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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
witten by Akio Lorenzo OYA
世界中
うんうんする
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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA/Fabrizio Casprini

複雑な経緯の果てに

早いもので、英国の自動車ブランド「ローバー」が2005年に消滅してから2023年で18年が経過した。

ローバーが消えていった経緯は、今振り返っても複雑である。BMWが1994年、Bae(ブリティッシュ・エアロスペース)からローバー・グループ株の80%を取得したところから振り返ってみよう。

しかしバイエルンの本社は、英国側の低い生産性と採算性に悩まされた。結果として2000年、彼らはグループが保有していたMINIブランドを残して、会社を手放すことにする。ローバー部門は「フェニックス・コンソーシアム」と称する投資会社に、ランドローバーはフォードに売却された。

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2000年ローバー25前期型。当時のローバーによる独自設計で、1999年までローバー200(3代目)として販売されていたモデルをフェイスリフトのうえ、改名したもの。シエナ県で2022年11月撮影。

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ローバー25の姉妹車であったMG ZR。英国ビューリー付近で2012年撮影。

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1995年登場のローバー400のフェイスリフト版である45。2012年パリで撮影。

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英国ハンプシャー地方リンドハーストで、慌てて撮影したローバー75。このような写真しかないところに、本国でもけっして多くなかったことがわかる。2012年。

ところが、「MGローバー」と変えて発足したフェニックス・コンソーシアムも経営再建に難航。2005年に経営破たんしてしまう。それを買い取ったのは中国の「南京汽車」だった。ただしさらに、ややこしい事態となる。ブランドとしてのローバーは、先にランドローバーを取得していたフォードが獲得したため、南京汽車が入手できたのはMGブランドのみであった。

傍らで、同じ中国の「上汽集団」は、ローバーの高級モデルだった「75」の生産設備を取得。「栄威(ロエヴェ)」という新ブランドとともに2006年から発売した。

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上海の街にたたずむ栄威750。2013年撮影。


その上汽は、翌2007年になると前述の南京を買収する。そのため以後同社は、栄威750を生産する傍らで、南京が取得した英国のエンジニアリング・センター開発の新MGという、イギリス由来の2ブランドを保有することになった。栄威750は、MGブランドのもと2017年まで輸出も行われた。

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栄威750の発展版である550。2013年上海で撮影。

今も残る、末期の影

筆者がイタリアに住み始めたのは1996年。ローバーがBMW傘下だった時代である。街には、BMW以前から提携関係にあったホンダの車両をベースにした車両と、BMWのもとで開発されたモデルが混在していた。

やがて1998年に誕生したローバー75は、当時テレビでCMが盛んに流れていた。エルガーの「威風堂々」をBGMに「神よ、ローバーを持たざる者を救いたまえ」なるコピーが流れた。ディーラー試乗会の抽選では、汎用カーナビが景品だった。今考えれば、BMWはローバーをなんとか軌道に乗せるべく必死だったのだろう。

 

今や多くのイタリア人は気にしていないものの、ローバーというブランドが存在した痕跡を、発見することがある。こちらの写真は、筆者が住むシエナ市街にある1軒の修理工場である。看板は、かつてローバーの認定サービス工場であったことを静かに物語っている。

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シエナ市街に残る元ローバーの指定サービス工場入り口。2021年12月撮影。

シエナ市街には、ローバーの新車販売店も存在した。当時真隣にあった別の自動車販売店に勤務していた営業マンによれば、「経営者はそれなりの年齢だったので、ローバー破綻を機会に引退したのではないか」と話す。建屋はその後さまざまな用途に使われ、今はタイヤ販売店になっている。

 

もう1軒の元指定サービス工場は、シエナ郊外シナルンガで発見した。こちらは看板のほか、建屋の壁にも垂れ幕が残る。調べてみるとこの工場は1979年創業だから、まさに混乱期のローバーと命運を共にしたことが窺える。

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シエナ郊外シナルンガの元指定サービス工場。2022年10月撮影。


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壁面にもエンブレムの垂れ幕が残っている。


ある青年の思い出

 

いっぽう今日、路上でローバーを見かけることは稀だ。ここに示すのは、2022年4月から11月にかけて筆者が偶然目撃した3台である。

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ローバー25の後期型。まさに経営破たんした2005年のモデルである。

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そのリアスタイル。2022年4月撮影。

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イタリア北部コモに向かうアウトストラーダ上で発見したローバー75。BMWのチャネルを通じて供給されたディーゼルエンジンを搭載した仕様だ。車齢は最低でも17年ということになる。2022年5月撮影。


そうかと思えば先日意外なところで、末期のローバーに出会った。2023年3月、イタリア北部パルマで開催されたヒストリックカー・ショー「アウトモトレトロロ」でのことだ。中古車販売店の屋外ブースに1997年ローバー214を発見した。店主によると、「走行距離たった5万3千キロメートル」が売りだ。こうした低走行距離ヤングタイマー車の多くは、高齢者が退職後、もっぱら街乗り用として乗っていたものという。ドアを開けると敷居にはROVERの文字が刻まれていて、ペイズリー柄のシートも洒落ている。価格は4500ユーロ(約65万円)。隠れローバー・ファンにはお買い得に違いない。

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2023年3月「アウトモトレトロ」会場にて。1997年ローバー214。フィレンツェ「スターカー」社の出張展示だった。

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コンパクトながら、曲線を巧みに用いた上品なデザインである。

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インテリア。イタリアにおける26年ものとしては及第点か。ペイズリー柄のシート地がお洒落。

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傷つきやすいサイドシルも状態が良く、ROVERの文字もきれいだ。

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Cピラーのバッジ。

気がつけば筆者の身近にも、ローバーのオーナーがいた。眼科医カスプリーニ氏である。モデルは75の先代である600である。600は1993年にデビューしたDセグメントのサルーンで、ホンダ「アコード」をベースにしていた。カスプリーニ家の600はモデル最終年である99年登録だった。医師は後年「プジョー407SW」に買い替えるまで600を通勤に使用。その後は、夫人の父親、つまり義理の父に譲ったことで、クルマはさらに生き延びることになった。

その後あの600はどうなったのか? 医師の一人息子で現在スイスの大学で勉強中のラリス君に連絡をとる機会があったので聞いてみた。残念ながら判明したのは、もう600は数年前に廃車にしてしまったということだった。「さすがに機構部分が古くなり、安全性にも問題が生じた」のが理由だ。

しかし、ラリス君にとって、ローバー600は最も思い出深いクルマだという。
「ひとつは子ども時代、祖父が学校まで、ローバー600でいつも迎えに来てくれたので」。もうひとつは、「ボクが運転免許を取得するとき、実技の自主トレーニングのお供を務めてくれたからです」と教えてくれた。

ローバーのクルマや看板は、近い将来イタリアから消えてゆくだろう。だがラリス君の心の中では、おじいちゃんの600は永遠に走り続けるに違いない。

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カスプリーニ家が乗っていた2009年ローバー600。以下3点は2019年撮影。(photo : Fabrizio Casprini)

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ローバー600はホンダ・アコードがベースとしながら、英国でデザインされた。(photo : Fabrizio Casprini)


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ラリス君とローバー600。(photo : Fabrizio Casprini)

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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

レトロモビル2023

ヨーロッパ屈指のヒストリックカー・ショー「レトロモビル」が2023年2月1日から5日までフランス・パリのポルト・ド・ヴェルサイユ見本市会場で開催された。

レトロモビルは今回で第47回。出展社・団体数は500以上を数え、展示車両も1000台を超えた。2020年以来3年ぶりの通常開催ということもあり連日賑わいをみせ、総入場者数は過去2番目に多い12万5千人に達した。

特集も「ル・マン24時間の100年」や「キャンピングカー」など、多彩な企画が組まれた。公式オークションであるアールキュリアル社のセールの落札総額は3550万ユーロ(約51億2千万円)に達した。

メーカー出展も過去の停滞期を脱し、その数は12に及んだ。彼らの多くは歴史車両展示とともに、最新電動車のアプローチやプロモーションも忘れていなかった。たとえばシトロエンは2022年9月に発表したコンセプトカー「オーリOli」を初めて一般公開した。フォルクスワーゲン・コマーシャルヴィークルズは「ID.Buzz」を、T1やT2といった歴代トランスポーターと並べることで、デザイン的・コンセプト的共通性を強調した。

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レトロモビル2023でルノーは電動化キット「レトロフィット」を公開。これはルノー「4」をベースにしたコンセプトカー「スイートno.4」。

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シトロエンはEVコンセプト「オーリ」を初めて一般公開した。4200mm×1900mm×1650mmというサイズは、小さな寸法のボディが多いヒストリックカーの脇では、想像以上に大きく見えた。

ルノーからソレックスまで

いっぽうルノーは、2023年1月25日に発表した電動コンバージョンキット「レトロフィット」を初めて一般公開した。

フランス南部コート・ダジュールのカシスを本拠とする「Rフィット」とのコラボレーションで実現したものである。第一弾として「ルノー4」用キットが、レトロモビル初日の2月1日にオンラインで販売開始された。

バッテリーは容量10.7kWh のリン酸鉄リチウムイオン式。いっぽう変速機はオリジナルを流用する。車両の重量配分はオリジナルと同等になるよう工夫されているという。16A-220V家庭用電源による満充電までの所要時間は3.5時間。航続可能距離は80キロメートルとされている。保証期間は2年だ。

価格は取付費・付加価値税込みで17,900ユーロ(約258万円)だが、フランスでは多くの自治体が導入している環境対応車補助金制度の恩恵を受けられる。ルノー「5」用は2023年9月に発売、続いて初代「トゥインゴ」用もリリース予定だ。

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レトロフィットが施された初代ルノー「5」。

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発売30周年を迎えた初代ルノー「トゥインゴ」用のレトロフィット・キットも将来発売される。会場には、社内デザイナーの手によって90年代のローライダー風にドレスアップされた仕様が展示された。

別のパビリオンでは、往年のフランス製モペッド(ペダル付き原付き二輪)用コンバージョン・キットを手掛ける業者も出展していた。「ノイル」という名のスタートアップ企業で、「ソレックス」「プジョー103」といったモデルに出力1.4kWのモーターを装着することにより、航続距離30〜60キロメートル、最高時速32〜45キロメートルを実現している。

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モペッドのコンバージョンを手掛ける「ノイル」のスタンドで。電動化を施された「プジョー106」。


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プジョー106のオリジナル・エンジン(左)と、換装用のモーター(右)。


看過してはいけない現象

実は2022年10月に同じ見本市会場で開催されたパリ・モーターショーにも、電動車に改造するキットを手掛ける業者が複数出展していた。

背景には、パリやリヨンなどで段階的に強化されている「クリテアCRIT’Air」と呼ばれる厳しい自動車進入規制がある。たとえばパリでは2021年6月から、05年以前登録のディーゼル車および96年以前登録のガソリン車が反則金付きで禁止された。二輪車も2000年5月以前に登録された車両は進入できない。そうしたクルマは、夜間・早朝と週末しか走行が許されていない。

いっぽうで電動車は、あらゆる規制から除外される。ただし前述のルノー4用レトロフィットのコンバージョン価格を見ればわかるとおり、決して安くはない。そもそもベースとなるルノー4の中古車を用意する必要がある。参考までにルノーのサブブランド「ダチア」のフルEV「スプリング」の新車は、2万1千ユーロ(303万円)で買える。プジョー103用コンバージョン・キットも、取付費込みで899ユーロ(約13万円)だ。こちらも中国製スクーターの新車が買える値段である。にもかかわらず、一定のマーケットが生まれる兆しがある。

いったい、どのような人々が依頼するのか? その質問に答えてくれたのは、電動化したプジョー504クーペをパリ・モーターショーに展示していた業者だった。「何台も所有する古典車コレクターの方は、うち1台を普段の街乗り用に、ためらわず電動化します」。

しかし、筆者はもうひとつ理由があると考える。それを確信したのは、同じ業者による、次の言葉だった。
「創業4年になる我が社で、これまでのお客様のうち25%、つまり4人に1人は女性でした。彼女たちは、市街地をエレガントに走りたいのです」

最新のクルマのデザインに欠如している、古いモデル独特の強い個性と温かみが、人々にコンバージョン・キットを選択させている。そうだとすれば、新車の商品企画に携わる人たちは、けっして看過してはいけない現象だと筆者は思うのである。

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前輪をローラーで駆動するソレックスの特徴的なエンジンもモーターに換装する。510ユーロ(約7万3千円)から。所要48時間も売りにしている。ちなみにノイル社はモーター換装済みの中古ソレックスも販売していて、そちらは999ユーロ(約14万4千円)から。

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あの人は今

元レーシング・ドライバーのアレッサンドロ・ナンニーニ氏(日本ではナニーニと表記されてきたが、本稿ではイタリア語により近いナンニーニと記す)といえば、1989年F1日本グランプリにおける、波乱の展開を経ての優勝を覚えておられる方は多いだろう。翌90年のヘリコプター事故で瀕死の重傷を負いながら、92年には「アルファ・コルセ」でサーキットに復帰。続いてDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に挑戦した。

そのナンニーニ氏は、筆者が四半世紀にわたって住む中部トスカーナ地方シエナの出身である。実家は、祖父が興したシエナ屈指の菓子店、その名も「ナンニーニ」だった。参考までに、姉ジャンナ氏はミラノで歌手を目指し、今日イタリアを代表するロックシンガーとして不動の地位を確立している。

2023年で64歳を迎える現在、ナンニーニ氏は食品やカフェの商標管理やコンサルティングに携っている。シエナ旧市街を見渡す郊外の自邸に住み、高い塀に囲まれた庭には数え切れないほどのオリーブの木が育っている。枝の下では、彼の白い愛犬がのんびりと昼寝をしている。夏は、2カ月近くサルデーニャ島に拠点を移して過ごす。それが元F1パイロットの今の暮らしだ。

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アレッサンドロ・ナンニーニ氏。自邸前で2021年夏撮影。

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ナンニーニ邸の応接間にて。2021年夏。

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DTM時代、自らが駆ったアルファ・ロメオ155 V6 TIのモデルカーが保管されていた。


広場のカフェにて

シエナの中心であるカンポ広場。夏にはイタリア屈指の伝統行事である競馬「パリオ」が催されることで有名だ。いくつも立ち並ぶバールの屋外席は、セネーゼ(シエナ人)にとって憩いの場である。その中のひとつに、ナンニーニ氏の姿を見かける日がある。「もともと私は、こういう田舎の生まれだからね」と、街への愛着を語る。

正面の「パラッツォ・ブッブリコ」は、市役所である。だが、13世紀から16世紀にかけてシエナが独立共和国だった時代は、政庁舎だった由緒ある館だ。
市役所といえば、実はナンニーニ氏は2011年、シエナの市長選挙に中道右派政党の推薦で立候補したことがあった。一帯はイタリアでもとくに左派勢力が強い一帯ということもあり、結果は落選に終わった。公約としていた地元飛行場の拡張をはじめとする交通インフラ整備も実現しなかった。彼は2015年に筆者に「政治は私にとって、けっして居心地の良い場所ではなかった」と語っている。

ただし社会に対する関心は、いまだ強い。彼と電気自動車(EV)の話をしたときだ。「息子はテスラが欲しいと言ってはばからない。しかし、EVは、使用済み電池の問題まで広い視野で考えないといけない」と釘を指す。そしてこう付け加えた。「環境保護を大義名分にしたビジネスがあることにも気をつけなければならない」

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祖父が興した菓子店兼カフェは、今もシエナのメインストリートにある。2021年6月撮影

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「ナンニーニ」のショーケースにディスプレイされたシエナの伝統菓子「パンフォルテ」。


やんちゃなお坊っちゃま

クルマの話は続く。近年はムジェッロ・サーキットの「ヒストリック・ミナルディ・デイ」に毎年ゲスト参加してきた。「アルファ・コルセ時代に一緒に戦ったニコラ・ラリーニとも会えるからね」

筆者が彼とエスプレッソ・コーヒーを傾けている間にも、「よう、アレッサンドロ!」 と、通りがかりの人々が彼に声をかける。
昔からの仲間たちだ。彼らにとってナンニーニ氏は、元F1パイロットというヒーローである以上に、今も“同志”である。
それを窺い知ることができるのは、筆者の知人である地元男性の回想だ。彼は高校時代、ナンニーニ氏とたびたびバイクを連ねて走ったことを誇らしげに話してくれた。シエナは1965年、他都市に先駆けて、旧市街全域で自動車通行を締め出した街である。にもかかわらず、広場をアレッサンドロとぐるぐる回ったという。

実際のところはどうなのか? その質問に、ナンニーニ氏はこんな話を披露してくれた。
「当時私はKTMのバイクに乗っていたんだ。対して、追ってきた市警察はモトグッチ。彼らは全然、聖カテリーナ教会前(筆者注:シエナの名所のひとつ)の急坂を登れなかったね!」。つまりナンニーニ氏は見事逃げ切ったのだ。名門菓子舗の、やんちゃなお坊っちゃまぶりが目に浮かぶ。
当時とまったく同じ風景が広がる街は、そうした限りなくオフレコに近い武勇伝のリアリティを限りなく増幅させる。だから晴れた日になると、ナンニーニ氏がいないか、思わずバールの屋外席を見回してしまうのである。

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シエナのカンポ広場。向かいに見えるのがパラッツォ・プッブリコ。2022年6月、古典車ラリー「ミッレミリア」当日に撮影。

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カンポ広場でくつろぐナンニーニ氏。2021年秋撮影。
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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA/Stellantis

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料理人、アントニーノ・ヴィターレさん(1987年生まれ)と、彼の2006年フィアット・ムルティプラ。

早くも発売四半世紀

「フィアット・ムルティプラ」をご記憶の方は多いだろう。イタリアでの発売は1998年だから、2023年でちょうど誕生四半世紀を迎える。

全長は3.99メートルにもかかわらず、横3人掛け✕前後2列で6人乗りを実現した、ユニークなミニMPVだった。その座席配置に至った経緯が面白い。元となったのは開発スタート時、先に商用車で合弁事業「セヴェル」を展開していたPSAプジョー-シトロエンとの契約だ。「両社は、全長4メートル以上の5人乗りモデルを独自に販売しない」という一文があった。合弁生産によるMPV「シトロエン・エヴァジオン」「プジョー806」「フィアット・ウリッセ」そして「ランチア・ゼータ」と競合するような車種を独自に造らないようにしよう、という取り決めであった。ちなみに、その後フィアットとPSAは2021年に合併して今日に至っている。ロベルト・ジョリートが率いたチェントロ・スティーレ・フィアットによるムルティプラのデザインは、どの従来モデルとも異なる個性を放っていた。そのため、ヨーロッパでは賛否両論を巻き起こした。だが、デザインに識別眼をもつ人には高く評価され、早くもデビュー翌年の1999年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の企画展に展示されるに至った。

個人的なムルティプラの述懐をお許しいただければ、2000年にフィアットから借りた広報用試乗車でトリノを出て、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア各地を1300kmにわたり巡った。行く先々では好奇の目をもって迎えられた。いっぽう、アルプスの峠道ではコモンレール式ターボディーゼルの潤沢なトルクのおかげできわめて快適だった。加えて、他車と比べて全長と全幅の差が少ないため、ゴーカートのようなダイレクトな操縦感覚が印象的だったものである。

ムルティプラは2004年に後期型へと切り替わる。他のフィアット車とのデザイン的共通性をもたせるべく大幅なフェイスリフトが行われ、同時に全長は4メートルを僅かに超えることになった。
そして2010年、「フィアット500L」に道を譲るかたちで、カタログから消えた。

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1998年フィアット・ムルティプラ初期型のメーカー写真。シャシーには専用スペースフレームを用いるという、実は贅沢な設計だった。

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前後とも、センターのシートは折り畳むとテーブルとして使えるようになっていた。この写真では、前席中央がオプションのクーラーボックスに換えられている。
 

きっかけは「カングーご法度」

イタリアの路上を走るクルマは、少しずつ変化している。徐々に増えているモデルもあれば、気がつけば見かけることが稀になったモデルもある。残念ながらムルティプラは後者の1台だ。

各地で多数採用されていたムルティプラのタクシー仕様も消えていった。ミラノなど大都市で排気ガス規制強化にともない、トヨタ製ハイブリッド車が主流となっていたことが背景にある。

そうしたなか、ある後期型ムルティプラのオーナーに出会ったのは、我が街シエナのワインショップでのことだった。

彼の名はアントニオさん。ただし「アントニーノと呼んでくれ」というので聞けば、生まれこそシエナだが、長いこと南部シチリアに住んでいたという。同地では代々祖父と同じ名前を孫に命名するので、区別が容易なよう、「小さな」を意味する縮小語尾である-inoをつけるのだ。

筆者が日本人であることを知ると、「サムラを5年近く愛用しているよ」という。Samuraとは日本製鋼材を用いた包丁のブランドである。プロの料理人だった。

1987年生まれの35歳。ピッツァ職人を振り出しに、さまざまな場所の厨房で働いてきた。「(2022年)夏はトスカーナの高級リゾートホテルで、よく働いたよ」と言う。

さて、肝心のムルティプラは?
「2006年式だけど、手に入れたのは2019年だよ」とアントニーノさんは話す。当時彼は、トリノで働いていたという。「それまで乗っていたルノー・カングーのディーゼルが、(自治体の排気ガス規制で)市内に進入できなくなった。だから中古のムルティプラに乗り換えたんだ」
見ると、彼のムルティプラは、天然ガスとガソリンが併用できる「ナチュラルパワー」と名付けられた仕様である。多くの都市で天然ガス仕様車は、CO2排出量が少ないことから、たとえ古くても排ガス規制の対象外なのだ。


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アントニーノさんのムルティプラは、トリノで手に入れたものである。

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後期型の全長×全幅は4090mm×1870mm。

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天然ガス併用車を示す「ナチュラルパワー」のバッジ上には、シチリアの州章をモダナイズしたステッカーが。


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メーカーによるナチュラルパワー仕様車の透視図。一般的な天然ガス仕様車がラゲッジスペースにタンクを配置しているのに対して、ムルティプラはフロア下に収めている。

参考までに、ヨーロッパで有名な中古車サイト「オートスカウト24」でアントニーノさんと同じ年式のムルティプラ・ナチュラルパワー仕様を検索すると、2022年12月27日現在102台がヒットする。最安こそ走行28万キロメートル超の895ユーロ(約12万円)だが、中心価格帯は4千ユーロ(約57万円)で、なかには7500ユーロ(約106万円)で売られている個体もある。それなりに人気絶版車であることがうかがえる。

家族で「並べる」楽しさ

必要に駆られて購入した13年落ちのムルティプラだが、気がつけば、アントニーノさんの日常生活に欠かせないツールになっていた。それを匂わせるように、リアシートは取り外され、デイパックから子ども用おむつの箱まで満載されている。メーカー値を参照すれば、リアシートを装着した状態でも、倒せば1500リッターの荷室容量が確保される。

もちろん、オリジナル+極上主義の日本在住イタリア車ファンに、この状態は複雑な心境に陥るかもしれない。しかし、こうした徹底的な使い方こそ、常に究極の実用車を目指すフィアットの設計者やデザイナーが想定してきたものであることもたしかだ。

 

ムルティプラで良かった点は? 「イタリア語講師をしている女房と3歳の子どもを前席に乗せて一緒に走れることだな」。たしかに今日このサイズのクルマで前列3人乗りのモデルは見当たらない。料理人の仕事は、一般人のホリデイ・シーズンが稼ぎどきだ。それだけに、妻子と過ごす時間は、他の家族よりも大切である。彼らが3人で前席に乗り、快走する姿が目に浮かぶ。


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車内を拝見。「家族3人で並んで乗れるのが最大の美点」とアントニーノさんは語る。

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後席は取り外され、代わりにあらゆるものが積まれている。生活感満点だ。

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「子ども乗ってます」のステッカーが2枚も貼られているところに、オーナーの子煩悩さがうかがえる。

最後に筆者が「じゃあ、近いうちトスカーナのリゾートに顔を出すよ」と言うと、なんと「数日中に、今度はフランスのレストランで働くために旅立つよ」と教えてくれた。今日は、出発前にイタリアのワインを買い込むため、ショップを訪れていたのだった。

 

車齢17年。オドメーターは26万キロメートルを刻んだ。さすらいの料理人アントニーノさんのムルティプラは、まだまだ走り続ける。

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シエナの量り売りワイン店にて。アントニーノさん(左端)は、このあとフランスへと旅立っていった。




witten by Akio Lorenzo OYA
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

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トリノ自動車博物館(MAUTO)にて。2022年、常設展に新たに加わった1998年「フィアット・バルケッタ1.8 16V」。エクステリア・デザインは、のちにSUBARUに移籍するアンドレアス・ザパティナスによる。

ミュージアムに突如出現

フィアット・バルケッタ(1994-2005)が「歴史車」になりつつある、というのが今回の話題である。

トリノ自動車博物館(MAUTO)は、イタリアを代表するカーミュージアムのひとつだ。現在の建物は、この地で開催された国家統一100年記念博覧会に合わせ、前年である1960年に開館したものだ。収蔵台数は約200台にのぼり、地元ピエモンテ州、トリノ市、ステランティスそしてイタリア自動車クラブが運営を支えている。
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**MAUTOの外観。現在の建物は1960年落成。堂々たるファサードは、当時のイタリア自動車産業の隆盛をしのぶことができる。

現在の常設インスタレーションは、基本的に2011年のリニューアル・オープン時のものだ。しかし、2022年10月に筆者が同館を訪れたとき、順路の途中で、ある1台に目を吸い寄せられた。従来姿がなかった、オレンジ色の「フィアット・バルケッタ」だ。正確には1998年2月に製造されたフィアット・バルケッタ1.8 16Vである。1.8 16Vで、1998年2月に製造されたものと記されている。

解説板には、こう記されている。「イタリア製。ラインはソフトでダイナミック。そのスピリットは栄光のスポーツカーたちである。内外装ともすべてフィアットの社内チームによる。4気筒1747cc 130ps/6300rpm 200km/h」


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ノーズには、先に車両が登録されているクラブのステッカーと認証番号が貼られている。

博物館のダヴィデ・ロレンツォーネ学芸員に聞いてみると、「2021年にマルコ・ライヒト氏という愛好家から寄贈されたものです」と教えてくれた。レーシングカー/コンセプトカーそして企画展を除き、事実上最も若い、その展示車両は、熱いファンからの贈り物だったのである。
マリエッラ・メンゴッツィ館長によると、コンディションが良く、もちろん実動状態という。「私たちは、(贈られたことを)とても名誉なことに感じています」と語る。

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MAUTOのマリエッラ・メンゴッツィ館長。フェラーリ広報、オランダのヨット製造会社CEOなどを経て、2018年から現職。

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ダッシュボードは、フィアット製他モデルのパーツを巧みに活用しながらも、ネオクラシカルともいえる造型を実現している。

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トランクリッド上にはラゲッジ用ラックが付加されている。

後部に回ると、ラゲッジ用ラックに、3枚のメタル製プレートがある。1枚は「フィアット保存会」、もう1枚は「バルケッタ・クラブ・イタリア保存会」の登録証、そして最後のプレートには、デザインを担当したアンドレアス・ザパティナスと、当時ボディを受託生産した「カロッツェリア・マッジョーラ」のブルーノ・マッジョーラの直筆サインが確認できる。参考までにマッジョーラ社は、第二次大戦前に創業を遡る歴史的企業であったが、バルケッタ生産終了の影響が大きく、2004年に倒産している。

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「フィアット保存会」および「バルケッタ・クラブ・イタリア保存会」の登録証。

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アンドレアス・ザパティナス、ブルーノ・マッジョーラ各氏の直筆サインが確認できる。

フェラーリ以上の人気者?

ところでイタリアでは、製造後30年以上が経過し、かつオリジナル性など一定の要件を満たした四輪車および二輪車は「歴史的関連性証明書(CRS)」の申請が可能である。認定業務にあたっているのは、イタリア自動車クラブ(ACI)、イタリア古典四輪二輪車協会(ASI)、およびそれらの認証を受けたメイク別クラブなどである。CRSに認定されると、イベントへの往復・参加以外は運転できなくなるが、代わりに各種優遇措置が適用される。自動車税は通常年額数百ユーロを要するところが、ひと桁少ない数十ユーロに減免される。保険も7割程度安くなり、100~200ユーロ台(車両保険含まず)になる。

実はこのCRS制度、30年が経過していない製造開始後20〜29年の車両、いわゆるヤングタイマーにも同様の道が開かれている。ただし、こちらは車種・仕様が限定されていて、指定リストにあるものでないと申請できない。

この“飛び級”ともいえる枠のなかに、フィアット・バルケッタもしっかり入っている。1995年から2003年までに生産された16バルブ仕様(トリノ自動車博物館の車両も、これに該当する)、および2001年から2003年までに生産された「ナクソス」という仕様である。ヒストリックカー1年生といったところだ。

ところが、1年生と呼ぶには貫禄がありすぎるシーンを、博物館のフィアット・バルケッタで目のあたりにした。子どもたちに絶大な人気があるのだ。クルマに駆け寄ってポーズをとる子を、カメラに収めるお父さんもいる。筆者が確認したかぎり、歴史順に並んだ車両たちのなかでひとつ前に展示されている「フェラーリ365GT4 2+2」より、明らかに人気者だ。

 

バルケッタのメカニカル・コンポーネンツは「フィアット・プント」のものだ。普及版小型車をベースにしながら、スーパースポーツカーと肩を並べられるスタイリッシュなモデルを造るのは、かつてフィアットの真骨頂であった。価格が手頃かつ、十分個性的なイタリアン・ラナバウトが、再び現れないものだろうか。そうした期待を胸に抱きながら、ポー川沿いのミュージアムを後にした。

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バルケッタとともに記念撮影に興じる父子。


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参考までに、これは「バルケッタ・クラブ・イタリア」のミーティング風景。トリノのフィアット歴史的工場再開発エリア「リンゴット」で、2015年撮影。
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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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