まだ『ITALIA NOW』をせっせと書いていた頃を思い出して、久しぶりに原稿をしまってあるPCのフォルダを覗いてみた。そこでは40数話の拙い物語が惰眠を貪っていて、思うところあって書かなくなったその「思うところ」というのを再び反芻したり、言い訳めいた理由を自分に再確認したりと、要するにグチャグチャやっていた。そのフォルダの中にもうひとつフォルダがあった。『予定稿』と名前が付けられている。はて?と思い開いてみると、ワードのファイルが10近くある。書き出したのはいいが途中で放り出した原稿だ。
それをひとつひとつ読んでみた。中にはほとんど出来上がっているような原稿もある。内容なんて例によって取るに足らない瑣末な事柄のオンパレードだ。けれど、書きかけの原稿はどれも妙に生々しい。完成してアップした原稿より本音がストレートに出ているように思える。自分というフィルタを通ったものがありのままの真実であるなんてことは幻想にさえなりえないけど、それが真実にどれだけ近いかどうかはともかくとしても、書くということは歩くことに似る。必然的に自分と向き合う舞台を用意するから。観客は常に自分で、その舞台に冷ややかな視線を投げかけている。書きかけて放り出した原稿には、何を言っても嘘めいてしまうその苦しさから逃避した自分の、手足のバタバタした感じがそのまま残っていた。
と、そんな我が身からこぼれ落ちた破片のような文章を読んでいて、最近頻繁に訪ねてくるようになった小学校時代の友人のことを考えていた。彼は小児がんの息子を数年前に亡くしていた。10数年に及ぶ闘病生活だったという。息子を失った後、奥さんと離婚。今は年老いた母親とふたりで暮らしている。それを聞いて、ふと立ちあがってくる光景があった。その昔、テレビ映画『コンバット』に触発された少年たちは、戦場に見立てた近場の空き地で、日々戦いに明け暮れていた。どこかの土建屋のヘルメットを被り、棒きれのライフルをリトルジョン上等兵みたいに構えていた少年の頃の彼を覚えている。お互い年賀状のやり取りさえ途絶えた空白の数十年を間に挟んでしまったけれど、再会して時が経つにつれて、僕の前にいるのはまぎれもなくあの頃のリトルジョン上等兵だった。
ヨーロッパをバックパッカーみたいな旅で回ったんだよ、とリトルジョンは会うたびに若い頃の体験を、それも何度となく話した。バックパッカーみたいな、バックパッカーみたいな、バックパッカーみたいな、と。そうか、バックパッカーみたいな旅をしたんだ、そんな旅をしたんだ、と僕はそのたびに相槌を打った。そのバックパッカーみたいな旅を最後に、そこから始まったリトルジョンの本当の戦場での戦いに寄り添う言葉を、それをどうにか見つけたかったけど、結局僕は何も口にすることができなかった。ただ、そうか、バックパッカーみたいな旅をしたんだ、と繰り返すだけで――。書きかけて放り出してしまった原稿と同じように、その時も手足だけが落ち着きなくバタバタしているような感じがしてもどかしかった。
『予定稿』のフォルダの中、死屍累々のファイルには何も手を加えず結局そのまま閉じた。かつて若かった頃、駅のホームの売店で買った牛乳をひと息に飲んで結んだ決意とか、8000回転を目指して生きる意味を揺さぶるエンジンの咆哮とか、言葉に出来なかったものはだからそのままそこに眠ったままだ。そう、そして今しも僕は思うのだ。残りの人生、気の利いたひと言でも書き残せるようになれるだろうか。今見たものの中の永遠を明日のための言葉へと繋げることができるだろうか。そして、少年の日の空き地から遠く離れた黄昏の戦場をライフルを肩に、今、年老いて歩くリトルジョン上等兵に、彼に届く言葉を探し出せるだろうか。
イタリア自動車雑貨店
太田一義