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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYABMW

 

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マルチェッロ・ガンディーニ回顧展で。「ベルトーネBMWガーミッシュ(中央)」。2024年5月26日コモで撮影。

 

2024年3月に85歳で死去したイタリアのカーデザイナー、マルチェッロ・ガンディーニを回顧する車両展示が526日、イタリア北部コモ湖畔で催された。

コンクール・デレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の一般公開日に行われたもので、彼がベルトーネのチーフデザイナー時代に手掛けたものと、独立後に参画したものの計12台が集められた。最も古いモデルは1970年「ランボルギーニ・ミウラP400」で、最も新しいモデルは1999年同「ディアブロGT」だった。

 

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マルチェッロ・ガンディー二回顧展は、「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の一般公開会場であるヴィラ・エルバを舞台に行われた。個人オーナー、メーカーそして団体が所有する計12台が集められた。

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マルチェッロ・ガンディーニ(1938-2024) photoBMW

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1971年「アルファ・ロメオ・モントリオール」

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1975年「ランチア・ストラトスHF」グループ4仕様

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「マセラティ・カムシン」。マセラティがシトロエン傘下にあった時代に開発された。

 

■「消えたコンセプトカー」の復刻も

そのいっぽうで、一般の人々からあまり知らないガンディーニ作品もディスプレイされた。

1台は「イソ・リヴォルタ・レーレ」である。イソ社の創業者レンツォ・リヴォルタの息子ピエトロ・リヴォルタ時代に企画されたモデルで、米国市場を意識した快適なグラン・トゥリズモだった。

ベースは先代モデルのイソ・リヴォルタ「IR300/340」で、V8気筒エンジンは当初シボレー製が、のちにフォード製が用いられた。Leleとはピエトロ・リヴォルタの夫人ラケーレの愛称だった。1969年ニューヨーク・ショーで発表された。

デザインは同じくガンディーニの手によるランボルギーニ「ハラマ」に似た22で、極めてルーミーな内装を実現していた。しかし、石油危機によるグラン・トゥリズモ市場の急激な縮小に耐えられず1974年、イソ自体が経営の継続を断念。レーレは、あのイセッタから始まったブランドの、有終の美を飾ったモデルとなった。

 

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「イソ・リヴォルタ・レーレ」。同じくガンディーニがデザインしたランボルギーニ・ハラマと比較すると、全長は165mm長く、全幅は70mm狭い。


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イソ・リヴォルタ・レーレ()と、1989年「ランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリー」

 

次なる1台は「BMWガーミッシュ」である。ベルトーネの社主ヌッチオ・ベルトーネは、1962年「3200CS」で始まったBMWとのさらなるコラボレーションを模索。「20002Tii」を基にしたコンセプトカーをガンディーニに命じた。車名はBMWの本社所在地と同じバイエルン州にあるスキーリゾート、ガーミッシュ=バルテンキルヒェンにちなんだものだった。ネーミング自体がBMWへの熱烈なラブコールだったのである。

ガーミッシュはツーリングカーレースの勇者でもあったベース車と対照的に、優雅なムードが溢れる2ドアクーペであった。1970年のジュネーブ・ショーでデビュー。ショー閉幕後はBMW本社に運ばれた。ところが同社の説明によれば、そこで行方不明になってしまった。

今回展示されたのは、BMWグループデザインを率いるエイドリアン・ファン・ホーイドンクが、
2019年にガンディーニ本人の監修を得て再現したものだ。そのお披露目以来初めてヴィラ・デステに帰ってきた。

 

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2019年にBMWの手で再現された1970年のコンセプトカー「ベルトーネBMWガーミッシュ」()

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ベルトーネBMWガーミッシュ

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後部のハニカム状ルーバーは、3Dプリンターを駆使して再現された。

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ガンディーニ()とエイドリアン・ファン・ホーイドンク()photoBMW

 

■天才デザイナーの、別なる功績

「シトロエンGSカマルグ」も興味深い。ヌッチオ・ベルトーネは、BMWへのアプローチと同様にシトロエンとの協業も探った。そこでガンディーニは生産型シトロエンGSをベースに、部下のマルク・デュシャンとともに、琥珀色の広いグラスエリアを備えた前衛的なクーペを製作。1972年ジュネーブ・モーターショーに展示した。これがシトロエンGSカマルグであった。ハイドロ・ニューマティックサスペンションをはじめとするオリジナルがもつ先進的機構にふさわしい雰囲気を湛えていた。

 

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1972年「ベルトーネ・シトロエンGSカマルグ」

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小型車シトロエンGSをベースにしていた。

 

GSカマルグの結果には2つの説が存在する。第一は、後述するASIによるもので、シトロエンが1974年にプジョー傘下となったことで、ベルトーネの目論見は未完に終わったというものだ。第二は今日シトロエンが説明するように、1982BXから始まり、XM、エグザンティアと続いたベルトーネ・デザイン系量産モデル誕生のきっかけとなった、と見る説である。

 

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1994年「シトロエンBX19GTI 16V」。筆者の感想としては、よりガンディーニのデザイン意図がわかる初期型をフィーチャーしてほしかった。

 

それはともかく、このGSカマルグもBMWガーミッシュとは違った意味で、特異な経緯をたどった。ジュネーブ展示後、長年同車は当時トリノ郊外カプリエにあったベルトーネの社内ミュージアムに保管されていた。
しかし2008年、同社は破産。会社を買い戻すことを意図したヌッチオの未亡人リッリ・ベルトーネは2011年、まずはコレクション中の6台をRMサザビースのオークションで売却した。

いっぽうで残りの79台については、かつてコレクション自体が文化財指定されていたこともあり、イタリア文化財保護省による「国内保存かつ分売不可」という条件を守らなければならなかった。最終的に20159月、イタリア古典車協会(ASI)が一括で落札。その中の1台がこのGSカマルグだった。

GSカマルグは他の車両とともに20187月、ASIの手配によって、ミラノ・マルペンサ空港近くのヴォランディア航空科学博物館に収められた。しかし、元航空機工場棟を改造した展示館は古く、カマルグの魅力を引き出すには十分とはいえなかった。

その後ようやくGSカマルグは、2019年にパリのレトロモビル・ショーにおけるシトロエン100周年記念展示の際、博物館の外に出た。いっぽう今回は陽光の下で鑑賞できる珍しい機会となった。

ガンディーニを語るとき、とかくランボルギーニ「カウンタック」や「ランチア・ストラトス」といった華やかなマスターピースが話題にのぼる。しかし、彼が小さなブランドを世に知らしめるため、また企業としてのベルトーネの顧客リストをより拡張するためにデザインしたモデルもあった。そうした業績を世に知らしめるため、彼の隠れた名作にこれからもスポットが当てられてほしいと切に願う筆者である。


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GSカマルグは現在、イタリア古典車協会が所有している。


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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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