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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
witten by Akio Lorenzo OYA
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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA、IWC SCHAFFHAUSEN

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76年前のスピットファイア機で世界一周飛行を成し遂げたマット・ジョーンズ氏(左)とスティーブ=ボールトビー・ブルックス氏(右)。2019年12月5日、英国グッドウッドにて。(photo=IWC SCHAFFHAUSEN)

自動車イベント「フェスティバル・オブ・スピード」で有名なイングランド南部のグッドウッド飛行場。2019年12月5日、そこに1機の単発機が世界一周を果たして帰還した。

冒険に供されたのは、76年前の1943年に製造されたスピットファイアLF MKⅨ「シルバー・スピットファイア」。計20の国と地域・43,000kmを約4ヶ月かけて飛行した。スポンサーは「スピットファイア」シリーズを展開するスイスの高級時計ブランド「IWCシャフハウゼン」が務めた。

記録達成に長期間を要したのには背景がある。
ひとつは航続距離だ。本来戦闘機ゆえ、長距離用に設計されていない。そのため一回に飛べるのは僅か約750kmに過ぎない。
搭載されたロールス・ロイスV型12気筒エンジンも含め整備インターバルが短いこともその理由だ。そうしたことから経路を細かく分けて駒を進める必要があり、その数は74セクターに達した。

ルートは西廻りが採られた。グリーンランド、北米大陸、極東ロシアを経由。10月には日本に到達したものの台風の影響で、いわて花巻空港に20日間近く待機するという事態にも見舞われた。
しかしその後は順調に台湾、香港、東南アジア諸国、中東を経て、ヨーロッパへと戻ることができた。
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「シルバース・スピットファイア」ことスピットファイアLF MK Ⅸの最高飛行高度は43,000フィート(約13,100メートル)、最高速度は650km/h。

このチャレンジで筆者は2019年8月5日の離陸前、唯一の日本人ジャーナリストとして、他国メディアとともに出発式に立ち会った。
当日は元F1ドライバーで、IWCシャフハウゼンのアンバサダーであるデビッド・クルサードも激励に来場。その華やぐ会場で、交代で操縦桿を握ることになったパイロット2名から話を聞くことができた。

彼らの名は、スティーブ=ボールトビー・ブルックス氏とマット・ジョーンズ氏。いずれも英国人である。ブルックス氏は不動産ビジネスで財を成したが、ヘリコプターの操縦で空の世界に魅せられた。ジョーンズ氏はビジネス機運航に携わっていたが、約10年前グッドウッド飛行場脇にスピットファイア専門操縦スクールをブルックス氏と設立して現在に至っている。

彼らの飛行機に関する語りは、クルマも含め古いマシンに接する者への示唆に富んでいた。以下はその内容である。

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スティーブ=ボールトビー・ブルックス氏は、不動産ビジネスで活躍の傍ら、ヘリコプターで空の冒険を開始。やがてイギリス空軍が誇る歴史的名機の魅力に魅せられ、スピットファイア専門フライトスクールの校長となる。

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マット・ジョーンズ氏。ブルックス氏とともにスクールを通じて、これまで2千人以上にスピットファイア体験を提供してきた。

今回のミッションで注目すべき点は?

ジョーンズ
計画には2年半を要しました。機体入手時は単なるスピットファイア機でしたが、復元が完了した後は4万点のパーツの集合体として私の目に映ったものです。

ブルックス
注目していただきたいのは、シルバー・スピットファイアの高いレストア精度です。機体は8万個のリベットで結合されていますが、復元では1本1本外されてX線でチェックされました。ただし基本的には、製造された1943年の姿と同じです。歴史の一部と飛ぶといって良いでしょう。

ブルックス
この旅の真の主役は私たちではなくスピットファイア機です。 1936年、設計者R.J.ミッチェルは、すべての航空機の頂点を目指し、この機材を開発しました。過去に製造された中で最高の航空機であり、その地位は現在でも同様です。今回の目的は、この素晴らしいマシンをさまざま国で提示することです。ロールス・ロイス製マーリン・エンジンのサウンドを聞きながら、この体験を(人々に)共有してもらえるのです。

ジョーンズ
1943年から1944年にかけて12人がこの機材で飛行していますが、私たちは彼らと同じ感覚を味わえると確信しています。金属に刻まれた歴史は、金銭には代え難い感動をパイロットに与えてくれるのです。

飛行計画に関するエピソードを聞かせてください。

ジョーンズ
ヨーロッパ圏内を飛ぶときは膨大な量の情報と選択肢があります。いっぽうで、天候や滑走路の状態を伝達してくれる管制塔がない区間もあります。400-500マイルの飛行後、あと僅か20マイルに目的地があっても引き返しを迫られるときがあります。また、燃料は最新の旅客機とは大きく異なり、すぐ入手できません。そのため、燃料缶を各寄港地にあらかじめ発送しておく必要がありました。

今回の冒険では、何をもって成功としますか?

 

 

ブルックス
私自身は子供時代、飛行機のコクピットに潜り込んだり、飛行家が大西洋を往来するのを眺めることができました。しかし今日それが容易にできないのは悲しいことです。だから私たちが次代の若い人たちを刺激しなければならないのです。今回のフライトを通じて、何らかの方法でそれができれば、成功だと信じています。

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前夜からの雨に祟られた出発日朝だったが、午後になると太陽が顔を覗かせ、ギャラリーたちを歓喜させた。

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元F1ドライバー、デビッド・クルサード。飛行パイロットとサポートクルーたちにエールを送った。

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2002年映画「007 ダイ・アナザー・デイ」でボンドガールを務めた女優ロザムンド・パイク。

復元とその周期について教えてください。

ジョーンズ
500時間ごとに復元を繰り返す必要があります。製造以来、何回復元されたかは不明なエンジンですが、その都度他の航空機のように全部品が分解され、点検されたことは確かです。最後の修復後、私たちは35時間の試験飛行を行いました。一般的に飛行機という機械は、復元当初はぎこちないのですが、その後うまくいけば信頼性が向上します。そして年を重ねるにつれ、再び信頼性が低くなります。私たちが飛行する期間が、信頼性の高い時期にあたることを願っています。

トラブル発生時の解決策は?

ジョーンズ
スペアのエンジンを用意しました。加えて、すべてのパーツはいつでも発送できる準備を整えました。私たちは規則に従って整備を行う必要があります。点検周期には、毎25時間と毎50時間の2種があります。前者は1人が1日かけて作業します。後者は3人が2日がかりで行います。いずれも作業完了後は、CAA(英国民間航空局)の承認を得なければ飛行できません。整備には、イギリスインチ規格のスパナを揃えて持ってゆきます。

コクピット内の気温は?

ジョーンズ
高度1000フィート(300m)あたり2〜3℃低下します。20,000フィート(6090m)まで上昇すると40℃低下します。つまり地上気温が30℃の場合、上空はマイナス10℃になります。コクピットまで伝わってくるエンジンの熱はありますが、限りなくゼロです。

ブルックス
試験飛行で25,000フィート(7600m)に到達しましたが、これは機体製造時点から考えても最高の高度です。そのときの温度はマイナス22℃でした。

長時間飛行で、体力とメンタル双方を維持するには?

ジョーンズ
自身の限界を理解し、訓練を重ねることです。訓練とは飛行している機材と環境について可能な限り理解すること。自らの限界を受け入れ、それを超えようとしないことです。そして一回一回安全なフライトに集中します。

ブルックス
私はヘリコプター操縦に関しては豊富な経験がありましたが、スピットファイアの操縦を習得するのは極めて困難で、半年を要しました。スピットファイアは空で実にスムーズです。いっぽう飛行場に近づくと、時速210mph(約338km/h)程度の遅い速度でも、突如として忙しくなります。無線交信をし、速度を減少させフラップを下降し、すべてのチェックを行う必要があります。あまりの作業の多さに、私はメンタル的にブロックしてしまったものです。

そうした状況で、先輩たちから学んだのは「時間を稼ぐこと」でした。燃料さえあれば、何でも落ち着いてやり直せるのです。操作する手はゆっくり動かす。コックピット内で自分の手がめまぐるしく動き始めたら、それは落ち着いていない証拠です。どのような速度でも、クールで落ち着いたリズムの動作を維持することが大切です。

ジョーンズ
今日に至った経緯を思い出します。多くの人々が私たちを支え、応援してくれている中で飛ばしていることを意識するのです。同時に、かつてこの飛行機を操縦した誰もが楽しみにしていたであろう「着陸」という行為に思いを馳せます。彼らが家に戻り、家族と再会できたことの重さを、私たちは心に留めなければなりません。

お守りは持参しますか?

 

ジョーンズ
目下のところありませんが、考えておきましょう(笑)!

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ちなみに出発前、飛行場脇で展開されたパーティーでは、懐かしいトラック/バンによる屋台がレトロムードを盛り上げた。これはシトロエン・ティープ(タイプ)H。

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ルノー・エスタフェット。「フェスティバル・オブ・スピード」や「グッドウッド・リバイバル」が催される地ならではのセンスだ。

実をいうと二人に会う前の筆者は、アメリカ大陸横断のカーアクション映画「キャノンボール」に登場するドライバーたちの如く、気風(きっぷ)ばかりが先走る冒険野郎を想像していた。もしくは逆に、緊張に支配されてナーヴァスになった男たちだった。

しかし、実際の彼らは飛行直前にもかかわらず冷静であるばかりか、笑みを絶やさなかった。

「自らの限界を受け入れ、それを超えようとしない」「何でも落ち着いてやり直すことができる」「操作する手はゆっくり動かす」…繰り返しになるが、それらはいずれも、クルマやモノと接するときに作法といえる。

 

いっぽう筆者といえば日ごろ運転中、助手席の女房から「ここに止まれ」「そこを曲がれ」とった突然命令が飛ぶたび、「制動距離というものがあるのだよ!」「直角に曲がれるクルマは無い!」と逆上するとともに、動揺してステアリングやスイッチを操っている。ここは少し、2名のパイロットを見習わなければならない。

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特徴的な楕円翼型を見せながら、同型機とともに飛行するシルバー・スピットファイア。
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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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