一時期、革の鞄に凝っていた。毎日クルマで店に来ているわけだから、鞄を手に提げて歩くなんていうのは一日に100歩あるかないかだけど、生来の袋物好きにとって鞄はどうしても気になるもののひとつなのだ。一点集中の収集癖はこの革の鞄にも当然及び、これまで使いきれないほどの数を買った。イタリア自動車雑貨店を始めて4、5年目くらいが鞄集めのピークだったろうか。
鞄と言って思い出す店はトリノの『Florence』だ。トリノ随一の目抜き通りVia Romaから一本東側の通りの角に、2階建てのその店はある。初めてトリノを訪れた90年代の中頃は、古い歴史を持った家族経営の店がまだ市内の中心部にも数多く見ることができた。服地の『Galtrucco』、帽子の『Foresto』、その他、店名も掲げていない自動車用品店等々、市内一等地のVia Roma周辺にはそうした創業100年レベルの独立店舗が点在していた。鞄の『Florence』もその一つで、店内にある商品はすべてFlorenceのロゴの入ったオリジナル品、製造・直売のいわば皮革職人の、トリノには珍しい店である。
東南の角地に位置する『Florence』は外壁の二方に大きなディスプレイウィンドウがあり、そこで展開される商品陳列の美しさが特筆ものだ。2週間に一度くらいの間隔で変わるディスプレイには毎回色のテーマがあり、すべてブラックの皮革製品の陳列の次はすべてボルドーと、伝統的な木材を多用した古い構えの店にもかかわらず、ディスプレイウィンドウはいつもモダンで洗練されている。そこで初めて買ったのは航空券がそのまま入る大型のパスポートケース。カーフスキンの柔らかさと、Florence Torinoと型押しされたロゴに薫る「外国」が無性に嬉しかった。それから間もなくそこでも鞄を買い始めた。
『Florence』ではイタリアの古い店がおおかたそうであるように、客が勝手に商品を手にとってあれこれ吟味するようなことはできない。すべて店員に棚から取ってもらってそこで説明を聞き、それから自分の手にとって触れてみるという、特に初めての客にはハードルの高い昔ながらのモノの売り方を堅持している。鞄を手に提げて鏡を見たり、中の仕切りが機能的かどうか確かめたりと、そういうことを店員が常に横にいるところでするのはなかなかのプレッシャーである。それも店員はきちんとスーツを着た高齢のご婦人なのだ。チンピラ風情の僕などは、通い始めの頃、居心地の悪さとの戦いでほとほと疲れてしまったものだ。
それでもウィンドウのディスプレイの見事さにつられて、ついつい店内に吸い込まれるようにして入ってしまう。いつも高齢の店員が3人くらいいて、それに反して客がいることはあまりなかった。そうこうするうちに、ここでの買い物のコツをつかんだ。つまり、ディスプレイウィンドウが肝なのだ。そこでじっくり商品を見て、その中に欲しいものがあれば店に入っていけばよい。ウィンドウにある○○を見せてください、と始めれば話が早く、高齢のスーツ姿のご婦人店員も嬉しそうだった。何かいいものがないかと店内をブラブラするような買い物の仕方は、ここでは相応しくない。ウィンドウのディスプレイに力を入れているのも、これを見に入って来てくれという、彼らの強いアピールなのだろう。
記憶を手繰り寄せて今思い出してみると、たぶん6つか7つ『Florence』で鞄を買ったはずだ。財布やコインケースなどの小物も買った。そうしてようやく店の人たちとも世間話をあれこれ交わせるようになった頃、僕の鞄モードが下火になり、『Florence』に行くこともめっきり少なくなってしまった。店の前を通るたびに、あのいつも美しいディスプレイにちらっと目をやってはいたけれど、じゅうぶんすぎるほどに年をとった僕は、革の鞄の重さを持て余してしまうようになっていた。年をとって何かを失うというのはこういうことなのだ。
そして、この10月。久しぶりに『Florence』に向かった。店はなかった。道を間違えたのかと思ったけど、そうではなかった。まさに忽然と、という感じで店はなくなっていた。かわりにそこには全面ガラス貼りの若者向けのセレクトショップが、まばゆい光を放っている。確か僕が最後に見た9月はもう閉店間際の残り少ない日々だったのだろう。敷居が高くて入りにくく、気軽に商品を手にとってみることも出来ない店。売ってるものはオリジナルブランドだけの皮革製品、そしてちょっと慇懃無礼でとっつきにくい、妙に姿勢の良い高齢の店員。もう、あんたたちの出る幕じゃないよ、と新しい時代の風に教えられたんだろうか。日本に比べればネットショッピングの浸透が遥かに遅れているイタリアだけど、それでもファストファッションの店は増え、その対極のブランドショップも賑わいを見せる。そんな中でイタリアらしいと言えばあまりにイタリアらしい、『Florence』のようなちょっと気難しい独立店舗が、ひとつ、ふたつと消えてゆく。
そう、時代は確かに動いているのだ。経済危機だろうとなんだろうと、どんどん前に進んでいく。客っぷりの良さを試される店も、独特の買い物の仕方を強いる店も、一見の客が神様でない店も、そんなものは淘汰されていって当然なのだ、と時代の風が吹く。ヨドバシカメラで店員を前に大声で威張りくさってクレームをつけていた、そんな奴の頬に優しい風が吹く。大声を出さなきゃならない人生の問題はほかにあるのにさ。『Florence』は静かに消えた。ホームページなど持たず、ウェブの世界には背を向けたまま。「大人になったら『Florence』で鞄を買うんだよ」「そうなんだ、いいねぇ」。あの丹精込めたウィンドウに鼻先をつけるように夢を見る子供はもういなかったのか。四谷じゃだいぶあきれられてたみたいだけど、もっと鞄を買えば良かったよ。
イタリア自動車雑貨店
太田一義