こんにちは。プジョー三重四日市の葛山です。
いよいよ年の瀬12月に入りましたね。
今年もあと僅かです。
やり残したこと……「あ、プジョーへ行ってなかったな」という方。お待ち致しております。
さて、こう見えて学生時代は教職を目指しておりました。地歴公民、社会科の先生ですね。
特に子供の頃から歴史が好きで、分厚い歴史の辞書を読むのが大好きでした。
今日はそんな中から「あ、そう言えば!?」というお話を一つ。
皆さんはこの住んでいる三重県という名前がどのように名付けられたかをご存知ですか?
47都道府県ある中で正直、重苦しい名前ですよね……。
しかし、この「三重」という名前には伝説の時代より続く由緒ある意味があるのです。
皆さんはヤマトタケル(日本武尊)という人物をご存知ですか?
伝説上の人物ですが、名前だけなら聞いたことがあるかたもいると思います。
古代、このヤマトタケルが東国へ敵対する勢力の討伐へ向かいました。大和国(奈良県)からもちろん歩きで。
無事、討伐が終わり大和国までの帰り道、ヤマトタケルはもうくたくたです。
そして、伊勢国(三重県)に入り今の四日市辺りであまりの辛さから「私の脚は三つに重なるぐらいとても疲れた」と言われます。
ここから「三重」という言葉が生まれます。
現在、四日市市西部に三重地区があります。ここから明治になり三重県と名付けられました(ちなみに三重県発足時の県庁所在地は四日市です)。
その後、ヤマトタケルは今の鈴鹿市に入ったところで亡くなります。しかし、白鳥となって故郷の大和国へ旅立って行きます。鈴鹿市には白鳥という地名が残っています。
そして、亡くなったヤマトタケル自身は亀山市に葬られました。亀山市の能褒野神社にヤマトタケルのお墓(古墳)が今でも残っています。
さあ、たまには歴史ロマンに浸ってみるのもいかがでしょうか。そのときはぜひプジョーでお出かけください☆
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