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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 大矢麻里 Mari OYA/Akio Lorenzo OYA

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2022年5月28日、イタリア中部メンサネッロをベースに開催された「イタリアン・ルノー4ミーティング」で。

アイルランド組み立て仕様も

本欄第19回に登場したイタリア中部ポッジボンシのフランス車専門パーツショップ「デ・マルコ・パーツ」の店主、マッシモ・デ・マルコさんから「今年もやるから、遊びにおいでよ」と誘いがあった。
「今年も」とは、ルノー4(キャトル。イタリア語ではクアトロ)のミーティングである。正式名称は「イタリアン・ルノー4フェスティバル」という。

第1回は2021年9月、ルノー4誕生60周年に合わせて催され、65名のファンが参集した。
第2回である今回もマッシモさんがベースに選んだのは、前回に引き続き「メンサネッロ荘園」だった。ワイン用ブドウやオリーブの畑などに囲まれ、東京ドームの約64倍に相当する300ヘクタールを誇るホテル&レストランだ。

なお、かつてアルファ・ロメオ工場製が存在した事実などイタリアとルノー4の深い関係については、これも本欄第19回を参照いただこう。

イベントは参加予約こそ必要だが、どこから合流しても、どこで離脱しても自由という、ゆるいプログラムである。初日である5月20日金曜日は、18時にデ・マルコ・パーツ店頭に集合。19時から走行会に出発し、そのまま希望者は郊外のリストランテで夕食をとった。

翌日土曜の午前中は、一帯の自由ウォーキング散策が組まれた。
その日の午後、筆者が合流すると、メンサネッロ荘園の庭には、色とりどりのキャトルが、まるでマーブルチョコレートを撒いたかのようにパークしていた。スタイルもノーマル、ドレスアップ系、フルゴネット(バン)、そしてローダウンとさまざまである。
ファンも、キャトル一筋の人がいるかと思えば、「フォルクスワーゲン・ビートル」「フィアット・トポリーノ」などとともに、デザインが可愛いクルマのコレクションの1台として愛好している人もいる。

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フィレンツェ郊外からやってきたチヴァさんの愛車。ヴィンティッジ風グリルとアルミホイールが自慢だ。


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昨年に続いて中部マルケ州から参加したダニエレさん。「さまざまな旧車を所有してきたが、最終的に手元に残したのはキャトルだけだ」と語る。

イタリア人以外の参加者もみられた。あるオーストリア人オーナーは「今も(ルノー4を)通勤用に毎日使っていますよ」と誇らしげに教えてくれた。
遠来賞は、イギリス南部コーンウォールを発ち、プリマスからドーバー海峡を越え、片道1750キロメートルをかけて到着したブライアンさんであった。リタイア前は軍関係のエンジニアだったという彼は、「休息日1日も含めて5日間かかりました」という。「基本的に宿泊はキャンプです」。実際、後席から荷室にかけて旅道具が満載されている。「女房は暑がりなので、家に残してきました」と笑った。
右ハンドル仕様なので聞けば「これはアイルランド組み立てです」という。キャトルは1962年からダブリンでノックダウンが開始され、その後ウェクスフォードに移って1984年まで生産が行われていたのだ。


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英国から1750キロメートルを運転してきたブライアンさん。愛車はアイルランドで組み立ての1978年式右ハンドルだ。


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来場者のTシャツからもキャトル愛がひしひしと感じられる。ピサ在住のフェデリコさん&アリーチェさんもこの通り。


キャラクターにドンピシャ

夕方からは、マッシモさんの司会でアトラクションが開始された。
最初は「パーツ当てクイズ」である。10個の箱には、それぞれキャトルの部品が隠されている。参加者は手を突っ込んで、それが何かを口頭で解答する。
制限時間が決まっているので、すべての箱に手を差し入れるには1個あたり手探りできる秒数が限られる。中に入った部品は穴から覗き見できないよう、藁(わら)にまみれている。挑戦者のひとり、ダニエレさんは「思った以上に難しかった!」と感想をもらした。会場の熱気につられてはしゃぐ犬も、彼らの集中力を低下させる。それでも優勝者は10個中9個をずばり言い当てた。


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10個並んだ箱に次々と手を突っ込み、制限時間内に何の部品か当てる。熱烈キャトル・ファンといえども、それなりに難しかったようだ。

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答え合わせタイム。オーガナイザーのマッシモさんがウィンドーウォッシャー用レバーを掲げる。

続いて参加者たちは屋外に移動した。事前に「スターターを使ったゲーム」と聞いていた筆者は、船外機のようなプルスターターや、二輪車のキックスターターでエンジン始動を競うのかと勝手に考えていた。だが実際は、なんとキャトルのスターターモーターを、砲丸投げの要領でできるだけ遠くまで飛ばして距離を競うゲームだった。重さ約5キログラム。ちょっとしたダンベルと同じだ。方向を間違えてギャラリーのほうに投げてしまうチャレンジャーあり、いかにも剛力そうな男性が“ちょろい”距離しか飛ばせなかったりで、歓声が絶え間なく続いた。


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「スターターモーター投げ」。サンダルを脱いで挑戦したこの女子は、それなりに好成績を示した。

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アトラクションの後、ふたたび近郊のツーリングに出発する参加者たち。


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キャトルのメカニカル・コンポーネンツを流用しながら、より近代的な成り立ちをもつ「6」も参加した。わざと水たまりに入り、“泥んこ遊び”に興じる参加車も。


最終日である日曜日午前は走行会やドローンを使った記念撮影のあと、メンサネッロでのランチをもってフィナーレとした。3日間の参加台数は82台。参加者は約350人を数えた。

マッシモさんの企画は、シンプルでも楽しいキャトルのキャラクターにぴったりだった。それはメーカー後援イベントのように大掛かりなセットを組んだり大物ゲストを呼んだりしなくても、十分に楽しめることを示している。

ちなみに数日後、例の英国人ブライアンさんの携帯電話に連絡してみると、「まだイタリアにいますよ」と答えが返ってきた。キャトル仲間の家を訪問しては交流を楽しんでいるのだという。
2022年で生産終了後30年。今なおこのベーシックカーは、さまざまな人々に喜びをもたらしている。

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フルゴネット仕様が、お馴染みのロールを演じながらカーブを疾走する。

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自分なりの個性的なドレスアップを施した参加車も少なくなかった。
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/Stellantis

イタリア版・赤旗まつり

イタリアでもウクライナ-ロシア情勢が刻々と報じられている。我が街シエナの商店主の多くは「困ったものだ」と嘆く。ロシアの観光客は気前が良いことでそれなりに知られていたからだ。それは一部の高級別荘専門不動産店の物件案内に、イタリア語や英語と並んでロシア語が併記されていたことからもわかる。

イタリアとロシアとの近さは、今日に始まったことではない。1996年に筆者がイタリアに住み始めたとき、その政治的・文化的近さに驚いたものだ。新聞雑誌スタンドには、一般紙と並んで左派系新聞の日刊紙「連帯(ルニタ)」が並んでいた。街の壁には選挙のたび、旧イタリア共産党の流れを汲む政党のポスターがたびたび貼られ、そこには鎌とハンマー、そして星を備えた赤い旗が描かれていた。

背景には第二次世界大戦後、イタリア共産党がたびたび連立与党に参加できたうえ、長年にわたり左派政党として西欧最大級の勢力を維持してきたことがある。地理的にも東隣には社会主義圏である旧ユーゴスラビアがあった。

筆者が住むシエナが属する中部トスカーナ州は、ボローニャやモデナがあるエミリア=ロマーニャ州と並んで、イタリア20州のなかでも中道左派政党の勢力が強い州である。
シエナでは、そうした政党のひとつである「民主党」によって、毎年夏に「連帯祭り」と称するイベントが開催されるのが常だった。
知り合ったばかりの地元のおじさんが連帯祭りに誘うので、「いやー、政党系は苦手なんだよな」と言いつつ、興味本位でついて行ってみたことがある。会場には、党旗をプリントした赤い旗がいくつもはためいていた。名実ともに“赤旗まつり”である。
ところが入ってびっくり。無数の食べ物屋台だけでなく、射的まで並んでいて、まるで縁日だった。政治色の薄さが、かえって人々の間に左派政党が浸透していることを実感させた。

今になってみれば本家・ソビエト連邦崩壊から僅か5年しか経過していなかったわけだから当然といえば当然だ。しかしながら西側の国で、ここまで“ロシア指数”が高いことに驚きを禁じ得なかった。

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2010年3月の地方選挙ポスター掲示板を何気なく写したスナップ。中道左派および左派政党のものが目立つ。


安さ+タフさをアピールした“ソ連版フィアット”

もうひとつ、イタリアに住んで驚いたのは、「旧ソビエト車を頻繁に見かけること」だった。

イタリアにおけるロシアとの近さは、自動車の世界をも変えた。1960年代、世界戦略を進めていたフィアットと、自動車産業の近代化を目指すソビエト政府の思惑は一致した。1966年8月、同社のヴィットリオ・ヴァレッタ社長はモスクワに赴き、イタリア動産機構(IMI)支援のもとソビエト政府とライセンス生産契約を締結する。その結果として、アフトワズ社のトリヤッティグラードの工場が1970年に稼働。フィアット「124」をベースにしたアフトワズ「VAZ(ラーダ) 2101」が生産開始された。なお、同車は年代やボディタイプ、さらに仕向け地によって、「ジグリ」も含めさまざまな名称が用いられたが、以後本稿ではラーダ2101シリーズとする。

ラーダ2101シリーズは東欧諸国だけでなく、西側諸国にも輸出された。いち早く上陸したのはイギリスで、右ハンドル仕様が容易された。続いてフランスでも1973年にジャック・ポシュという輸入代理店によって販売開始されている。

ラーダ2101シリーズは東欧諸国の劣悪な道路状況に耐えられるよう、各部が強化されていた。そのため西ヨーロッパでも低価格とともに強固さもセールスポイントとされた。実際、フランスでの初期のキャッチは「ラーダ、それをタフと呼ぶ」だった。

参考までにオリジナルのフィアット124は1974年にカタログから消えている。これは筆者の想像だが、プリミティヴな124熱烈ファンの一部は、ラーダ2101シリーズにも関心を寄せたのではなかろうか。1971年にダットサン・ブルーバードが「U」こと4代目に進化しても、継続生産されていた「510」型に一定の人気が集まったのに似たマインドがあったに違いない。イタリアでもトリノに存在した「ラーダ・チェントラス」という企業が、「ラーダ・プリマ」の名前で1990年から1992年に輸入していた記録がある。価格は5千ユーロ以下という、極めて戦略的な値付けがなされていた。

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「ラーダ2101」のベースとなった「フィアット124」。1966年。

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ワゴン版であるラーダ「2102」の基となったフィアット「124ファミリアーレ」。

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アップデート版として1980年に投入されたラーダ「2105」は、角型ライトが与えられた。マルタ共和国で2008年撮影。

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同じくマルタで撮影したラーダ2105。ラーダ2101系は「2107」まで発展し、2012年まで生産された。


アンチSUV派とソビエト・ファンに支えられて

しかし、イタリアを含む西側世界で最もヒットしたロシア車といえば、同じくアフトワズが1976年に生産開始した4輪駆動車「ラーダ・ニーヴァ」である。
筆者がイタリアにやってきた1990年代末に関して背景を記せば、「BMW X5」「メルセデス・ベンツMクラス」に代表されるように、4WD車がSUV化・ゴージャス化の一途を辿っていた。そのアンチとして、ルーマニアの「アロ」、旧ソヴィエト系の「UAZ」などスパルタン系4駆が一定の支持を集めていた。ラーダ・ニーヴァはその代表だったのだ。筆者もニーヴァのユーザーから「いまどきのSUVのようなきれいな内装のところに、枝落とししたオリーブとか、今ハンティングでしとめてきたばかりのイノシシとか載せられるかよ」と真顔で言われたものだ。
「ソビエト・ファン」という人たちもイタリアにはいて、腕時計やカメラなど旧ソビエト製の無骨ともいえる製品に魅力を感じる人たちの“上がりアイテム”として、ラーダ・ニーヴァを好む人がいた。
ただし年々厳しくなる欧州の統一排気ガス基準「ユーロ」に対応しきれなくなり、イタリアでは2014年をもって正規輸入が終了してしまった。

ラーダ2101シリーズに話を戻せば、しばらく前に地中海に浮かぶ隣国・マルタ共和国を訪れたとき、たびたび目撃した。英国から流れ着いた中古車である。
いっぽうヨーロッパ最大級の中古車取引サイト「オートスカウト24」でも、ラーダ2101系はひそかな人気を保っている。一例として33年落ちの1989年式にもかかわらず、5千ユーロ(約68万円)という値段は、コレクターズアイテムに昇華していることを匂わせる。
ラーダ・ニーヴァもしかり。LPG併用仕様に改造することで排ガス規制による禁止税をクリアして愛用する人を見かける。ふたたび「オートスカウト24」で確認すると、並行輸入によるラーダ・ニーヴァの新車は3万ユーロ(約410万円)超という強気なプライスタグが下げられている。

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ラーダ・ニーヴァ。2019年イタリア中部トスカーナ州で撮影。


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こちらのラーダ・ニーヴァは2010年モデル。思わずミスマッチを狙ったのかと疑ってしまうELEGANCEというバージョン名が付けられている。2020年シエナで撮影。

しかしながら、たとえ強固な旧ソヴィエト系モデルといえど、永遠に使えるわけではない。将来ファンはどうするのか?そのようなことを考えながら、筆者が10年ほど前まで住んでいた街区を先日通りかかったときだ。かつてラーダ・ニーヴァを何台も乗り継いでいた家庭の前に、中国製「グレートウォール(長城汽車)」製トラックが佇んでいた。スパルタン系を追い求める人は、一般ユーザーよりも思考が柔軟だ。

 

2022年5月現在に話を戻せば、西側諸国の自動車メーカーが次々とロシア工場での生産を休止している。2008年以降ルノー傘下となったアフトワズも稼働をストップした。このままロシアの孤立が続くと近い将来ロシアでは、終戦直後の技術でクルマを造り続けた社会主義時代のように、2022年時点で時計の針が止まった自動車が、接収した工場で生産されてゆくのではないか、などと想像する昨今である。

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「グレートウォール(長城)」製ピックアップトラック「スティード」。2020年春、シエナ県で撮影。


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マルタで見かけたラーダ2105。車体前部では植木、後半とルーフではDVD&CDを販売している。
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/Stellantis

アバルト・パルス

ステランティスは2022年3月、「アバルト・パルス(プルス)」をブラジル市場に投入することを発表した。アバルト・ブランド初のSUVであるとともに、ブラジルで初めてすべてを開発・生産するアバルト車となる。

アバルト・パルスは、ブラジル工場で2021年から製造されている「フィアット・パルス」をベースとしている。同国におけるアバルト・ブランド展開の第1弾となる。
スペックは明らかにされていないが、参考までに姉妹車フィアット・パルスのものを記せば、エンジンは4気筒1.3リッター自然吸気98HPと 3気筒1リッター・ターボ125HPの2種類で、国策として1970年代から推進されてきたエタノールにも対応。その場合、後者の出力は130HPとなる。変速機は5段MTもしくはCVTが用意されている。その最高級モデルが125,590レアル(約335万円)であるから、アバルト版は、それ以上の設定になると思われる。イタリアのメディアによると、アバルト・パルスのブラジルでの発売開始は2022年第4四半期が予定されている。

そこで今回はブラジルやアルゼンティンなど南米製フィアットについて語ろう。
メーカー資料によると、ステランティスの旧FCA系ラテンアメリカ・ユニットは、ブラジル、アルゼンティン、ベネズエラそしてチリでビジネスを展開し、年間生産台数は80万台に及ぶ。最も規模が大きいのは、ブラジルの都市べチンにある工場だ。1976年に「フィアット127」の現地版である「フィアット147」で操業を開始した同施設は、フィアット・ブランドにとって世界最大の生産拠点である。完成車だけでなく、エンジンも欧州に輸出している。

南米でフィアットは、メジャーなブランドである。2021年の年次報告書で市場シェアをみると、ブラジルでは首位の32%で、これは2位のフォルクスワーゲンの2倍以上だ。アルゼンティンでも29.1%を誇る。

その南米製フィアットの一部は、ブランド発祥の地イタリアでも輸入販売されてきた。

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「アバルト・パルス(プルス)」は、ブランド史上初のSUV。

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アバルト・ブランドのブラジル市場導入において、イメージリーダー役も担う。

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発売は2022年の第4四半期を予定。


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先に市場投入された 「フィアット・パルス」。


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ブラジル工場におけるフィアット「147」エタノール対応車のアセンブリー・ライン。1979年。

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ステランティスのブラジル・ベチン工場。


ウーノのバリエーションが次々と

具体的に、どのようなモデルがイタリアでも売られたのかについて見てゆこう。なお呼称は基本的に、南米各国におけるものではなく、イタリアおよび欧州でのものとする。

1980年代後半、フィアットは既存のバリエーションを補完すべく、南米専用モデルの一部を欧州に導入した。
1987年の「フィアット・ドゥーナ」は簡単にいうと、「ウーノ」にトランクを付加した3ボックス版であった。加えて「ドゥーナ・ウィークエンド」と名づけられたワゴン版も存在した。同モデルはウーノ同様ジョルジェット・ジウジアーロがデザインに関与しており、南米では「フィアット・エルバ・ウィークエンド」の名前で販売されていた。

なお、これらと本国製ウーノと比較して、外見上明らかな相違点は、エンジンを覆うフロントフードがフロントフェンダー、つまり側面まで回り込んでいたことであった。視覚的には若干違和感があったものの、整備性は向上したのは明らかだろう。

街角のユーザーを観察していた筆者の考えでは、市場におけるボディ形状の人気がハッチバックおよびワゴン一辺倒になる前夜、ドゥーナの3ボックス版は高齢者を中心に一定の需要があったと思われる。だが実際は、ウィークエンドともども、メーカーに大ヒットはもたらさなかった。そのため、1990年代に入ってまもなく、ドゥーナ・シリーズはカタログから落とされてしまう。

代わりにフィアットが考えたのは、このドゥーナを「インノチェンティ」ブランドに移すことだった。
背景を解説すると、フィアットは1990年、インノチェンティを「マセラーティ」とともにアレハンドロ・デ・トマゾから取得した。ただし、ブランドを象徴してきたベルトーネ・デザインの「ミニ」は、すでにモデル末期となっていた。フィアットの旧ユーゴスラヴィア工場から輸入する「コラール」が唯一の“最新”車種だった。
当時イノチェンティ販売店を経営していたイタリア人に筆者が聞いたところによると、本部からは同じく数年前にフィアット系となった「アルファ・ロメオ」販売店への転換を勧められたという。しかし、それには時間を要する。そうしたなかフィアットは1991年、ドゥーナ・ウィークエンドを「インノチェンティ・エルバ」と改称。ラインナップを拡充して、セールス・ネットワークを当座支えたのである。
さらに、それを補完するものとして、同じくブラジル工場製の「インノチェンティ・ミッレ」も投入した。こちらは3ドアで、フロントグリルや前述のフロントフードの切り欠きを除けば、本国版フィアット・ウーノと瓜二つであった。

ただし、フィアット・ブランドで南米製が絶えてしまったわけではなかった。1988年の2代目「フィアット・フィオリーノ」は引き続き販売された。こちらもウーノをベースとしたピックアップ・トラック&バンで、後者はイタリア郵便会社が大量に導入したことから、2000年代初頭の一時期、筆者が住むシエナで配達車といえばフィオリーノだった。

次にフィアットが南米工場製を導入したのは1996年の「パリオ」シリーズであった。初期型のデザインはトリノのI.DE.A.イスティトゥートによるもので、ブラジルをはじめ南米各地はもとより、インドやロシアなど世界各地の生産拠点で造られた。フィアット版ワールドカーであった。
筆者は、このモデルをよく記憶している。なぜならこの国に住み始めたのと同じ年だったからだ。イタリア市場には最初にワゴン版「パリオ・ウィークエンド」が投入され、その後パリオ3ドアが追加された。

実は南米では「パリオ」に、ノッチバック版の「シエナ」も存在したが、こちらはイタリアに輸入されなかった。ちなみに当時、筆者が住むシエナでは、地元で開かれる有名な競馬の名称が「パリオ」であることから、「歴史あるイベントの名称をクルマに使用するのはけしからん」と、市の団体がフィアットに対して抗議した。しかしフィアットは、まったく相手にせず販売を継続した。

このパリオ、イタリア国内製でないことによるネガティヴなイメージは、あまりユーザーの間で広まらなかった。そればかりか初代「パンダ」よりも近代的、かつ「プント」よりも格安ということで、一定の顧客を見出した。

またドゥーナ同様、パリオでも商用車版が市場投入された。ピックアップ・トラックである1999年の初代「ストラーダ」で、事実上フィオリーノ・ピックアップの後継車的位置づけだった。


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フィアット・ドゥーナは、ウーノの3ボックス版。テールランプの意匠は、ランチア・テーマを彷彿とさせる。


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インノチェンティ・エルバを、筆者がエルバ島で発見。2000年代初頭。


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フィアット・フィオリーノ。イタリア郵便の配達車。シエナのカンポ広場で2003年撮影。


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地元工業高校の“公用車”として用いられていたフィアット・フィオリーノ。


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フィアット・パリオ・ウィークエンド(ブラジル仕様)。

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フィアット・パリオ3ドア。シエナで2003年撮影。

意外な人気車

今日、ドゥーナやインノチェンティ・エルバは、古い排ガス対策基準のクルマほど負担増となる自動車税で不利であることから、さすがに路上で見る機会は減ってきた。
またパリオは、ワールドカーとして誕生したルノー・グループの「ダチア」に匹敵するほどの成功は収められなかった。

しかし今でも時折、路上で元気なパリオを見かける。今回最後の写真は、本稿執筆の直前、2022年4月に見つけたものである。

初代ストラーダは、郊外在住のユーザーの間で根強い人気がある。全長4.5メートル未満、全幅1.7メートル未満、というコンパクトなサイズのピックアップを現行車種で探すのはけっして容易ではないからだ。ブラジル生まれならではの、きわめて実質的かつスパルタンな性格も、本国版にない魅力なのである。筆者自身は、荷台を取り巻くプラスチック使いや、リアゲートにプレスされたFIATの斜体文字が今も好きだ。

ストラーダは本国における2020年の2代目移行をもって、イタリアに輸入されなくなってしまった。そればかりか今日フィアットのピックアップは、タイ工場製「三菱トライトン」をベースにした巨大な「フルバック」になってしまった。ストラーダ愛好者の「ちがう、ちがうってば」という声が聞こえてきそうだ。
ヨーロッパ最大級の中古車検索サイト「オートスカウト24」で20年落ち・走行30万キロメートル以上のストラーダが、5000ユーロ(約70万円)で頻繁に取引されているのは、今なお人気の証だ。

 

かくもイタリアにおいて南米工場製フィアットは、ユーザーの間に迎え入れられてきた。したがって、仮にアバルト・パルスが本土上陸しても、筆者はけっして驚かないのである。


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シエナの家具店でサービスカーとして活躍するフィアット・ストラーダ。

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2022年4月、シエナで発見したフィアット・パリオ3ドア。2000年までの初期型ゆえ、最も若くても車齢22年である。
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文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

毎日のささやかな楽しみ

スマートフォン内の写真ファイルというのは、あっという間に増えてしまうものだ。筆者の場合、気がつけば、すぐに700枚近く溜まってしまう。女房に常々指導されるように、撮影当日ダウンロードして分類すれば良いのだが、それがなかなかできない。だから撮影月を見ると、1年以上前の写真が平気で常駐していたりする。かつて、イタリア人の知人が年末にクリスマスパーティーのフィルムを現像したら去年のクリスマス写真まで入っていて筆者は大笑いしたものだが、今や彼を馬鹿にできない。

前置きが長くなかったが、先日スマートフォンの中にたまっていた膨大な写真を整理した。そのなかに、筆者が発見するたび面白がって収めていた風景があるのに気づいた。「クルマのゾロ目」だ。要は同じ種類のモデルが並んで駐停車している風景である。
ただし、筆者は自身であるルールを決めて、以下は“反則”として撮影しなかった。
・販売店の敷地内、もしくは周辺
・営業車。たとえば郵便局の配達車や電話工事のクルマなど
・販売した店が同じクルマ。イタリアの場合、ナンバーフレームの周囲にディーラー名が記されているので即座に判別できる。すなわち自動車関係者による出張の可能性が高い

さっそく実際にご覧いただきながら、組み合わせが起こりうる頻度の少なさや、意味合いの深さを基準に、100点満点で採点してゆきたいと思う。

1 【フィアット500】

白のトーンが違う現行モデル初期型2台である。ただし、500は2021年のイタリア国内新車登録台数で、デビュー14年後にもかかわらず依然2位に君臨している。そうしたこともあり同様のシチュエーションは比較的発見しやすいため、せいぜい30点といったところである。

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フィアット500×2台。

2 【ランチア・イプシロン】
フィアット500の姉妹車である。こちらも2021年登録台数で3位にあるため、イタリアではけっして珍しいゾロ目ではない。したがって同じく30点。

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ランチア・イプシロン×2台。


3 【ランチア・ムーザ】
2021年9月にスーパー駐車場で撮影。ムーザは、まだイプシロンが3ドアのみだった時代、ミニMPVブームに乗って一定の顧客を獲得したが、同じ市場で健闘したメルセデス・ベンツAクラスの人気には及ばなかった。そのため早くも見かける頻度が減った存在である。さらに生産終了の2012年から早10年である。そうした背景を考えれば、2台揃う風景はそれなりに珍しいので65点といったところか。ちなみに、右側のクルマは砂埃で真っ白だが、逆にオーナーは門扉から未舗装路をえんえんと走ってゆく郊外の大邸宅在住、ということもありうる。

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イタリア版ミニMPVとして存在したランチア・ムーザ。


4 【MINI】
まったく同色、それも2台ともディーゼル仕様のONE Dである。にもかかわらず、よく見ると5ドアと3ドアだ。念のため例のナンバーフレームを確認したが、手前は地元ディーラー、もういっぽうはまったく異なる地方の販売店であったので、偶然の可能性が極めて高い。さらにMINIはイタリアで登録台数トップテンに入っていないので、ゾロ目希少性はさらに高くなる。そこで同じく65点としよう。

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2台のMINIは、よく見ると3ドアと5ドアだが、各オーナーは、隣のクルマを発見したとき、それなりに驚いただろう。


5 【初代メルセデス・ベンツAクラス】
イタリアでも大きな成功を収めた初代Aクラスだが、近年はさすがに目撃する機会が減ってきた。そうしたなかスーパーの駐車場で発見した風景である。さらによく見ると、右がノーマル仕様なのに対して、左は後から追加されたロング・ホイールベース版「L」だ。ということで75点。


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初代メルセデスAクラスのストレッチ版(左)とノーマル版。


2台から見えてみるもの

さらに「うんちく」を傾けさせていただこう。

6〜9 【二世代ご対面】
同名モデルで違う世代が並んだ場面である。写真6は2代目および現行フィアット・パンダの2台並びだが、ベストセラー車種で、それもこの国の人々が好むシルバーゆえ、せいぜい30点だ。
いっぼう、写真7はフィアット・プントによる2代目&3代目(グランデプント)の豪華3台揃いである。ただし、2代目は12年、3代目も13年にわたってカタログに載り続けたから、現存している頻度としては高い。さらに「ここまで来れば初代もいてほしかった」という欲も出るので60点としよう。
写真8は現行フィアット500と、いわゆるヌオーヴァ500という微笑ましい光景だ。だが後者が今もお年寄りの足として元気に走り回っているため、ときおり起こりうる取り合わせである。したがって70点。
いっぽう写真9は、直系ではないが、デビューを1955年に遡るフィアット600L(右)と、2012年に登場し今日もカタログに載る同500L(左)である。フロントグリルのモール、ヘッドライト&ポジショニング・ランプの配置など、アイデンティティが継承されていることがわかるショットだ。それにしても今日のクルマの大きいことよ。600Lはヌオーヴァ500よりも見かける頻度が格段に少ないから、85点に値する。

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パンダ2世代。左の2代目のリアワイパー・アームには、イタリアで結婚式参加者が付ける白いリボンが。


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2代目プントと、2台の「グランデプント」。


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一瞬のショットゆえ画質はお許しを。フィアット500親子。


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デビュー年に半世紀以上の開きがあるフィアット500Lと同600L。


10〜13 【いろいろ考えさせられてしまうペア】
写真10はDS3(左)と現行シトロエンC3(右) が偶然並んでいたところである。DS3は遠く2009年の発表で、すでに生産完了している。また近年DSオートモビルズは、シトロエンとより異なるデザインを与えて差別化を図っている。だが、同じ血筋−−実際、DS3は2代目シトロエンC3のプラットフォームを使用していた−−であることをいやがうえにも感じさせるショットということで50点。

続く写真11でフィアット500と並んでいるのは、2016年まで販売されていた2代目フォードKaだ。この2台は同一プラットフォームで、いずれもFCAのポーランドにあるティヒ工場製である。形状こそ異なるがテールランプやフロントフェンダーの位置、そして写真では見えないもののダッシュボードの各種操作類などは極めて似通っている。共通のワイヤーハーネスを使用していることを匂わせる。2台は「あら、久しぶりねえ」と会話を交わしているに違いない。フォードKaがイタリアで初代ほどヒットしなかったことから、この取り合わせは滅多に見かけないので85点である。

写真12は、あるスーパーマーケットの駐車場で2022年2月に撮影したひとこまである。(左から)フォルクスワーゲンのトゥーラン、先代ポロ、そしてゴルフⅦが揃った。車体色が同じなのは、この「ウラングレー」がイタリアにおいては追加料金なしでオーダーできる数少ない選択であることが影響している。ともあれ、あたかもラインナップ紹介広告のような光景なので70点。

 

写真13は2022年1月、生協の駐車場での光景だ。間隔こそ開いているがシルバーのプジョー206が2台並んでいる。生産終了から早10年でもユーザーが多いのは、その実用的なコンパクトさと、必要十分な機能によるものである。サードパーティー部品も豊富だ。ボディの肥大化、過剰な付加価値化そして高価格化が著しい近年の小型車に疑問を投げかける風景ということで90点を与えたい。

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DS3とシトロエンC3。最近でこそ先鋭化するDSのデザインだが、考えてみればシトロエンに限りなく近いところから始まった。

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同じプラットフォーム、同じ工場同士の2代目フォードKaとフィアット500。


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近年のVWが偶然3台並んでしまった。

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プジョー206の愛好者は、今も根強く存在する。

思わず泣けてきた光景

14 【スマート・フォーツー】
一見なにげない風景だが、これを見た途端、思わず泣けてきた。きっかけは、リアに付けられた「mhd」のバッジである。
2008年から約10年間、筆者はブランドのコミュニケーション誌に、ヨーロッパ各国のスマート・オーナーを訪問する記事を撮影・執筆していた。ただし、スマートの持ち主なら誰でも良いというわけではなかった。編集部のオーダーは、当時の現行モデルである2代目、それもアイドリング・ストップ機構が付いたmhd仕様のみOK、というものだった。
外からmhdを確認する手段は2つだった。前述のバッジか、センターコンソールにあるアイドリング・ストップ作動&解除用緑色ボタンである。そのため欧州各地の訪問地で、スマートの後ろ側にまわっては、mhdのバッジを確認した。そして車上荒らしと間違われないようにしながら、車内を覗き込んだ。
ところが実際探してみると、当時はまだ出始め、かつ同じスマートでもディーゼル仕様が脚光を浴びていた時代だった。想像していたほど簡単には見つからない。
mhd車を見つけたら、駐車中のワイパーに筆者の連絡先を記した紙を挟んだり、ときにはオーナーが戻ってくるまで待ち伏せまでしたことがあった。かばんの中には、自分が何者で、目的が何であるかを説明するための掲載誌をしのばせていたものだ。
誌面に“どんぴしゃ”のキャラクターを備えたスマート・オーナーなのにmhdでなかったり、そうかと思えばバッジの類が嫌いで、mhdをわざわざ剥がして乗っているオーナーもいた。
そのようなリサーチと取材を約10年にわたって続けた。だから、この写真の2台並びを発見したときは、「当時の苦労は何だったのか」という落胆と、「ああ、その後こんなに普及して良かった」という安堵が交錯したものだ。ということで筆者としては100点を与えたい。

 

過去2年間は、モーターショーをはじめとする各種イベントが中止や延期になったことから、出張の頻度が極端に減った。そのため今回の大半の写真は、筆者が住むシエナ市内で撮影したものである。それでも、身近なロケーションとシチュエーションで、こんなにも楽しめるとは。自動車好きは得である。

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スマート・フォーツー・カブリオとクローズドルーフのフォーツーだが、いずれもスタート&ストップを備えたmhd仕様。かつてひたすら捜索に苦労したモデルが2台並びとは。
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witten by Akio Lorenzo OYA
世界中
うんうんする
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読者の皆さんにとって、行きつけのガソリンスタンドは、どのブランドだろうか?
イタリアの石油ブランドといえば、多くの人が「アジップ」を思い出すに違いない。1995年まで二十数年にわたり「フェラーリ」F1のスポンサーにもなっていた、炎を吐く犬マークの、あれだ。
そうした大手石油ブランドのガソリンスタンドが次第に姿を消し、代わりに新たな勢力が台頭しつつある、というのが今回のお話である。

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シエナ郊外、人口約130人の村アッバーディア・ア・イゾラにて。一帯に1軒のガソリンスタンド。

ローコスト系の台頭

日本ではガソリンスタンド(以下スタンド)の数が、2016年には31,467ヵ所だったのに対して、2020年には29,005ヵ所にまで減少している(出典:資源エネルギー庁)。
いっぽうイタリアでは、2013年(19,257ヵ所)まで同様に減少を続けていたが、翌2014年には21,300ヵ所に増加。以後はほぼ21,000軒ペースを維持している(出典:イタリア石油連盟)。つまり「底を打った」のである。
この現象に関する詳しい分析は見当たらないが、在住25年の筆者による観察をもとにすれば、2つの背景がある。

第1は、大型スーパーマーケットが併設し始めたセルフ式スタンドの台頭だ。自分で給油したあと、スタッフがいる料金所までクルマを進め、車内に乗ったまま現金またはカードで支払いを済ませる。
人的コストが少ないことから、ガソリン1リットルあたりの料金が日本円換算で14円以上安い(2022年1月現在)。そのため、各地でこうしたスーパー併設スタンドが次々とオープンしている。

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スーパーマーケット「カールフール」に併設されたセルフ式ガソリンスタンド。トリノ郊外で。





第2は、大手系ではない石油販売会社の躍進である。従来見たことがないブランドが、過去数年来イタリア各地で見られるようになった。その多くは、もともと大手系のスタンドを数軒手掛けていた経営者が、みずからのブランドで展開を開始したものだ。

こちらもさまざまな間接経費削減による低価格が武器だ。大手系よりも円にして1リットルあたり10円前後安いのが常である。

そうしたスーパー系セルフスタンドや、ローコスト系スタンドにも短所はある。メンテナンスができるスペースが狭い、もしくは皆無なことだ。オイル交換はおろか、タイヤ空気圧用コンプレッサーを備えていないスタンドもある。
それでもガソリン・軽油価格高騰を背景に、そうしたローコスト系スタンドの多くには、給油を待つ車列ができるようになった。参考までに2022年1月12日 現在、筆者が住むシエナで最も1リットルあたり価格が高いスタンドは、ガソリン1.99ユーロ(約261円)、軽油1.85ユーロ(約243円。いずれも非セルフ)に達している。

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中部トスカーナとウンブリア両州に展開するブランド「アクイラ」。目下スタンド数は53。


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こちらも新興ブランドの「カネストレッリ」。2022年1月現在、ネットワークはシエナ県内2カ所にとどまる。

景品いらない!

いっぽうで従来の大手ブランドは苦戦を強いられていた。
決定的原因は上述のように、価格優位性がないことである。そうしたなか「シェル」は2014年、国内830のスタンド網をクウェート系の「Q8」に譲渡するかたちでイタリア国内市場から撤退した。

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廃業してしまった「IP」ブランドのスタンド。奥にはローカル系新興ブランド「ピッチーニ」が。イタリアの給油所事情を端的に示す風景である。


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走行中、助手席からの撮影ゆえ手振れはお許しを。「Q8」の廃スタンド。ピサ県ヴォルテッラで。解体用の簡易トイレがスタンバイしている。


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廃墟ツアーは続く。「アピ」という全国チェーン系スタンドがあった場所。かつてモダンだったであろう建物が残る。シエナで。


加えて「景品で顧客を釣れなくなった」こともあった。少し前まで大手系スタンドというと、ポイントによる景品交換制度が盛んだった。コスト・コンシャスなローコスト系ではできない作戦だった。
イタリア人ドライバーの多くは、そうしたポイントを懸命に集めていたものだ。最も鮮烈に記憶に残るのは、2001年の「ピニンファリーナ・デザインのマウンテンバイク」だった。

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エッソのイタリア法人が2001年、ポイントの景品として展開した「ピニンファリーナのマウンテンバイク」。2007年撮影。

もちろん筆者も、それなりにそそられた。だが、スタンドの中でもとくに価格が高かったエッソのキャンペーン、かつ通勤にクルマを使う人のようにポイントが多く貯まらないため、途中で戦線離脱した。

代わりに、より少ないポイントでもらえるトロリーバックを手に入れた。ところが空港に行ってみると、同様にもらったのだろう、同じバッグを持っている搭乗客がワンサといて、複雑な気持ちになった。
ピニンファリーナのマウンテンバイクも、やがて町中のあちこちで見かけるようになり、ときにはボロボロになって捨てられている個体も発見した。
こうした景品のコモディティ化による満足度低下は、「ちょっと1リットルあたり価格が高くても」という顧客のポイント収集意欲をおおいに低下させたと考えられる。そうしたなか、ドライバーのマインドは「数カ月後にもらえる景品よりも、今日の燃料を少しでも安く」にシフトしていったのである。

イメージの刷新でも大手ブランドは苦労が窺える。シェルから給油所を継承したQ8は、一部既存店をセルフ式に転換している。ただし、従来の大手系でもとくに価格が高かったイメージを払拭するには時間を要しそうだ。

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Q8はセルフ式の導入を進めている。


冒頭のアジップはといえば2009年、マークはそのままに、親会社の名称と同じ「エニ(Eni)」に転換することでイメージ刷新を試みた。しかし13年が経過した今日でも各地にアジップの看板が残る。このあたりがイタリアのゆるいところで面白い。
同時に、たとえスタンドの看板がエニに変わっても、大半の人はアジップと呼び続けている。エニ/アジップは今日でもイタリア最多の4300スタンドを有するが、場合によっては長年親しまれたアジップに戻されることもあり得るのでは、と筆者はみる。

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シエナで。このスタンドは少し前、アジップからエニに看板を掛け替えた。ただし、地元の人には、いまだアジップと呼ばないとわからない。2022年1月撮影。


ローコストでも欠かせないもの

 

ただし、ローコスト系も安泰ではない。大手系だった地元スタンドの経営者による、ローコスト系への鞍替えが相次いでいるためだ。筆者が住むシエナの街道沿いにある店も、2021年にアジップからローコストの「アクイラ」に切り替わった。店主の老夫婦は「お客さんがとても増えたよ」と、ほくほく顔だ。彼らのところには、アジップ時代の馴染み客がやってくるのだから、これは強い。先に営んでいたローコスト系スタンドにとっては脅威だ。

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アジップからアクイラに切り替え中のスタンド。2020年7月撮影。

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こちらもアジップからの脱退組だが、まだ新しい看板が届かないうちに営業中。カステッリーナ・イン・キャンティで2021年12月。




最後にもうひとつ。ローコスト系が人気を博した当初、スタッフたちは不要なサービスを省略するばかりか、口数まで減らして淡々と給油をこなしていた。
しかし気がつけば、人気があるのはやはり「愛想が良いスタッフがいるスタンド」「会話があるスタンド」である。
筆者が、あるローコスト店員と知り合ったきっかけは、いわゆる「10円パンチ」を自分のクルマに喰らったときだった。スタンドの片隅で必死にコンパウンドをかけていた筆者に、彼は「悔しいよなあ」と同情の声をかけてきた。以来、筆者の日本名まで覚えていて給油に行くたび「よう、アキーオ、元気か?」と声をかけてくるようになった。ここ数年は、メッセンジャーアプリで新年の挨拶も交換するようになっている。
彼の店は、いつも道路まで溢れんばかりにクルマの列ができている。
イタリア人が好む「人懐っこさ」は、たとえローコストでもけっして欠かせない要素なのだ。

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かつてよく見られた路肩のスタンドも、近年は急速にフェードアウトしつつある。ここの給油機も使わなくなって久しいようだ。カーニバルの日、ヴィアレッジョにて。
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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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