文と写真 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

2021年1月に初めて目撃したスズキ・スウェイス・ハイブリッド。イタリア価格は税込23,400ユーロ(約304万円)から。以下いずれもシエナと近郊で撮影。
欧州限定ブランド“トヨズキ”?
筆者が住むシエナ市内で、少し前のことである。一旦通り過ぎてから振り返って、しげしげと見てしまったクルマがある。
ノーズにスズキの「S」バッジが輝いているにもかかわらず、どこかスズキらしくない。
フロントフェンダーには、トヨタ車のそれと同じ「Hybrid」のバッジがある。そもそもスタイル全体が、どう見てもトヨタである。
その名はスズキ「スウェイス・ハイブリッドSwace Hybrid」。トヨタが欧州で販売しているハイブリッドのワゴン「カローラ・ツーリングスポーツ」のOEM版であった。
このクルマの誕生には背景がある。
2019年8月、スズキとトヨタが資本提携に関する合意書を締結したのは、読者諸氏もご記憶と思う。
スズキはヨーロッパ市場で、ひとつの問題を抱えていた。欧州連合(EU)が2020年から段階的に導入した二酸化炭素(CO2)排出量基準である。乗用車1台あたりのCO2排出量を95g/kmと定め、1g超過するごとに95ユーロ(約1万2000円)の過料を科すという厳しいものだ。CO2の超過量に新車販売台数を掛けて、平均値を算出したうえでメーカーに支払いを命ずる。
加えて、ラインナップ中で車両重量の合計が軽いメーカーに対しては、より厳しい基準のg/kmが適用される。
このルールは、小型車中心のスズキにとって明らかな不利であった。さらに、2019年に発売された欧州仕様「ジムニー」に搭載されるエンジンは1.5リッター自然吸気のみで、そのCO2排出量は178kg/kmに達していた。
これ以上の台数を販売するとブランド全体としてのペナルティーが増してしまうことを危惧したスズキは、欧州で2020年型ジムニーを敢えて完売扱いにしてしまったほどだった。
そうした問題を解決するスズキの切り札として導入されたのが、提携先であるトヨタ車のOEM版である。
第1弾として2020年秋に欧州市場で導入されたのは、トヨタ「RAV4」のOEMであるプラグインハイブリッド車「アクロスAcross」だった。
それに続くかたちで2021年初頭に欧州市場に投入されたのが、今回目撃したスウェイスというわけだ。
ちなみに、イタリアの自動車ウェブサイト「アウトモト・プントイット」は、さっそくそれらを“トヨズキToyoZuki”なるニックネームで括っている。
そこで今回は、これまで筆者がイタリアの地で出会ってきた、海外限定の日本ブランド車についてお話ししよう。

地元販売店によるスズキの屋外広告。スウェイス・ハイブリッドは一番右に、アクロスは右から3番目に、さりげなく入っている。
帰国子女感漂うクルマたち
ところで、かつて東京で少年時代を送っていた頃の筆者は、日産「セドリック」と「グロリア」はもちろん、「ホーミー」と「キャラバン」といった商用車の姉妹車まで見分けられる自分を密かに誇りに思っていた。
しかしイタリアに四半世紀も住むうち、もはや日本の路上には見たことがない姉妹車やOEM車が満ち溢れてしまった。おかげで、かつての自信は完全に喪失してしまった。
それでもヨーロッパの路上で、スズキ・スウェイス・ハイブリッドのように、日本ブランドの海外専用車とすれ違うと、何か感じるものがある。それはちょうど、日本人のようでどこか雰囲気が違う、帰国子女が醸し出すオーラに近いものといってよいかもしれない。
最初は写真のマツダ「121」である。1990年代中盤、スペイン・アルムサフェス工場で生産された4代目「フォード・フィエスタ」の姉妹車だ。
ちなみにフォードのオペレーション下にあったマツダが、121の名称を、時代によりさまざまな形で使い回してきたのが面白い。
順を追って説明すると、最初は1975年2代目「コスモ」レシプロエンジン版の海外仕様に用いている。
しかし1988年からは、マツダが海外で展開するコンパクトカーのモデル名になる。
つまり、まったく車格が違うモデルの名前にしてしまったのである。
具体的には、日本における初代フォード「フェスティバ」の姉妹車であるキア「プライド」にマツダ121の名を冠したのだ。
続いて1991年には、オートザム「レビュー」の海外版に用いたあと、フィエスタのOEM版に使った。
きわめてポピュラーだったフィエスタではなく、敢えてマツダ版を買ったオーナーとは、どのような人だったのか、今も気になる。

フォード・フィエスタをベースに造られたマツダ121。2007年撮影。
マツダ121のリアスタイル。2005年撮影。
次は同じマツダの「Bシリーズ」である。往年における同社製ピックアップ・トラック「プロシード」が日本での販売を終了したあと、モデルチェンジされて生き延びたものと考えていただければよい。
イタリアでは、とくに4×4仕様車が防災機関に納入された実例を目にすることができる。
市民保護局の森林消防隊で活躍するマツダBシリーズ。2007年登録ゆえ、2019年の撮影時点で12年選手である。
こちらは民間のものと思われるBシリーズ。かなり年季が入っている。2021年1月撮影。
日産「キュービスターKubistar」はルノー-日産アライアンスによって誕生した商用車で、初代ルノー「カングー」をベースにしていた。フロントには、Vモーショングリルに到達する以前、日産が展開していたウィンググリルが与えられていた。2008年に同車が2代目に移行するまでフランスで生産された。

シエナ歴史的旧市街に佇んでいた日産キュービスター。2007年撮影。
地道にブランドを支えていた
最後は、数年前までシエナの旧市街によく佇んでいた不思議な1台だ。
フロントグリルには「六連星」が付いているものの、SUBARU感が無い。
「ジャスティG3X」というそれは、スズキのハンガリー工場であるマジャールスズキ社製 2代目「イグニス」のOEM版として、2004年から2008年まで存在したモデルだった。
当時、SUBARUの富士重工業(当時)とスズキが、いずれも米国ゼネラル・モーターズ社のグローバル・ネットワーク下にあったことによる。
新車当時はどのようなクルマだったのか?
今回の執筆を機に、シエナのスバル販売店でサービスフロントを担当している知人に聞いてみた。
すると意外な答えが返ってきた。
「“純粋スバル”でなかったし、品質は本当の日本製からすると、やや古いレベルだった。それでも大きな問題はなかったね」。そしてこう続けた。「それに、よく売れたよ」
ところで近年、ヨーロッパで日本車は、ポピュラーブランドからプレミアムブランドへの転換を図りつつあり、その一部は成功しているといってよい。
マツダは「鼓動デザイン」導入以降、新たなイメージを構築しつつある。価格もレッドオーシャンでの戦いからの脱出を遂げつつある。日本の消費税に相当する付加価値税が22%と高いこともあるが、最も手頃なモデルである「マツダ2」でも18,300ユーロ(約238万円)からである。
日産も、SUV/クロスオーバーが充実したブランドとして定着した。そしてSUBARUも、すでに独自のポジションを獲得している。事実、先ほどのサービスフロントマンが務める会社の経営者は、「かつてのサーブの顧客を、SUBARUが吸収したといっても過言ではない」と証言する。
思い起こせば、ダイハツがヨーロッパから撤退した2013年前後、他の日本ブランドに関しても、欧州展開縮小、もしくは撤退の噂が囁かれた。
そうしたなかでも、アイデンティティの構築を待ちながらブランドを地道に支え、各地の販売店でセールスに貢献したのは他でもない、今回紹介した過去の日本ブランド車たちだった。
彼女たちがなければ、今はなかった。だから路上で出会うたび、筆者は深い敬意を表するのである。

SUBARUジャスティG3X。2016年撮影。

SUBARUジャスティG3Xのベースとなったスズキ・イグニス。2015年撮影。
SUBARUジャスティG3Xは、ゼネラル・モーターズの戦略下で誕生したモデルだった。2016年撮影。