、総入場者数は過去2番目に多い12万5千人に達した。

特集も「ル・マン24時間の100年」や「キャンピングカー」など、多彩な企画が組まれた。公式オークションであるアールキュリアル社のセールの落札総額は3550万ユーロ(約51億2千万円)に達した。

メーカー出展も過去の停滞期を脱し、その数は12に及んだ。彼らの多くは歴史車両展示とともに、最新電動車のアプローチやプロモーションも忘れていなかった。たとえばシトロエンは2022年9月に発表したコンセプトカー「オーリOli」を初めて一般公開した。フォルクスワーゲン・コマーシャルヴィークルズは「ID.Buzz」を、T1やT2といった歴代トランスポーターと並べることで、デザイン的・コンセプト的共通性を強調した。

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レトロモビル2023でルノーは電動化キット「レトロフィット」を公開。これはルノー「4」をベースにしたコンセプトカー「スイートno.4」。

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シトロエンはEVコンセプト「オーリ」を初めて一般公開した。4200mm×1900mm×1650mmというサイズは、小さな寸法のボディが多いヒストリックカーの脇では、想像以上に大きく見えた。

ルノーからソレックスまで

いっぽうルノーは、2023年1月25日に発表した電動コンバージョンキット「レトロフィット」を初めて一般公開した。

フランス南部コート・ダジュールのカシスを本拠とする「Rフィット」とのコラボレーションで実現したものである。第一弾として「ルノー4」用キットが、レトロモビル初日の2月1日にオンラインで販売開始された。

バッテリーは容量10.7kWh のリン酸鉄リチウムイオン式。いっぽう変速機はオリジナルを流用する。車両の重量配分はオリジナルと同等になるよう工夫されているという。16A-220V家庭用電源による満充電までの所要時間は3.5時間。航続可能距離は80キロメートルとされている。保証期間は2年だ。

価格は取付費・付加価値税込みで17,900ユーロ(約258万円)だが、フランスでは多くの自治体が導入している環境対応車補助金制度の恩恵を受けられる。ルノー「5」用は2023年9月に発売、続いて初代「トゥインゴ」用もリリース予定だ。

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レトロフィットが施された初代ルノー「5」。

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発売30周年を迎えた初代ルノー「トゥインゴ」用のレトロフィット・キットも将来発売される。会場には、社内デザイナーの手によって90年代のローライダー風にドレスアップされた仕様が展示された。

別のパビリオンでは、往年のフランス製モペッド(ペダル付き原付き二輪)用コンバージョン・キットを手掛ける業者も出展していた。「ノイル」という名のスタートアップ企業で、「ソレックス」「プジョー103」といったモデルに出力1.4kWのモーターを装着することにより、航続距離30〜60キロメートル、最高時速32〜45キロメートルを実現している。

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モペッドのコンバージョンを手掛ける「ノイル」のスタンドで。電動化を施された「プジョー106」。


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プジョー106のオリジナル・エンジン(左)と、換装用のモーター(右)。


看過してはいけない現象

実は2022年10月に同じ見本市会場で開催されたパリ・モーターショーにも、電動車に改造するキットを手掛ける業者が複数出展していた。

背景には、パリやリヨンなどで段階的に強化されている「クリテアCRIT’Air」と呼ばれる厳しい自動車進入規制がある。たとえばパリでは2021年6月から、05年以前登録のディーゼル車および96年以前登録のガソリン車が反則金付きで禁止された。二輪車も2000年5月以前に登録された車両は進入できない。そうしたクルマは、夜間・早朝と週末しか走行が許されていない。

いっぽうで電動車は、あらゆる規制から除外される。ただし前述のルノー4用レトロフィットのコンバージョン価格を見ればわかるとおり、決して安くはない。そもそもベースとなるルノー4の中古車を用意する必要がある。参考までにルノーのサブブランド「ダチア」のフルEV「スプリング」の新車は、2万1千ユーロ(303万円)で買える。プジョー103用コンバージョン・キットも、取付費込みで899ユーロ(約13万円)だ。こちらも中国製スクーターの新車が買える値段である。にもかかわらず、一定のマーケットが生まれる兆しがある。

いったい、どのような人々が依頼するのか? その質問に答えてくれたのは、電動化したプジョー504クーペをパリ・モーターショーに展示していた業者だった。「何台も所有する古典車コレクターの方は、うち1台を普段の街乗り用に、ためらわず電動化します」。

しかし、筆者はもうひとつ理由があると考える。それを確信したのは、同じ業者による、次の言葉だった。
「創業4年になる我が社で、これまでのお客様のうち25%、つまり4人に1人は女性でした。彼女たちは、市街地をエレガントに走りたいのです」

最新のクルマのデザインに欠如している、古いモデル独特の強い個性と温かみが、人々にコンバージョン・キットを選択させている。そうだとすれば、新車の商品企画に携わる人たちは、けっして看過してはいけない現象だと筆者は思うのである。

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前輪をローラーで駆動するソレックスの特徴的なエンジンもモーターに換装する。510ユーロ(約7万3千円)から。所要48時間も売りにしている。ちなみにノイル社はモーター換装済みの中古ソレックスも販売していて、そちらは999ユーロ(約14万4千円)から。

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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

あの人は今

元レーシング・ドライバーのアレッサンドロ・ナンニーニ氏(日本ではナニーニと表記されてきたが、本稿ではイタリア語により近いナンニーニと記す)といえば、1989年F1日本グランプリにおける、波乱の展開を経ての優勝を覚えておられる方は多いだろう。翌90年のヘリコプター事故で瀕死の重傷を負いながら、92年には「アルファ・コルセ」でサーキットに復帰。続いてDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に挑戦した。

そのナンニーニ氏は、筆者が四半世紀にわたって住む中部トスカーナ地方シエナの出身である。実家は、祖父が興したシエナ屈指の菓子店、その名も「ナンニーニ」だった。参考までに、姉ジャンナ氏はミラノで歌手を目指し、今日イタリアを代表するロックシンガーとして不動の地位を確立している。

2023年で64歳を迎える現在、ナンニーニ氏は食品やカフェの商標管理やコンサルティングに携っている。シエナ旧市街を見渡す郊外の自邸に住み、高い塀に囲まれた庭には数え切れないほどのオリーブの木が育っている。枝の下では、彼の白い愛犬がのんびりと昼寝をしている。夏は、2カ月近くサルデーニャ島に拠点を移して過ごす。それが元F1パイロットの今の暮らしだ。

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アレッサンドロ・ナンニーニ氏。自邸前で2021年夏撮影。

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ナンニーニ邸の応接間にて。2021年夏。

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DTM時代、自らが駆ったアルファ・ロメオ155 V6 TIのモデルカーが保管されていた。


広場のカフェにて

シエナの中心であるカンポ広場。夏にはイタリア屈指の伝統行事である競馬「パリオ」が催されることで有名だ。いくつも立ち並ぶバールの屋外席は、セネーゼ(シエナ人)にとって憩いの場である。その中のひとつに、ナンニーニ氏の姿を見かける日がある。「もともと私は、こういう田舎の生まれだからね」と、街への愛着を語る。

正面の「パラッツォ・ブッブリコ」は、市役所である。だが、13世紀から16世紀にかけてシエナが独立共和国だった時代は、政庁舎だった由緒ある館だ。
市役所といえば、実はナンニーニ氏は2011年、シエナの市長選挙に中道右派政党の推薦で立候補したことがあった。一帯はイタリアでもとくに左派勢力が強い一帯ということもあり、結果は落選に終わった。公約としていた地元飛行場の拡張をはじめとする交通インフラ整備も実現しなかった。彼は2015年に筆者に「政治は私にとって、けっして居心地の良い場所ではなかった」と語っている。

ただし社会に対する関心は、いまだ強い。彼と電気自動車(EV)の話をしたときだ。「息子はテスラが欲しいと言ってはばからない。しかし、EVは、使用済み電池の問題まで広い視野で考えないといけない」と釘を指す。そしてこう付け加えた。「環境保護を大義名分にしたビジネスがあることにも気をつけなければならない」

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祖父が興した菓子店兼カフェは、今もシエナのメインストリートにある。2021年6月撮影

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「ナンニーニ」のショーケースにディスプレイされたシエナの伝統菓子「パンフォルテ」。


やんちゃなお坊っちゃま

クルマの話は続く。近年はムジェッロ・サーキットの「ヒストリック・ミナルディ・デイ」に毎年ゲスト参加してきた。「アルファ・コルセ時代に一緒に戦ったニコラ・ラリーニとも会えるからね」

筆者が彼とエスプレッソ・コーヒーを傾けている間にも、「よう、アレッサンドロ!」 と、通りがかりの人々が彼に声をかける。
昔からの仲間たちだ。彼らにとってナンニーニ氏は、元F1パイロットというヒーローである以上に、今も“同志”である。
それを窺い知ることができるのは、筆者の知人である地元男性の回想だ。彼は高校時代、ナンニーニ氏とたびたびバイクを連ねて走ったことを誇らしげに話してくれた。シエナは1965年、他都市に先駆けて、旧市街全域で自動車通行を締め出した街である。にもかかわらず、広場をアレッサンドロとぐるぐる回ったという。

実際のところはどうなのか? その質問に、ナンニーニ氏はこんな話を披露してくれた。
「当時私はKTMのバイクに乗っていたんだ。対して、追ってきた市警察はモトグッチ。彼らは全然、聖カテリーナ教会前(筆者注:シエナの名所のひとつ)の急坂を登れなかったね!」。つまりナンニーニ氏は見事逃げ切ったのだ。名門菓子舗の、やんちゃなお坊っちゃまぶりが目に浮かぶ。
当時とまったく同じ風景が広がる街は、そうした限りなくオフレコに近い武勇伝のリアリティを限りなく増幅させる。だから晴れた日になると、ナンニーニ氏がいないか、思わずバールの屋外席を見回してしまうのである。

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シエナのカンポ広場。向かいに見えるのがパラッツォ・プッブリコ。2022年6月、古典車ラリー「ミッレミリア」当日に撮影。

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カンポ広場でくつろぐナンニーニ氏。2021年秋撮影。
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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA/Stellantis

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料理人、アントニーノ・ヴィターレさん(1987年生まれ)と、彼の2006年フィアット・ムルティプラ。

早くも発売四半世紀

「フィアット・ムルティプラ」をご記憶の方は多いだろう。イタリアでの発売は1998年だから、2023年でちょうど誕生四半世紀を迎える。

全長は3.99メートルにもかかわらず、横3人掛け✕前後2列で6人乗りを実現した、ユニークなミニMPVだった。その座席配置に至った経緯が面白い。元となったのは開発スタート時、先に商用車で合弁事業「セヴェル」を展開していたPSAプジョー-シトロエンとの契約だ。「両社は、全長4メートル以上の5人乗りモデルを独自に販売しない」という一文があった。合弁生産によるMPV「シトロエン・エヴァジオン」「プジョー806」「フィアット・ウリッセ」そして「ランチア・ゼータ」と競合するような車種を独自に造らないようにしよう、という取り決めであった。ちなみに、その後フィアットとPSAは2021年に合併して今日に至っている。ロベルト・ジョリートが率いたチェントロ・スティーレ・フィアットによるムルティプラのデザインは、どの従来モデルとも異なる個性を放っていた。そのため、ヨーロッパでは賛否両論を巻き起こした。だが、デザインに識別眼をもつ人には高く評価され、早くもデビュー翌年の1999年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の企画展に展示されるに至った。

個人的なムルティプラの述懐をお許しいただければ、2000年にフィアットから借りた広報用試乗車でトリノを出て、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア各地を1300kmにわたり巡った。行く先々では好奇の目をもって迎えられた。いっぽう、アルプスの峠道ではコモンレール式ターボディーゼルの潤沢なトルクのおかげできわめて快適だった。加えて、他車と比べて全長と全幅の差が少ないため、ゴーカートのようなダイレクトな操縦感覚が印象的だったものである。

ムルティプラは2004年に後期型へと切り替わる。他のフィアット車とのデザイン的共通性をもたせるべく大幅なフェイスリフトが行われ、同時に全長は4メートルを僅かに超えることになった。
そして2010年、「フィアット500L」に道を譲るかたちで、カタログから消えた。

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1998年フィアット・ムルティプラ初期型のメーカー写真。シャシーには専用スペースフレームを用いるという、実は贅沢な設計だった。

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前後とも、センターのシートは折り畳むとテーブルとして使えるようになっていた。この写真では、前席中央がオプションのクーラーボックスに換えられている。
 

きっかけは「カングーご法度」

イタリアの路上を走るクルマは、少しずつ変化している。徐々に増えているモデルもあれば、気がつけば見かけることが稀になったモデルもある。残念ながらムルティプラは後者の1台だ。

各地で多数採用されていたムルティプラのタクシー仕様も消えていった。ミラノなど大都市で排気ガス規制強化にともない、トヨタ製ハイブリッド車が主流となっていたことが背景にある。

そうしたなか、ある後期型ムルティプラのオーナーに出会ったのは、我が街シエナのワインショップでのことだった。

彼の名はアントニオさん。ただし「アントニーノと呼んでくれ」というので聞けば、生まれこそシエナだが、長いこと南部シチリアに住んでいたという。同地では代々祖父と同じ名前を孫に命名するので、区別が容易なよう、「小さな」を意味する縮小語尾である-inoをつけるのだ。

筆者が日本人であることを知ると、「サムラを5年近く愛用しているよ」という。Samuraとは日本製鋼材を用いた包丁のブランドである。プロの料理人だった。

1987年生まれの35歳。ピッツァ職人を振り出しに、さまざまな場所の厨房で働いてきた。「(2022年)夏はトスカーナの高級リゾートホテルで、よく働いたよ」と言う。

さて、肝心のムルティプラは?
「2006年式だけど、手に入れたのは2019年だよ」とアントニーノさんは話す。当時彼は、トリノで働いていたという。「それまで乗っていたルノー・カングーのディーゼルが、(自治体の排気ガス規制で)市内に進入できなくなった。だから中古のムルティプラに乗り換えたんだ」
見ると、彼のムルティプラは、天然ガスとガソリンが併用できる「ナチュラルパワー」と名付けられた仕様である。多くの都市で天然ガス仕様車は、CO2排出量が少ないことから、たとえ古くても排ガス規制の対象外なのだ。


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アントニーノさんのムルティプラは、トリノで手に入れたものである。

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後期型の全長×全幅は4090mm×1870mm。

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天然ガス併用車を示す「ナチュラルパワー」のバッジ上には、シチリアの州章をモダナイズしたステッカーが。


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メーカーによるナチュラルパワー仕様車の透視図。一般的な天然ガス仕様車がラゲッジスペースにタンクを配置しているのに対して、ムルティプラはフロア下に収めている。

参考までに、ヨーロッパで有名な中古車サイト「オートスカウト24」でアントニーノさんと同じ年式のムルティプラ・ナチュラルパワー仕様を検索すると、2022年12月27日現在102台がヒットする。最安こそ走行28万キロメートル超の895ユーロ(約12万円)だが、中心価格帯は4千ユーロ(約57万円)で、なかには7500ユーロ(約106万円)で売られている個体もある。それなりに人気絶版車であることがうかがえる。

家族で「並べる」楽しさ

必要に駆られて購入した13年落ちのムルティプラだが、気がつけば、アントニーノさんの日常生活に欠かせないツールになっていた。それを匂わせるように、リアシートは取り外され、デイパックから子ども用おむつの箱まで満載されている。メーカー値を参照すれば、リアシートを装着した状態でも、倒せば1500リッターの荷室容量が確保される。

もちろん、オリジナル+極上主義の日本在住イタリア車ファンに、この状態は複雑な心境に陥るかもしれない。しかし、こうした徹底的な使い方こそ、常に究極の実用車を目指すフィアットの設計者やデザイナーが想定してきたものであることもたしかだ。

 

ムルティプラで良かった点は? 「イタリア語講師をしている女房と3歳の子どもを前席に乗せて一緒に走れることだな」。たしかに今日このサイズのクルマで前列3人乗りのモデルは見当たらない。料理人の仕事は、一般人のホリデイ・シーズンが稼ぎどきだ。それだけに、妻子と過ごす時間は、他の家族よりも大切である。彼らが3人で前席に乗り、快走する姿が目に浮かぶ。


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車内を拝見。「家族3人で並んで乗れるのが最大の美点」とアントニーノさんは語る。

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後席は取り外され、代わりにあらゆるものが積まれている。生活感満点だ。

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「子ども乗ってます」のステッカーが2枚も貼られているところに、オーナーの子煩悩さがうかがえる。

最後に筆者が「じゃあ、近いうちトスカーナのリゾートに顔を出すよ」と言うと、なんと「数日中に、今度はフランスのレストランで働くために旅立つよ」と教えてくれた。今日は、出発前にイタリアのワインを買い込むため、ショップを訪れていたのだった。

 

車齢17年。オドメーターは26万キロメートルを刻んだ。さすらいの料理人アントニーノさんのムルティプラは、まだまだ走り続ける。

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シエナの量り売りワイン店にて。アントニーノさん(左端)は、このあとフランスへと旅立っていった。




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トリノ自動車博物館(MAUTO)にて。2022年、常設展に新たに加わった1998年「フィアット・バルケッタ1.8 16V」。エクステリア・デザインは、のちにSUBARUに移籍するアンドレアス・ザパティナスによる。

ミュージアムに突如出現

フィアット・バルケッタ(1994-2005)が「歴史車」になりつつある、というのが今回の話題である。

トリノ自動車博物館(MAUTO)は、イタリアを代表するカーミュージアムのひとつだ。現在の建物は、この地で開催された国家統一100年記念博覧会に合わせ、前年である1960年に開館したものだ。収蔵台数は約200台にのぼり、地元ピエモンテ州、トリノ市、ステランティスそしてイタリア自動車クラブが運営を支えている。
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**MAUTOの外観。現在の建物は1960年落成。堂々たるファサードは、当時のイタリア自動車産業の隆盛をしのぶことができる。

現在の常設インスタレーションは、基本的に2011年のリニューアル・オープン時のものだ。しかし、2022年10月に筆者が同館を訪れたとき、順路の途中で、ある1台に目を吸い寄せられた。従来姿がなかった、オレンジ色の「フィアット・バルケッタ」だ。正確には1998年2月に製造されたフィアット・バルケッタ1.8 16Vである。1.8 16Vで、1998年2月に製造されたものと記されている。

解説板には、こう記されている。「イタリア製。ラインはソフトでダイナミック。そのスピリットは栄光のスポーツカーたちである。内外装ともすべてフィアットの社内チームによる。4気筒1747cc 130ps/6300rpm 200km/h」


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ノーズには、先に車両が登録されているクラブのステッカーと認証番号が貼られている。

博物館のダヴィデ・ロレンツォーネ学芸員に聞いてみると、「2021年にマルコ・ライヒト氏という愛好家から寄贈されたものです」と教えてくれた。レーシングカー/コンセプトカーそして企画展を除き、事実上最も若い、その展示車両は、熱いファンからの贈り物だったのである。
マリエッラ・メンゴッツィ館長によると、コンディションが良く、もちろん実動状態という。「私たちは、(贈られたことを)とても名誉なことに感じています」と語る。

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MAUTOのマリエッラ・メンゴッツィ館長。フェラーリ広報、オランダのヨット製造会社CEOなどを経て、2018年から現職。

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ダッシュボードは、フィアット製他モデルのパーツを巧みに活用しながらも、ネオクラシカルともいえる造型を実現している。

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トランクリッド上にはラゲッジ用ラックが付加されている。

後部に回ると、ラゲッジ用ラックに、3枚のメタル製プレートがある。1枚は「フィアット保存会」、もう1枚は「バルケッタ・クラブ・イタリア保存会」の登録証、そして最後のプレートには、デザインを担当したアンドレアス・ザパティナスと、当時ボディを受託生産した「カロッツェリア・マッジョーラ」のブルーノ・マッジョーラの直筆サインが確認できる。参考までにマッジョーラ社は、第二次大戦前に創業を遡る歴史的企業であったが、バルケッタ生産終了の影響が大きく、2004年に倒産している。

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「フィアット保存会」および「バルケッタ・クラブ・イタリア保存会」の登録証。

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アンドレアス・ザパティナス、ブルーノ・マッジョーラ各氏の直筆サインが確認できる。

フェラーリ以上の人気者?

ところでイタリアでは、製造後30年以上が経過し、かつオリジナル性など一定の要件を満たした四輪車および二輪車は「歴史的関連性証明書(CRS)」の申請が可能である。認定業務にあたっているのは、イタリア自動車クラブ(ACI)、イタリア古典四輪二輪車協会(ASI)、およびそれらの認証を受けたメイク別クラブなどである。CRSに認定されると、イベントへの往復・参加以外は運転できなくなるが、代わりに各種優遇措置が適用される。自動車税は通常年額数百ユーロを要するところが、ひと桁少ない数十ユーロに減免される。保険も7割程度安くなり、100~200ユーロ台(車両保険含まず)になる。

実はこのCRS制度、30年が経過していない製造開始後20〜29年の車両、いわゆるヤングタイマーにも同様の道が開かれている。ただし、こちらは車種・仕様が限定されていて、指定リストにあるものでないと申請できない。

この“飛び級”ともいえる枠のなかに、フィアット・バルケッタもしっかり入っている。1995年から2003年までに生産された16バルブ仕様(トリノ自動車博物館の車両も、これに該当する)、および2001年から2003年までに生産された「ナクソス」という仕様である。ヒストリックカー1年生といったところだ。

ところが、1年生と呼ぶには貫禄がありすぎるシーンを、博物館のフィアット・バルケッタで目のあたりにした。子どもたちに絶大な人気があるのだ。クルマに駆け寄ってポーズをとる子を、カメラに収めるお父さんもいる。筆者が確認したかぎり、歴史順に並んだ車両たちのなかでひとつ前に展示されている「フェラーリ365GT4 2+2」より、明らかに人気者だ。

 

バルケッタのメカニカル・コンポーネンツは「フィアット・プント」のものだ。普及版小型車をベースにしながら、スーパースポーツカーと肩を並べられるスタイリッシュなモデルを造るのは、かつてフィアットの真骨頂であった。価格が手頃かつ、十分個性的なイタリアン・ラナバウトが、再び現れないものだろうか。そうした期待を胸に抱きながら、ポー川沿いのミュージアムを後にした。

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バルケッタとともに記念撮影に興じる父子。


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参考までに、これは「バルケッタ・クラブ・イタリア」のミーティング風景。トリノのフィアット歴史的工場再開発エリア「リンゴット」で、2015年撮影。
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文・イラスト 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Pininfarina Segno、Akio Lorenzo OYA

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ピニンファリーナがライナップを拡大するインクレスペンの新バージョン「スマート」。

ピニンファリーナといえば、イタリアを代表する自動車デザイン&エンジニアリング企業である。同社が文房具ブランドをプロデュースしていることをご存知だろうか。その名を「ピニンファリーナ・セーニョ」という。それを代表するプロダクトといえば「インクレスペン」、すなわちインクが要らないペンである。合金「イーサーグラフ」でできたチップ(ペン先)が紙との摩擦で酸化し、筆跡を残す。

イーサーグラフとは

イーサーグラフのルーツは鉛筆より古い。それは「シルバーポイント」というものだ。先端に銀などの金属を用いたドローイング材料で、紙の凹凸によって酸化した先端が削られ、筆跡となるものだった。中世・ルネサンス時代の絵画作品に用いられており、かのレオナルド・ダ・ヴィンチも作品を残している。

ただし、16世紀中盤にイギリスで黒鉛が発見されると、シルバーポイントは鉛筆にその座を譲り渡す。

「イーサーグラフ」は、いわばシルバーポイントの21世紀版といえるものだ。イタリア北部ラヴェンナを本拠とするダヴィデ・ファービ氏が、金職人の技を借りながら完成した合金を用いている。
彼は2017年に「シグネチャー」という名の企業を設立。ピニンファリーナとのコラボレーションのもと、2018年にフランクフルトの文具見本市「ペーパーワールド」で製品を発表した。以来、ピニンファリーナ・セーニョ・ブランドで、意欲的なデザインのバリエーションを展開してきた。

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ピニンファリーナ・イーサーグラフとパオロ・ピニンファリーナ会長。

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ピニンファリーナ・イーサーグラフ「カンビアーノ・クラシック」。


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Cambianoとはトリノ郊外にあるピニンファリーナの本社所在地の市名。

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以下イーサーグラフ・シリーズのバリエーションから。「アエロ」は、航空宇宙素材のアルミニウムを加工。中空デザインが特徴である。ペンスタンドにはコンクリートを使用している。

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「フォーエバー・フィールム」は、ルイージ・トレンティのデザイン。かつてダ・ヴィンチが用いたモティーフを、レーザー焼結技術を駆使して再現している。


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「スペースムーン・ランディング・エディション」。(通常の鉛筆が成分上持ち込み禁止されている)国際宇宙ステーションに搭載されたことを記念するもの。ペンスタンドには、新素材「ピエトラルーチェ」を使用。


このピニンファリーナのイーサーグラフ、幸い筆者は発売直後に試し書きをすることができた。住まいがあるシエナ市内の文房具店でのことである。当時の第一印象は「通常の筆圧では文字が薄い」ことであった。ただし、店頭備え付けの貧弱な試し書き用紙では、正しい評価ができない。加えて、代表的商品である「カンビアーノ・クラシック」は119ユーロと、けっして即決できる値段ではなかった。

普及版の実力は?

いっぽう2022年、その廉価版といえる新製品「スマート」が登場した。

チップは、前述のイーサーグラフと同様の機能をもたらす「グラフェックス」で、これは
黒鉛の粒子を焼結して得られるグラファイト系素材である。軸にはアルマイト処理によりマットに仕上げたアルミニウムが用いられている。

個性的な形状のケースと共にリリースされてきた従来のイーサーグラフに対して、スマートのケースは、シルバーの円筒形とシンプルである。

 

 

本体の重さは25グラム。アルミニウム製というスペックを意識しながら手に取ると重量感にやや驚く。参考までに普段筆者が愛用している「カランダッシュ」の万年筆が19g、「ステッドラー」の製図用シャープペンシルは、僅か9グラム(いずれも実測)である。

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「ピニンファリーナ・スマートは、円筒形のケースに入っている。ロゴ色はブルー、ライムグリーン、レッド、チタンの4タイプがある。


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筆者が入手したのはレッド。長さは153mm、直径は9mmである。


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本体重量を計ってみる。カタログ値どおり25グラムだ。

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参考までに、ステッドラーの製図用シャープペンは9グラム。

実際に書いてみる。個人の筆圧、紙質、そして下敷きとなるマテリアルによって異なるが、濃さは鉛筆にすると4H相当といったところだろうか。通常の筆記具と異なり、芯やペン先のクッション性が無いのは、遠い昔使ったことがある謄写版(ガリ版)の鉄筆に似ている。

ふわふわしたソファ上でコピー用紙に記しても、とりあえず読める文字は書ける。取材用のメモ帳にも書ける。ただし、それなりの筆圧は常に必要だから、長文を書くときの疲れの少なさという点では、やはり従来の筆記具に軍配が上がる。


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コピー用紙に可能な限り同じ筆圧で記してみる。これは机の上。


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デスクマットの上。

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弾力があるソファの座面上。


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取材時を想定し、リング付き手帳を左手で支えながら、右手に持ったピニンファリーナ・スマートで記してみる。書くことは可能だが、その後の判読に目を凝らす必要がある。

次にイラストレーションを試し描きしてみた。図Aは薄いスケッチ用紙(1平方メートルあたり55g)である。図Bは、いわゆるキャンソン紙である。後者はより厚く(1平方メートルあたり160グラム)、デッサン用に多用される紙で、前者より表面が荒めだ。したがって、より濃い筆跡が可能かと思った。だが、結果にそれほど顕著な違いはない。筆者の技量もあろうが、タッチもそれほど差異は表現できない。

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図A:薄いスケッチ用紙に描いてみる。


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図B:キャンソン紙。より濃く、かつ紙の風合いが出るかと思ったが、顕著な違いはみられない。

より多くの人々が評価するために

そうしたなかで、ピニンファリーナ・スマートの美点とは何か? 最大のセリングポイントである「インクが必要ない」以外を考えてみる。

その答えは「手も紙も汚れない」ということだろう。鉛筆やシャープペンシルでイラストの下描きをしていると、紙と当たる手の部分が汚れるうえ、紙も汚れてくるものだが、それがほぼない(逆にいえば、鉛筆の跡をこすって、ぼかす効果は得られない)。

もうひとつは「布を汚さない」ことだ。筆者は、水性ボールペンのキャップ締めを忘れたままジャッケットの内ポケットに入れ、インクのシミを作ってしまったことが何度もある。カバンのポケットにボールペンを仕舞うとき付けてしまったインクは、これまた取れにくい。
寝室もしかり。筆者は原稿のアイディアをいつでも書きとめられるよう、ベッド横にボールペンを置いているのだが、やはり同様にシーツに汚れを残してしまうことがあった。
ピニンファリーナ・スマートは、それらを一気に解決してくれる。実際、筆者はもっぱらベッドサイドで使っている。

すでに日本の通販サイトでは、イーサーグラフを使用した高級モデルが数々みられる。
恐らく近い将来は、今回紹介したスマートもお目見えすることだろう。いずれにせよ“インクがいらないペン”を、多くの人が以前より手頃な価格で手に入れて、そのメリット・デメリットを評価できるようになれば、次期製品に向けた改良にとって有用だ。

ふと不安になったのはこのスマート、「高級バージョン同様、先端のチップは将来交換できるのか?」ということだった。例の紙製パッケージにはReplaceable tipと記されている。「もしや箱は高級バージョンと共通で、入門用のこちらは一体成型になっていて、取り外しできないのでは?」などと疑いをもってしまったのだ。ところがある日、気合を入れてエイヤっと捻ってみると、たしかに外れた。軸からチップへの、クルマでいうところのフラッシュサーフェス(面一)化があまりに見事だったのだ。いやはや、ピニンファリーナに問い合わせて赤っ恥をかくところだった。


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外箱には、交換可能チップの旨が記されているのだが…。


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ようやくチップが外せた! なお、通常のボールペンのような「◯メートル」といった使用可能距離の目安は記されていない。


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ピニンファリーナ・スマートは、インクレスペン普及の発展に貢献するか。

ピニンファリーナ・スマートは6wheels LIFE楽天市場店よりお買い求めいただけます。

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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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