文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA
写真 大矢麻里 Mari OYA/Akio Lorenzo OYA

2024年7月6日、イタリア中部シエナ県で開催された「レジェンダリー・インターナショナルVWミーティング」で。
■イタリアでも熱い!
今回は、イタリアにおける空冷フォルクスワーゲン(VW)ファンたちのお話である。
2025年7月4日から6日、中部トスカーナ州スタッジャ・セネーゼで「レジェンダリー・インターナショナルVWミーティング」が開催された。主催は空冷系VWのファンクラブ「マッジョリーノ友の会」だ。イベントは今回で第39回。彼らによれば、イタリアで最も長く続いているVW系イベントである。Maggiolinoとは昆虫のコフキコガネを指す。英語のbeetle(カブトムシ)とは異なるが、イタリアでは長年にわたってVWビートルの愛称である。主要スポンサーは、イタリアを代表する空冷VWのパーツショップのひとつ「デイ・ケーファーサービス」が務めている。

7月6日午前11時過ぎ、カステッリーナ・イン・キャンティのワイナリー「ラ・クローチェ」に続々と到着した参加車たち。

オリーブ畑の小径を行く1303カブリオレ(手前)。
イタリアとVWのつながりは意外に深い。その販売開始は第二次大戦終戦から6年後の1951年である。友の会のカミッロ・クローチ会長が以前筆者に語ったところによると、当初ビートルをはじめとするVW車は第二次大戦中のドイツに対するネガティヴな印象もあって、即座にヒットとはならなかった。しかしイタリア製大衆車に少し予算を上乗せするだけで、きわめて良好な品質の製品を手に入れられることから、次第に支持するユーザーが増えていった、と振り返る。2025年のイタリアにおける新車登録台数は12万1288台で、ブランド別ではフィアット、トヨタに次ぐ3位である。
ミーティングに参加できるのは空冷系VWとそのバリエーションだが、「T4」「ニュービートル」および「ザ・ビートル」も認められている。

「デューン・バギー」など、さまざまなバリエーションも参加歓迎だ。ウィンドウには「NO DUNE BUGGY NO PARTY」という陽気なモットーが。

往年のオフロード・レースにおける強者「バハ・バグ」も。

ピットストップの場所となったワイナリー「ラ・クローチェ」で。創業3代目のシルヴィオ・ザーリさん。https://lacrocezari.it
主催者によると2025年大会の参加台数は158を記録。イタリア国内だけでなくスウェーデン、ベルギー、ドイツなどからの遠来組もあった。

ドイツから遠来した1956年式ビートル。

往年の感覚溢れるインテリア。おきまりの花瓶もしっかり装着されている。
例年どおりベースとなった町内のスポーツ施設には仮設キャンプ場が設置され、夜にはライブ演奏も行われた。また、郊外へのドライブツアーも土日両日に企画された。日曜日はキャンティ地方のツーリング。昼前の小休止スポットであるキャンティ・クラシコのワイナリー「ラ・クローチェ」で筆者が待っていると、参加車たちは空冷エンジンサウンドを周囲の山々に響かせながら次々と姿を現した。そしてさまざまなオーナーが、愛車とのつながりを熱く語ってくれた。

好コンディションの「T1」キャンパー仕様。

「T2」。

T2のピックアップ仕様。

後席にも乗員かと思いきや…ビートルには、こうしたジョークが似合う。

キャンティのワイナリーを背景に。

トランスポーター・シリーズ史上最後に空冷エンジンが搭載された「T3」。そのウェストファリア製キャンパー仕様である。
■過激チューン派・スパルタン派
デニス・ザノンさんは、息子のアレッシオ君と300km離れた北部の都市ヴィチェンツァからやってきた。
ベースは1970年「1302LS」。ただしエンジンはポルシェ914」用の2リッターを2004ccに拡大・換装したものだ。「44mmキャブレター2基、可変タイミングのカムシャフト、そしてCBパフォーマンス製のコンロッドも装着しています」と説明する。それらのおかげで最高出力は約180馬力に達するという。もちろんイタリアで公道走行のホモロゲーションを取得済だ。
ホイールは専門業者とともに製作したというポルシェ風17インチホイール、ディスクブレーキは、これまたポルシェの944のものという。
アレッシオ君も手慣れた所作でビートルに接している。クルマを通じた父子水入らずの光景が微笑ましかった。「最高速度ははっきり分かりませんが、200〜220km/hになると思われます」とデニスさんは語る。たとえ推定でも夢が見られるクルマは素晴らしい。

デニス・ザノンさんと息子のアレッシオ君、そして彼らの1970年「1302LS」改。

ドアを開けた途端、鮮やかなスパルコ製レーシング・シートが目に飛び込んだ。
次に声をかけたのは、繊維産業で有名なプラトから参加したジェラルドさんである。愛車は「181」だ。第二次世界大戦中のキューベルワーゲンを祖先とし、軍用兼民間用として開発されたコンバーティブルである。
「25年前に買って、すべて自力でリビルトしました。今は完璧な状態です」とジェラルドさんは胸を張る。181の長所は?との質問に、「滅多に故障しないことです!」と力強く答えた。
3.5リッターV8エンジン搭載の1980年レンジローバーとの2台持ち。質実剛健なクルマが大好きと自認する。

ジェラルドさんと181。
■モーターショーでは味わえない“温度”
その場で唯一だった「カルマン・ギア」のオーナーは、ローマ在住のマッシモ・ファラスカさんである。「1963年式です。空気力学的にビートルより優れているおかげで、最高速度は約120km/hに達し、走行安定性も良好です」と美点を語る。唯一の欠点は、旅の際に荷物スペースが小さいことと指摘する。
なぜVWに関心を抱いたのか?との質問にマッシモさんは「祖父がローマでガレージを営んでいて、VWはいつも身近な存在でした」と答える。さらに「兄がヴォルフスブルクのVW本社でデザイナーを務めていましたから」と説明してくれた。ちなみに兄の名前はロベルト・ファラスカ氏。VWに10年在籍したあとフランスのニースにあるトヨタのデザイン拠点ED2に移籍。シニア・デザイナーとして初代「C-HR」の開発に携わっている。
マッシモさんは語る。「このカルマン・ギアは5年ほど前にヴェローナで発見しました。購入を決心したきっかけは、むかし祖父が働いていたガレージにあったクルマであることが偶然にも判明したためでした。引き取りは兄と一緒に行きました」
目下マッシモさんの宿題は、トランスポーター・ファン垂涎の的である23枚窓の「T1サンバ・バス」のレストアだ。

マッシモさん(左) とエプティサムさん(右)の1963年カルマン・ギア。
いっぽうステファノさんは近隣の町ポッジボンシから仲間とともに参加した。6ボルト仕様の1968年ビートルだ。イタリアにおける結婚式用車の飾りつけが施されているので、どこかに新婚カップルがいるのか?と聞くと、「いやいや。去年友達の結婚式に貸し出して以来、そのままにしておいたんだ」と事情を説明してくれた。
愛車のニックネームは“ダンテ”という。イタリアを代表する詩人ダンテ・アリギエーリにちなんだかと思いきや、祖父の名前だという。「彼がこれと同じ車を大切にしていたんだ」。10年前インターネットで同型車が隣町フィレンツェで売り出されているのを発見。「わずか15分で購入を決めたよ!」と振り返る。
「夏は車内がちょっと暑いけど」とステファノさんは正直に明かすが、前述の181オーナー、ジェラルドさん同様「とても頑丈だ。立ち往生とは無縁だね」と語る。

ステファノさん(右)は仲間のルカさん&ディミトリさんと参加。リボンは結婚式に貸し出したときのもの。
渾身のチューンアップ、レストアの成果、家族の思い出。どのクルマにも、モーターショーでは味わえない人のぬくもりが宿っていた。その週末集まったビートルたちは、ただのヒストリックカーではなく、「物語を乗せて走るタイムカプセル」だったのだ。2026年、イベントは第40回の節目を迎える。ふたたび、どのようなパッションを抱いたファンと出会えるのか、今から楽しみである。

最後尾は友の会で副会長を務めるアルベルトさんの愛車。リアウィンドウには「古いVWは不死身です」の文字が。