1973年。映画『燃えよドラゴン』は空前の大ヒットとなったが、公開直前の7月にブルー・スリーが急死してしまったことで、これが遺作となってしまう。 そんな本作の“顔”とも言うべきポスターを手掛けたのは、グラフィックデザイナーのボブ・ピークだった。 ▲ ボブ・ピークによる映画『燃えよドラゴン(原題:Enter the Dragon)』のポスター。 ピークは『マイフェアレディ(1964年)』や『007/私を愛したスパイ(1977年)』、『スターレック(1979年)』といった、映画ファンなら一度は目にしたことのあるポスターを数多く手がけた人物である。また、フェラリスティとしても知られていた。 ▲ ボブ・ピークと彼の愛車であったFerrari 275GTB。フェンダーには“N.A.R.T.”らしきフェラーリ・ロゴが張られている。だとすれば、この275GTBはキネッティから購入したものだろうか?。 さて、話は『燃えよドラゴン』から遡ること6年前。1967年頃。 アドポスターの第一線で活躍していたボブ・ピークにフェラーリをデザインしてみないかと、ある人物が提案を持ちかけた。彼の名はココ・キネッティ。 アメリカにおけるフェラーリの仕掛け人として、あのノース・アメリカ・レーシング・チーム(通称、N.A.R.T.)を率いたルイジ・キネッティの子息である。 また、この頃はディーラー業としてもFerrari 275GTB/4の屋根を切り捨てた、Ferrari 275GTB/4 N.A.R.T. Spiderを提案し、高評価を得ていた。これは実際に十数台がデリバリーされ、うち一台はスティーブ・マックイーンにも納車されている。 ▲ キネッティが提案したFerrari 275GTB/4 N.A.R.T. Spider。製作はマラネッロのCarrozzeria Scagliettiに託されたが、あくまでも“正式”なフェラーリではなかった。写真はその一号車で、後に赤色に塗り替えられて映画『華麗なる賭け』に出演。スティーブ・マックイーンと共演を果たしたが、彼が購入したのは別の個体である。 ピークはココの提案を受け入れると、“夢のクルマ”の製作が始まった。 ドナーとして選ばれたのはプロトタイプレーシングカー、Ferrari 275P(s/n.0812)。スクーデリア・フェラーリから払い下げられ、数年前からN.A.R.T.名義でレース活動を行っていたものの、当時としては既に世代遅れとなったマシンだった。 激戦に耐えたボディは破棄され、新しい使命を纏った姿へと、生まれ変わることになったのだ。 だが、そんな夢をカタチにするためには、ボディワークを担当するスペシャリストの存在も不可欠だった。そこでキネッティは、イタリアのカロッツェリア業界に精通する、ある人物に協力を求めた。 ▲ ボブ・ピークによる“夢のクルマ”のレンダリング。 巨匠、ジョヴァンニ・ミケロッティである。 キネッティは第二次大戦中にアメリカに亡命したイタリア人ということもあって、イタリアに強いパイプを持っていたし、フリーランスとしてトリノにスタジオを構えていたミケロッティならば適当な人物だと、確信したのであろう。 かくして、ボブ・ピークによるデザイン、ジョヴァンニ・ミケロッティ監修のフェラーリが製作されることになった。
1968年のニューヨーク・オートショー。 夢のクルマ、“Ferrari 275P Speciale Micherotti”は発表された。 レーシング・フェラーリという“育ちの良さ”を生かしつつ、モダンにトリミングされたデザインには、ガルウィング・ドアやポップアップ・ヘッドライト、フロントフェンダーと一体化されたサイドミラーなど、真新しい試みが数多く盛り込まれた。 そして、アメリカとイタリアという二つの哲学が融合した唯一無二のデザインは、多くの人々に好奇的な印象を与えたのではないだろうか。 ▲ 1968年に開催されたニューヨーク・オートショーに展示されたFerrari 275P Speciale Micherotti。 しかし、もうこのフェラーリはこの世に存在しない...。
それは21年後の1989年、イタリア・モデナ。 数多くのコンペティション・フェラーリの板金を手掛けた名工、フランコ・バケッリ率いるCarrozzeria Autosportに、あの275Pの姿はあった。 ピークとミケロッティがデザインしたボディは剥がされ、そのシャーシの上には、深紅に輝くワークス時代のボディが“復元”されたのである。 ▲ Carrozzeria Fantuzzi製のボディを纏うワークス時代のs/n.0812。そのボディ形状からFerrari 275P Fantuzzi Spiderと呼ばれている。写真は1964年のセブリング12時間でのもの。 なぜならば、このs/n.0812を持つ275Pはスクーデリア・フェラーリのワークス時代に、1963年のニュルブルクリンク1000kmと、1964年のセブリング12時間で優勝した経験を持つ“由緒ある個体”だったからである。 こんな話がある。「レーシングカーとして生まれた車は、レースで成績を残してこそ、本当の価値がある」と...。 ▲ 2010年にラグナセカで開催されたモンテレー・モータースポーツ・リユニオンに参加した際のs/n.0812。 現在も、s/n.0812はワークス時代のスタイルを守り、各地のイベントで活躍している。 ちなみに、1963年。ル・マンで車両火災に見舞われたs/n.0812は、修復される際、翌シーズンを見据えて、エンジンやボディのアップデートが施されている。現在、目にできるのはこのアップデート後の姿である。 二度の人生。いや、三度の人生を味わったこのクルマにとって、果たして価値のある“状態”とはどれなのだろうか。 その結論は、皆様に委ねたいと思う...。