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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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イタリアにおける2018年7月のブランド別新車登録ランキングを見ると、トヨタが8位(7034台)にランクインしている。前年同月比6.08%増という数字は、ハイブリッドが貢献しているのは間違いない。

続く日産は13位(4145台)である。14.73%減は、もはや話題性に陰りがみえる同社のSUVを、フランス工場製の新型日産ミクラ(マーチ)がフォローできなかったためだ。
それでもトヨタと日産は、アルファ・ロメオやランチアよりも登録台数が多いといえば、その奮闘ぶりがおわかりいただけるだろう。
(データ出典: UNRAE)

今回は、イタリアでどっこい生きている「ちょっと古い日本車」の姿をお楽しみいただこう。

最初の写真は、2018年夏にシエナ旧市街で見つけた6代目トヨタ・セリカである。販売終了は1999年だから、最も若くても車齢19年ということになる。

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6代目トヨタ・セリカ(中央)。偶然にも隣は同じトヨタのランドクルーザーである。シエナにて2018年7月撮影。

次はスバル。もはやイタリアでWRXは走り屋系若者の憧れであり、フォレスターは軍警察御用達である。だが1990年代中頃までは、軽自動車をベースにした車種も販売していた。

3代目スバル・レックスは、イタリアでは「M80」の名で1991年から93年の間に販売されていた。ということは四半世紀生き延びているということだ。

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スバルM80は、日本の3代目スバル・レックスである。写真は2017年10月の撮影だが、この原稿執筆前に生存確認している。

1990年発売の5代目サンバー・バンは、今夏ヴォルテッラで発見した。フェイスは日本仕様のサンバーと同じであるが、衝突安全のため日本のドミンゴ用バンパーが前後に装着されている。
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観光客で賑わう通りの脇道。小さな教会の脇の小さなスペースに、うずくまるように停められていたスバル・サンバー。


スバルついでにもうひとつ。こちらは初代ジャスティの後期型だ。2018年8月にシエナで目撃した。1994年が最終販売年だから、24年以上現役ということになる。

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スバル・ジャスティ4WD。


ダイハツ・テリオスも、ナンバーを見るとモデル販売終了の2006年登録ゆえ、もはや12年以上の個体だ。
参考までダイハツは2013年に欧州販売から撤退している。ボクが知る元ダイハツ・ディーラーの営業所長は、「田園部に住む人に、絶大な人気があった」と当時を懐かしんだ。
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ダイハツ・テリオス。ハンティングをする人にも好評だった。


2018年7月には北部クーネオ県で三菱パジェロ・ピニン、日本名パジェロ・イオに遭遇した。ご記憶の方も多いと思うが、デザインを手がけたのはピニンファリーナである。欧州仕様は生産もトリノ県にあるピニンファリーナの工場で行われた。そのスタイリッシュさで古さを感じさせないが、2004年生産終了だから最低でも14年選手だ。

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三菱パジェロ・ピニン。北部クーネオ県の小さな村で。2018年7月撮影。


今回紹介するうち最高齢と思われるのは、この初代日産バネットである。少なくとも車齢30年ということになる。前述のサンバーと同じヴォルテッラでのスナップである。極めて綺麗に保たれているのでよく見れば、ホテルの所有によるものだった。顧客の送迎にも使われているとみた。

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ホテルで使われている日産バネット。リアタイヤの奥にチラ見えする板バネが泣かせる。30年ものであるが、さすが客商売。清掃状態はなかなかだ。

古い日本車がなぜ生き残っているか?
答えは「ヨーロッパにライバルが皆無、もしくは少なかったから」そして「もう生産されていないから」である。

セリカに話を戻せば、たしかに1994年のクーペ・フィアット、1989年のオペル・カリブラといったクーペは存在した。だがセリカのようなエキゾティックかつアグレッシヴなスペシャルティカーはなかった。そして今日、類似する雰囲気のモデルは、もはや手に入らない。

「4WD」というのもミソである。コンパクトな4WDはイタリアの地方部における道路事情や駐車場事情に合致しているのだが、かつて意外に少なかったのだ。ジャスティやサンバー、テリオス、パジェロ・ピニンがそれに当たる。

日本の「軽」がベースのモデルは、初代フィアット・パンダが旧態化しつつもひたすら生産されていた1990年代に、「もう少しモダンなコンパクトカーが欲しい」という需要にぴったりだった。

さらに日産バネットのような小さなワンボックスはライバル皆無で、事実上のブルーオーシャン市場だった。

ボクが知るそうしたクルマのオーナー、もしくは元オーナーは、大抵がセカンドカーとしての使用だった。走行距離が限定的ゆえ、さらに持ちこたえてしまうのである。
ニューモデルの車両寸法が年々拡大されてしまっていることも、コンパクトな古い日本車人気を支えている。
つまり経済上の理由から無理やり酷使し続けられている「かわいそうな日本車たち」ではないのだ。

そうした近所の日本車がときおり消えてしまうときがある。そのたび「ああ役目を終えて廃車になったか」と寂しくなる。だが、しばらくしてひょっこり姿を現すのを確認しては、ホッとしているボクである。

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大矢アキオ Akio Lorenzo OYA 
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター

 2018年7月12日付のオートモティヴ・ニュース・ヨーロッパ電子版は、フランスのDSオートモビルズが、「DS4」「DS5」の生産を年内で打ち切る予定であることを伝えた。
DSオートモビルズのイヴ・ボンヌフォンCEOによると、DS4はミュールーズの工場で、DS5はソショーの工場で、すでにそれぞれ生産を終了しているという。

 DSブランドのセールスは好調とはいえなかった。主要市場と位置づけた中国での販売は振わなかった。前述のサイトの昨年2017年6月9日版によれば、2017年1-4月の中国・東南アジア販売台数は、前年比で67%も減少した。

 ヨーロッパもしかりだ。2018年1-5月の販売は、DS3、DS4そしてDS5とも軒並み前年を下回った。DS7クロスバックの好調でブランド全体の販売台数こそ20,758台を数えたが、前年比で僅か204台のプラスに留まった(データはJATOダイナミクス調べ)。
参考までに、同じプレミアムのメルセデス・ベンツは同じ期間に、Aクラスだけで58,742台の販売を記録している。

 DSオートモビルズは、DS7クロスバックの販売に引き続き力を入れるという。同時に、2018年10月のパリ・モーターショーでは新型車を投入するとみられている。

 現在ヨーロッパでDSの販売ネットワークは、国ごとによってやや複雑だ。
フランスの場合、DS3、DS4、DS5は、地域によってはシトロエン販売店でも買える。いっぽうDS7クロスバックは「DSストア」「DSサロン」と呼ばれる専売店のみでの取り扱いだ。
イタリアでは、DSは原則として「DSストア」のみでの販売である。ボクが住むシエナは県庁所在地であるものの、目下56km離れたフィレンツェまで行かないとDSストアがない。
参考までに街なかでの“体感値”を記せば、パリでこそDSは頻繁に見かける。だが、ひとたびフランスの地方都市に移動すると、目にする頻度は一気に減る。イタリアに至ると、1日運転していても1度すれ違うかどうか、といった感じである。

 DSオートモビルズは、近い将来DSストアのみでの販売に集中させる方針というが、これが吉とでるかどうかは、しばらく予断を許さないだろう。

 いっぽう今なお前途模索中のDSに対して、ここのところ見るからに好調なのが、プジョーやルノーのフラッグシップである。

 たとえばルノー・タリスマンは、2018年1-5月に8670台、プジョー508も6118台をヨーロッパで販売している。

 背景にあるのは、近年普及目覚ましいUBERをはじめとするライドシェアリングであることは間違いない。とくにプジョー508は、収益性やメインテナンス費用の少なさから、UBERドライバーとして登録する人向けの推奨車種の1台として挙げられている。

 実際にパリでライドシェアを依頼すると、頻繁に当たるようになった。

 2018年3月のジュネーヴ・モーターショーで公開された2代目が508の名前を踏襲したのは先代が人気であった証であろう。同時に、広い開口部のハッチバックを与えられているのは、ライドシェア需要を意識したものであることが容易に想像できる。

 2000年頃を境として、ヨーロッパでDセグメントは、メルセデス・ベンツCクラス、アウディA4といったドイツ系ブランドの独壇場だった。その牙城がようやく切り崩され始めたのだ。

 ヨーロッパ中どの都市に行っても、メインストリートにはZARAとH&M、そしてスターバックスがあって、やってくるライドシェア車はドイツ車・・・というモノトーンな生活は、意外にもフランスの高級車が変えてくれるかもしれない。

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プジョー508。パリきっての観光地・オペラ座前で。


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パリ・オルリー空港のライドシェア駐車場で。
ルノー・タリスマン(手前)。生産は韓国のルノー・サムスンが担当している。


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プジョー508SW(ステーションワゴン)を操るライドシェアのドライバー。


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アグレッシヴなデザインを与えられた2代目プジョー508。
2018年3月、ジュネーヴ・モーターショーにて。


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ドイツ車の牙城ともいえるカテゴリーを切り崩せるか? パリ「自由の炎」付近で。


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ルノー・ヴェルサティス(2002-2009)。
フランスならではの高級車を目指しながら、市場の充分な理解が得られず消えていった。
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大矢アキオ Akio Lorenzo OYA 
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター

2018年4月に北京モーターショーが開催されたのに合わせ、今回は中国におけるイタリア車・フランス車の話をしよう。

世界の最大の自動車マーケットである中国で、伊・仏ブランドの存在感はけっして強くない。

それは街角の印象だけでなく、数字が示している。2017年の販売台数はフォルクスワーゲンの約313万台に対し、FCA(フィアット・クライスラー)は約24万台と、桁がひとつ少ない。

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アルファ・ロメオ・ジュリア。クアドリフォリオ仕様は「四叶草版」。中国での価格は、94万9800元(1612万円)から。


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アルファ・ロメオのコンパニオン。

PSAはとくに深刻だ。「オートモーティブニュース・ヨーロッパ」電子版によると、2014年に73万4千台だった販売台数が、2017年には半減近い38万7千台にまで減少している。
PSAのカルロス・タバレスCEOは株主に対し、「シェア・収益性とも低下した。順応性も不足していた」と中国事業が目標に達していないことを認めている。2016年には東風からの出資も受け入れ、業績拡大が期待されただけに予想外の苦境だ。

タバレス氏の「順応性」という言葉を、より具体的に置き換えるならSUV、中国語でいうところの「越野車」市場への対応である。
イタリアやフランスのブランドは、SUVを中国市場に導入するタイミングと、ラインナップの拡充が遅れたのだ。

それを挽回すべく、FCAは合弁先である広州汽車(GAC)とジープ・ブランドの生産に力を入れている。前述のFCAによる2017年販売台数のうち、実に20万台はジープによるものだ。
それを援護射撃すべく、今回の北京モーターショーで、FCAはアルファ・ロメオのステルヴィオを投入した。中国国内生産でないため高額の関税が課され、39万9800元(約678万円)に達するという価格的ハンディを負いながらの発売だ。結果を見守りたい。

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2018年4月25日から5月4日に開催された北京モーターショー会場で。アルファ・ロメオのブース。なお「阿爾法・羅密欧」は、ギリシア文字のAlfaと、Romeo (& Juliet)の従来からの漢字表記に準拠したもの。

いっぽうPSAはDSシリーズの最上級車である「DS7」を展示した。こちらは長安汽車との合弁による中国生産である。ファーウェイが提供するコネクテッド機能も搭載する。価格は25万元(約424万円)からだ。

 

しかしながら筆者個人的には、北京や上海のショーを訪れるたび惹かれてしまうものといえば、現地市場をターゲットにしたセダンだ。
中国は「3ボックス・セダンすなわち高級車」という意識がいまだ根強い。両親や祖父母を後席に同乗させる機会が多いため、彼らの保守的な趣向が車選びに反映されることも背景にある。したがって、各ブランドともセダンを充実させているのである。

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東風プジョー308

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東風プジョー308


今回は北京ショーのブースから、プジョーとシトロエンによるものを紹介しよう。
上の2枚の写真は東風プジョーの308である。中国で「308」とはセダン版を指し、ハッチバック版は「308S」というネーミングが与えられている。価格は9万9700元(約166万円)からだ。
東風シトロエン(雪鉄龍)に目を移すと、C4(フランス語読みを基に、世嘉と併記されている)がある。
こちらも日本で販売されているC4のハッチバックではなく、セダンボディだ。
セダンといえば従来から東風の合弁工場とPSAスペイン工場では「C-エリゼー」と呼ばれるモデルが存在するが、このC4はその上級版という位置づけである。価格は308Sとほぼ同じ9万8千元(約166万円)である。

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「東風標致」とは東風汽車とプジョーの合弁会社のこと。


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東風プジョーのコンパニオン。


しかし、何より予備知識がないと混乱してしまう中国版シトロエンといえば、「C6」であろう。
日本でファンがすぐ頭に思い浮かべるC6(2005-2012年)ではない。同じく中国で生産されているプジョー508の姉妹車である。2016年北京ショーで発表されたものだ。

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このC6の存在を本場フランスのシトロエン・ファンに話すと、「あれはプジョーであって、シトロエンではない!」と即座に切り捨てた。
別のシトロエン・ファンはもっと過激で、C6はおろか、トヨタとのチェコにおける合弁によるヨーロッパ市場用車種「C1」も、「シトロエンと呼ぶな!」と烈火のごとく否定した。

プジョーによるシトロエン吸収は1976年だから、もう42年になる。今日までに、さまざまな姉妹車も誕生してきた。
それでもなお、原理主義的なファンが存在する。
シトロエンが中国でラインナップを拡充するたび、彼らを悩ませ続けるに違いない。

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東風シトロエン(雪鉄龍)C4世嘉

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東風シトロエン(雪鉄龍)C4世嘉


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東風シトロエンC4
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大矢アキオ Akio Lorenzo OYA 
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター

ここに1枚の写真がある

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ボクが東京に住んでいた1990年から91年頃、玉川高島屋SCで撮影したものだ。
その日ボクは、実家のメルセデス・ベンツ190E(W201。右端)で空きスペースを見つけて駐車した。すると隣にはEクラス(W124)が、そのまた隣にはSクラス(W126)が佇んでいるではないか。それもすべてがグレーのメタリックである。
かくして、偶然にもメルセデスの広報写真のような風景ができあがってしまった。 

「広報写真風」といえば、先日イタリアに住むボクの周辺で、もっとインパクトある風景に遭遇した。ご覧の「フィアット・プント4台並び」である。

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フィアット関連施設の駐車場——日本自動車工場同様、FCA関係のブランドでないと駐車できないフィアット工場の駐車場や、ファンの集いで撮る、といった姑息な手段は用いていない。市道に面した、ごく普通の無料駐車スペースだ。
左奥から2009年から2012年の「EVO」というサブネームがつけられたモデル、次が現行に近いもの、再びEVO、そしていちばん右が「グランデプント」といわれた初期型、それも天然ガス仕様「ナチュラルパワー」である。

気がつけば現行プントは、2005年の誕生から早くも13年が経過している。前述のスナップに写っていた、どのメルセデスのライフスパンも超えてしまった。昨2017年にイタリア国内登録されたプントは53,960台で、同じフィアットのパンダ、ランチア・イプシロンに次いで堂々3位にランクインした。最新統計である2018年2月には、パンダに次ぐ2位(5011台)に浮上している(以下いずれも統計はUNRAE調べ)。

なぜデビュー後13年も経過したモデルが売れているのか?当初ボクは、カンパニーカー用途の長期リース市場による支持かと考えた。イタリアでは経済の先行きが不透明な中、企業は社員に貸与するクルマの見直し、はっきりいえばグレードダウンを進めている。
だが、2018年にプントは、長期リース用車両販売のトップ10圏内に入っていない。ということは、一般ユーザーの間で売れていることになる。
そこで第一線で販売するフィアット販売店のセールスマンに話を聞くことにした。ショールームで彼に質問すると、開口一番「本当に売れているよ」と証言してくれた。理由は 「パンダよりボディサイズが大きい割に、安いから」からだという。

パンダのベースモデルである1.2リッター69馬力の正価は税込み11,340ユーロ(約147万円)だ。
対するプントは? 2018年3月に実施されたプロモーション価格では、同じ1.2リッター69馬力だと、5ドア仕様でも8000ユーロ(約104万円。付加価値税込み)で買える。
リッターあたり燃費は、パンダがリッターあたり19.6kmなのに対してプントは18.8kmとやや劣るものの、ボディサイズからくるゆとりや車格感と相殺できる。加えて、大きなディーラーでは在庫車も多く、色やグレードをこだわらなければ「即納」の可能性が高い。
そこにイタリア人一般ドライバーにみられる「みんな乗ってるから」という安心感もプラスに働く。

そのセールスマンは「プントも、もうそろそろモデルチェンジしてくれれば、さらに売れるかもしれないのに」とも言う。しかしメーカーとしてみれば、生産設備の償却が進んでいる商品が、今もってよく売れるのだから、造り続けない手はないのだろう。

ユーザーにとって、メリットは安いだけではない。
ワイパーしかり、シートカバーしかり、さらにホイールキャップしかり。カー用品店はもちろんホームセンターや地域によってはスーパーでも、メーカー純正より手頃な社外品が数々見つかる。それも、多くの場合◯年型といった年式の確認が必要なく、初期型のネーミングであった「グランデプント用」という文字だけ確認すればよい。

 

 

ところでイタリア人と接していると、彼らのなかでフィアット車といえば、先代500、126、初代パンダなど、エントリー車種ばかり記憶が鮮明であることがわかる。いっぽう上位車種は、覚えている人がいきなり減る。
プントにはこのまま長生きしてもらい、そうしたジンクスをぜひ打ち破ってほしい。そう密かに願っているボクである。

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ボクが住むシエナ県の、とある旧市街で。昼下がりに佇んでいたフィアット・プントEVO。


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1990-91年頃。玉川高島屋SCの駐車場にて。


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プントの4台並び。もはやイタリアの“国民車”のひとつといってよい。


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リアには牽引用フックが。この車の場合だと、引っ張るのはキャンパーやボートというより、自家製ワインやオリーブオイルを積載したトレーラーの確率が高い。


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“グランデプント”と呼ばれた初期型。


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あるディーラーにて。ストック豊富で早い納車も、プントの美点。

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昼休みが終わり、ふたたび動き出した午後の街で。プントEVO(右)。
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アメリカ市場における最新のフィアット事情

おさらいすると、フィアットは1899年にイタリア・トリノで創業した自動車ブランドである。
だが今日、その実体は国際企業だ。2009年、フィアットは連邦破産法第11条の適用を受けて倒産した米クライスラーを統合。当初トリノと米ミシガン州オーバーンヒルズの2本社制をとっていた。
やがて2014年に『フィアット・クライスラー・オートモビルズ(以下FCA)』を発足させると、登記上の本社をオランダ、税務上の本社をイギリスに置いた。上場は従来のミラノに加え、ニューヨーク証券取引所でも果たした。
トリノのリンゴット地区にある歴史的本社はFCAの移転後、フィアット創業家であるアニエッリ家の投資会社が使用していた。だがその投資会社もFCAの後を追うようにオランダに移転。現在は同家の文化財団が使っている。

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ロサンゼルス(LA)オートショー2017で。フィアット500L(左)と、EV仕様のフィアット500e(右)。


こうして多国籍化するFCAの姿を複雑な思いで受け止める純粋イタリア車ファンは多いはずだ。しかしそれによる新たな展開も少なくない。その代表例が米国市場である。

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フィアット・ブースのモデル。


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アルファ・ロメオ・ブースのモデル。



フィアット・ブランドは2010年ロサンゼルス・モーターショーで、メキシコ工場製の「500」とともに北米市場復活を宣言した。これにより、品質問題などを背景にした1983年の撤収以来27年ぶりの再上陸となった。
参考までに2017年1-11月の米国におけるフィアット・ブランド販売台数は24,754台であった。販売モデルは多い順に「500」「500X」「500L」そして「124スパイダー」である。

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フィアット124スパイダー・アバルト。価格は24,995ドル(約282万円)から。米国でアバルトは、フィアット・ブランドのスポーツバージョンという形がとられている。


同じFCAのアルファ・ロメオも2014年、「4C」をもって約20年ぶりに米国に復帰した。昨2017年には新型車「ジュリア」「ステルヴィオ」を投入して、本格的な販売攻勢にうって出た。そのため11月には、前年同月の62倍(!)にあたる1440台の販売を記録。1-11月も9997台で、前年同期比20倍となった。

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フィアット500eのダッシュボード。ボタン式セレクターに注目。


ディーラー網構築などに時間を要したと思われるが、「アメリカでもウケるだろうに」と以前から考えていた筆者としては、思わず「やればできるじゃん」と叫びたくなる。
2017年11月末モータショー取材に赴いたロサンゼルスでも、たびたび500や500Lを目撃した。
運転していたドライバーのルックスや年齢から察するに、日本製プレミアムカーやハイブリッド車の飽和状態から脱したい個性派ユーザーたちに“刺さる”選択なのに違いない。

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LAのダウンタウンで。


思えば1970年代アメリカでは、「輸送中、海水を被ったX1/9が流通している」という噂が流れり、自動車修理工を連想させる名前「トニー」に絡めて「FIATって何の意味か知ってるかい? Fix it again, Tony(トニー、もう一度修理しろ)の意味だよ」といわれた。
そのフィアットが今、摩天楼の間をクールに泳いでいる。イタリア車ファンとしては、目頭を熱くせずにいられないのである。




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LA郊外の住宅街で。保安基準に従い、前後フェンダーにオレンジ色のサイドマーカーが装備されている。
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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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