文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
新型コロナウイルス感染対策として国境を封鎖していたイタリアが2020年6月15日、緩和措置としてEU(欧州連合)との自由往来を再開した。3月以来およそ3ヶ月ぶりの開放である。
その話題をオーリストリア・ウィーン在住の知人とメッセージングアプリで会話していると、やがてドイツ語とイタリア語の語感に違いに話が及んだ。
相手いわく「蝶はドイツ語でシュメッターリングSchmetterlingだが、イタリア語でそれを示すファルファッラfarfallaのほうが、よりフワフワした感じが想像できる」らしい。
幸い、蝶形のパスタはドイツでもファルファッレ(ファルファッラの複数形)と呼ぶが、万一シュメッターリングだったら、いくら茹でても固そうである。
たしかにそのとおりだ。逆に筆者が文房具店の親父だったら、同じボールペンでもイタリア語でビーロbiroというより、ドイツ語のク―ゲルシュライバーKugelschreiberというだけで3倍高く売れそうな気がする。
そこで世界各国・古今東西の自動車ネーミング(車名、バージョン名)を、筆者が思いつく範囲でリストアップし、自由な名称をつけて分類・分析したのが今回の企画である。
ついでにいえば昨今の自動車名は数字の羅列、もしくは数字とアルファベットの組み合わせが目立つ。言語によって異なった意味や、ときに猥褻なニュアンスになってしまったりするのは回避できるが、どこか味気ないと思うのは筆者だけか。
それでは始めよう。
1.ラテン憧れ系
イタリア、フランス、スペインの地名を関したモデルたちである。
<イタリアの地名>
大都市だけでなく、実はのどかな村や島の名前まで用いられているのが面白い。
ローマ、ポルトフィーノ、モデナ、マラネッロ、モンツァ(いずれもフェラーリ)
ステルヴィオ、イモラ(アルファ・ロメオ)
シエナ(フィアット)
エルバ(イノチェンティ)
カプリ、トリノ、グラン・トリノ(フォード/マーキュリー)
リヴィエラ(ビュイック)
ポルトフィーノの村。

シエナのカンポ広場を望む。

トリノにおけるシンボル、旧サヴォイア家王宮。ここは統一イタリア王国最初の首都だった。
<スペインの地名>
トレド、イビザ、アルハンブラ、アロナなど(セアト)
スペインのセアトはフォルクスワーゲン・グループの1ブランド。これはクロスオーバーのアロナ。シエナにて。
<フランス、モナコの地名>
ミュルザンヌ(ベントレー)
カマルグ(ロールス・ロイス)
モンテカルロ(シボレー)
ル・マン24時間レース期間以外、ミュルザンヌはフランスのロワール流域サルト県の静かな村である。あのベントレーのモデル名になっているイメージは到底沸かない。
カマルグは南フランスの湿地帯で、良質な海塩が生産されていることで知られる。
ということで、地名ではイタリアが最強である。さらに以下の例もある。
<単にイタリア語を用いたもの>
ビトゥルボ、クアトロポルテ(マセラーティ)
スーペルレッジェーラ(カロッツェリア・トゥリング)
クアトロヴァルヴォレ、セディチヴァルヴォレ(複数ブランド)

カロッツェリア・トゥリングの「スーペルレッジェーラ」は、イタリア語で「超軽量」の意味。2014年コンコルソ・ヴィラ・デステにて。
いずれも「ツインターボ」「4ドア」「4」「超軽量」そして「4バルブ」「16バルブ」を意味するだけであるのに、国外でも浸透した。
なぜイタリア語名がここまでもてはやされるかを考えるには、歴史を振り返る必要がある。
その鍵は、かつてイタリア車の大得意先であったアメリカ合衆国だ。
同地では第二次大戦前までイタリアといえば芸術界を除き、一般には移民の一出身国に過ぎなかった。やがて戦後になると、米国人たちは強いドルを握りしめてイタリア観光を楽しむようになる。
そのイタリアは、外貨獲得のために多くの製品をアメリカはじめ世界に輸出した。それらのスタイリッシュなデザインは多くの人々を魅了し、イタリアのイメージ向上に繋がった。
いっぽうフォードがイタリア語名を好んだのは、ヘンリー・フォードⅡ世(1917-1987)が教養以上に個人的にイタリアファンだったことも多分に影響している。参考までに2番目の妻もイタリア人であったし、1970年代初頭にはカロッツェリアのギアおよびヴィニャーレをアレハンドロ・デ・トマゾから買収している。
今回挙げた車たちはずっと後年のものだが、かくしてイタリア語名は今日まで人々にとって心地よい響きになっている。イタリア中央統計局によれば、2018年の米国人来訪者数は約1454万人で、国・地域別ではドイツに次ぐ2位である。
2.スターウォーズ系
“ロケット”シリーズ/エンジン(オールズモビル)
トラバント(旧東ドイツ)
ギャラクシー(フォード)
コスモ(マツダ/ユーノス)
サターン(ゼネラル・モーターズ)

旧東ドイツの国民車トラバント。2013年ポーランドのワルシャワにて撮影。
宇宙にあやかった名称の端緒は、1950年代の米ソによる宇宙開発競争であるのは明らかだ。
旧東ドイツの国民車トラバントもドイツ語で「人工衛星」を意味する。初代のデビュー年である1957年、ソヴィエトが世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功したのを記念したものだ。
“西側”であるアメリカ・フォードのギャラクシー(Galaxie)も、スペースエイジ前夜である1959年モデルイヤーに登場している。
宇宙開発競争が終わると、そうしたネーミングに夢を託すのは沈静化する。
それでも1995年、ヨーロッパ・フォードがGalaxyの綴りとともに今度はミニバンにその名称を復活させ、現在に至っているのが面白い。
3.コミュニスト系
紅旗(中国)
ザスタヴァ(旧ユーゴスラヴィア)
社会主義体制下で生まれたネーミングには、国威発揚を匂わせるものがみられる。紅旗はいうまでもなく、そのイデオロギーの象徴である「赤旗」、ザスタヴァも「旗」を意味する。前述のトラバントも、ソ連の一衛星国であることを示しているという意味では、これに分類できる。

中国第一汽車の紅旗HS7。北京・故宮博物院とのコラボレーションによるデコレーションが施された。2019年上海モーターショー展示車。

旧ユーゴスラヴィア製のザスタヴァ600は、フィアット600をベースにしていた。クロアチアにて2004年撮影。
4.“シャウエッセン”系
コンプレッサー(メルセデス・ベンツ)
アダム、カール(創業者一族の名前から。オペル)

初代メルセデス・ベンツSLKコンプレッサー。

オペル・アダム。ショーデビューを飾った2012年パリサロンにて。
日本では、プチ高級なハム・ソーセージというと「シャウエッセン」「グランドアルトバイエルン」など、ドイツ語風のものが多い。しかし、自動車の車名やバージョン名でドイツ語名に接する機会は、イタリア語と比べると急激に減ってしまう。
メルセデス・ベンツには1930年代と戦後のトップモデルに「巨大な」を意味する“グローサー”と呼ばれる車両が存在するが、通称に過ぎない。
そのメルセデスは、戦前にスーパーチャージャー付モデルを示した「コンプレッサー」の名称を1990年にわざわざドイツ語綴りのKompressorとともに復活させたが、再びカタログから消えてしまった。

1963年に誕生したメルセデス・ベンツ600プルマン(手前。写真は1965年製)も、1930年代の超大型モデル同様、“グローサー”と呼ばれた。
背景には、イタリア人やフランス人からすると、ドイツ語名は今ひとつ親しみに欠けることがある。
それは、いくつかの事例でも証明できる。
ダイムラーが1902年に「メルセデス」を商標登録したきっかけは、ニースの販売代理人の強い希望を反映したものだった。
自動車ではないが、ドイツの有名な食品メーカー「ドクター・エトカー」の例もある。同社は早くも1933年のイタリア進出を果たしているが、発音の難しさと記憶されにくさが販売の妨げになった。そのため、戦後1953年にイタリア市場のみ「カメオ」と改名して現在に至っている。
ちなみにドイツ観光に関する統計資料によると、2018年の外国人観光客数ランキングでイタリアからの訪問者はようやく第6位に姿を現す。数も約416万人に過ぎない(出典:Statista)。
筆者個人は、このドイツ語マイナー環境を残念に思っている。
なぜならブレーキを意味する言葉もドイツ語でブレムゼBremse !と叫んだほうが、イタリア語のフレノfreno !よりも数倍サーボが掛かりそうだ。
シートベルトもイタリア語のチントゥーラ・ディ・シクレッツァCintura di sucurezzaより、ジッヒャーハイツグルトSicherheitsgurtのほうが締まりが良さそうではないか。
フレノよりもブレムゼといったほうが効きそうだ。写真はアルファ・ロメオ・ステルヴィオのもの。