▲ Ferrari P6。一時期は淡いターコイズメタリックに塗られていたようだが、現在はホワイトパールに塗り直されている。当時のコンセプトカーはショーの展示に合わせて色を塗り替えるという例はよくあった。 果たしてFerrari P6(以降、P6)とは、どのような使命を課せられたコンセプトカーだったのだろうか。その“正体”とは何なのだろうか。 前編で触れたように、P6と、その直前に発表されたFerrari P5(以降、P5)を比較すると、そのデザイン的な方向性は大きく異なり、“P”で始まる車名を除けば関連性は乏しいように思える。 では、なぜP5とP6は“連作”と言われているのだろうか。その“鍵”は開発側の意図にあるようなのだ。 ▲ Ferrari P5。P6に先立つ、1968年のジュネーブ・ショーで発表された。 P5とP6。この二台には“空気”という共通の研究テーマが課せられ、その結果の上に成り立つ連作であったと、レオナルド・フィオラヴァンティ氏は語る。そう、P5とP6のデザインやエンジニアリングを指揮し、後にPininfarinaのデザイン・ディレクターを務めた人物である。 ▲ レオナルド・フィオラヴァンティ氏。学生時代からエアロダイナミクスの研究に勤しみ、彼をPininfarinaに引き寄せたのも、そんな研究課題があったからだ。背後に写るクルマは、氏が独立後の1994年に発表したFioravanti SENSIVA。やはりエアロダイナミクスに主眼を置いた一台だった。 それは外見的なエアロダイナミクスの追求だけでなく、車内で発せられる“熱”を“外気”で冷却し、効率よくボディ外部へと排出させ、さらには新鮮な空気をエンジンルームやコックピットに送り届けようとする、内面的な空気循環に着目したものだった。 ▲ Ferrari P5。余談だが、当時Alfa Romeoの社長を務めていたジュゼッペ・ルラーギの目に留まったP5は、役目を終えると、シャーシからボディが切り離され、そのままAlfa Romeo Tipo.33 Stradaleのシャーシに移植されてしまうという数奇な運命を辿る。 ▲ P5のエンジンはF1用のV12気筒エンジンを流用。レーシングプロトタイプのシャーシにF1のエンジンを搭載してしまうという、まさに“ドリームカー”だった。 1965年に発表し、フィオラヴァンティ自身もエンジニアリング及びデザインに関与したDino Berlinetta Specialeは走行を前提としないショーカーだったが、まさしく空気循環の欠如したクルマだった。一度、エンジンを点火しようものならコックピットは灼熱地獄となり、ドライバーは苦痛を味わう羽目になると、氏は回想する。 ▲ Ferrariのプレスカンファレンスに展示されたDino Berlinetta Speciale。 このような“リアリティーの欠如”がP5に“空気”という使命を課せ、ドライバビリティの向上に着眼させる動機となったのではないだろうか。 とはいえ、“未来予想図”という印象が拭えないP5から“現実的な”ロードカーを連想することは難しい。 ▲ Ferrari P5。一時期、パールホワイトのボディカラーを纏っていたことは、あまり知られていない。 そこで彼らはP5の研究成果をP6にフィードバックさせるにあたり、より現実的な条件下(デザイン及び設計)で課題に取り組もうとしたのであろう。そこには、例の“空気循環”に加え、エンジンとラジエターを循環する“冷却水”にも視野を広げ、その効果の最適化を検証・提案しようとする意図があったとフィオラヴァンティ氏は語っている。 かくして、Ferrari P6は1968年のトリノ・ショーで発表された。 だが、一つだけ留意しなければならない点がある。それはP6がモックアップであるということ。つまり、P6は走行どころか、エンジンも積まれておらず、あくまでもエンジニアリングとデザインをアピールするための“見本”だったのである。 ▲ Ferrari P6。当時、Pininfarinaのプレゼンテーションルームで撮影されたプレス写真。 それはLamborghini Miura P400の登場から2年が経ち、旧態依然なFerrari 365GT4 Daytonaをカタログの頂点に腰を据えるFerrariにとって、自分たちがMiuraに太刀打ちできる“策”を用意していることをアピールしたかったのかも知れない。 ▲ 生産ラインを流れるLamborghini Miura。 いずれにしろ、Pininfarinaは“空力”というテーマに新しいエンジニアリングとデザインの回答を求め、ライバルと差別化を図ろうと加速し始めたのである。 1972年にはトリノ郊外のグルリアスコに、ヨーロッパ初の原寸大風洞実験施設を竣工し、エアロダイナミクスに裏付けされたエンジニアリングとデザインを提供することに注力した。 ▲ Pininfarinaは風洞実験施設を他の企業や研究機関のために提供することもあった。その一例として、BMW 320i Turbo Group.5がグルリアスコで風洞実験を行う写真が残されている!。 それはロードカーに留まらず、例えば、当時のScuderia Ferrariはグルリアスコの風洞実験室にマシンや機材を運び込み、F1の風洞実験を行っていた。1970年代のFerrariのF1たちに見ることができる“Pininfarina wind tunnel”というスポンサーロゴは、まさしくPininfarinaがF1のサプライヤーとしても機能していたことを証明していたのである。 ▲ Ferrari 312T。白く塗り分けられたサイドエアインテークにPininfarinaの風洞実験を象ったスポンサーロゴを確認できる。写真は1976年のプレスカンファレンス。 しかし、すべては順風満帆とはいかなかった。決定権を握るエンツォ・フェラーリは「リア(スタイル)が重たい」とデザインを指摘し、P6を“お気に召さなかった”ようなのだ。 この反応に、PininfarinaとFerrariのデザイナーやエンジニアたちは何度も協議を重ね、結局、365GT4/BBの予告編とも言うべきFerrari Berlinetta Boxerを発表するまでに3年の歳月が必要となってしまう。 ▲ 1971年のトリノ・ショーで発表されたFerrari Berlinetta Boxer。このクルマもモックアップだった。余談ながら、当初は365GT4/BBのテールランプも4灯を計画していたが、製造側の予算問題で、やむを得ず既存のランプを流用した6灯となった。しかし、512BBでは4灯化を実現することができた。 この背後ではパオロ・マルティン渾身のFerrari Moduroを原案とするBerlinetta Boxerも考えられていたようだが、結果、P6を原案とするデザインが採用されたようである。 ▲ パオロ・マルティンによるFerrari Berlinetta Boxerのレンダリング。Moduroからデザインを引用し、発展させたものであることが理解できる。 フィオラヴァンティ氏は回想する。「実はBerlinetta Boxerより308GTBの方(デザイン)が先に出来上がっていたんだ。でも、未発表のデザインを12気筒より先に使う訳にはいかなかったから308GTBの登場が遅れたのさ」と。この言葉の中にBertoneが唯一デザインしたDino 308GT4の存在を忘れてはならない、と私は思う。Dino 308GT4の登場は1973年だったが、奇しくもFerrari 365GT4/BBの発表と重なる。 ▲ Ferrari 308GTBは1975年に発表された。写真は1976年ごろにフィオラノ・サーキットで撮られたフレスフォトだろうか。ニキ・ラウダとクレイ・レガツォーニ、そして312T2の姿も確認できる。 P6を“母親”と考えるならば二人の姉妹、365GT4/BB(1973年)と308GTB(1975年)を生み出したことになる。 この姉妹は、それぞれの成長を遂げたが、1984年に512BBiはTestarossaへ刷新され、そしてフィオラヴァンティ氏がPininfarinaを去った数年後の1989年、328GTBは348tbにバトンを譲った。それは新しいイデオロギーを持ったデザインに世代交代し、長年に亘るP6のデザイン・テーマが幕を閉じた瞬間でもあった。 ▲ 1989年に登場したFerrari 348tb。写真はそのデザイン・プロポーザル(モックアップ)だが、実は、発表よりもかなり以前からデザインは出来上がっていたという噂もある。やはりV12モデルより先にV8モデルがデザインを変更することは許されなかったのだろうか。 P6の発表から間もなく50年を迎える。70年代から80年代にかけてFerrariを支えたP6のデザイン・テーマを現代のFerrariに見ることはできない。 しかし、フィオラヴァンティ氏が私に「リメイクは嫌いだが、オマージュは捧げる。そのデザインを観た時に、過去のデザインが、ふと頭に過るぐらいが良いと思う」と語ってくれたように、現代のFerrariデザインにも何らかの形で還元されているのではないかと思う。 今日のFerrariを大河に例えるならば、P6はその源流の一つとして今もフェラリスティの心に刻まれているのではないだろうか...。 ▲ フィオラヴァンティ氏、そしてP6とBerlinetta Boxer(モックアップ)。
最後に。数年前、今もPininfarinaに保管されているFerrari P6を拝見することが許された。それは予てから漏れ伝わっていた“ある噂”を検証するためだ。 私は床に這いつくばり、露出したフレームを確認した瞬間、思わず叫んでしまった。 「やっぱりディーノのシャーシだ!」と...。