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 イタリア自動車雑貨店公認ログ

太田氏が書くエッセイ「FromItaly」のログをこちらに残して行きます。

お楽しみに!
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54


  外国のクルマに乗るということはその国の文化の一端に触れることである。なんちゃって大上段に振りかぶって偉そうに始めたけれど、なにもそんなに大げさなことではない。文化などという曖昧な概念を持ってこなくてもいい。つまりクルマはその出自たる国のある部分を鮮やかに表出する工業製品に違いない、ということだ。フェラーリとポルシェを並べて、たとえば両方の内装をばらしてみればよくわかる。ちょっと前までのフェラーリは、ドアの内張りの中からワイングラス片手に、ナポリあたりの陽気なシニョールがひょっこり出てきそうな出来映えだったし、一方ポルシェはちっぽけなパーツひとつにもMADE IN GERMANYの刻印が眉間の皺みたいに、でもどこか誇らしげにそこにある。
 イタ雑にあった古いパンダなんて、ルーフの内張りを剥がしたら、ルーフ裏に電気配線が梱包テープで適当に留められていて、しかもそのテープには57x7+12みたいな算数の計算式がマジックで走り書きされていた。何の計算じゃい、これは? 確か答えは書かれていなかったと思う。まあ、とにかく、ことほどさように、僕らが直観的に、そして類型的に捉える「イタリア」満載でパンダは日本にやって来ていたのだった。そして、こういう経験をひとつふたつと重ねていけば、当然のように興味がわく。行ってみたくなる。どこに? いや、それは……、もちろんイタリアです。ということで、実際にはるばるイタリアまで足を運んだイタ雑のお客様もたくさんいる。愛憎相半ばするイタ車の故郷はどうなっているのか?の旅である。
 
 イタ車の今を知りたいなら、昨年リニューアルオープンした『トリノ自動車博物館』に行けば手っ取り早い。リニューアル前に比べて劇的に良くなった。どれほど良いかといえば、イタリア人がこれをやったとはにわかに信じられないほどに良いのである。あとは、イタリア(製品)の常で、最初は良くてその後どんどんテキトーになる、クルマでいえば後期型より初期型、という法則が適用されないことを祈るばかりだ。とにかく、新しい『トリノ自動車博物館』はいい。展示に情感溢れるストーリーがあって、古いクルマから新しいクルマを辿る順路にしたがって進んでいくと、「そうかぁ、こういう時代だったんだ」と感慨を覚えること間違いない。フォーミュラカーの展示を前にすれば「イタ車ってやっぱり凄いなぁ」とも思うはずだ。僕などこの博物館に何度か足を運んだけど、一度たりとも梱包テープや計算式のことは思い出さなかった。それはともかく、そこで僕がいちばん感動したのは地図なのである。これを見て今現在と比べてみれば、イタ車の故郷の現状が手に取るようにわかる。
 
 その地図は博物館のひとつのコーナーの床一面、下からバックライトで照らし出されて展開されている。その上を歩いて足元の地図を眺めていく仕掛けだ。航空写真から起こしたその古いトリノの地図には、FIATやLANCIAやABARTHはもちろん、ちっぽけなカロッツェリアまで、かつてトリノにあった自動車関連の施設がすべて網羅されている。CONREROもALEMANOもある。初めて目にするようなカロッツェリアの名もある。とにかくトリノという大きな街のいたるところが「自動車」なのである。そしてそのほとんど、おそらく90%以上の施設が今はもう存在しない。そういう現実を博物館の大きな地図が教えてくれる。イタ雑のお客さんならその場で愕然とするだろう。イタ車の故郷を辿り歩くセンチメンタルな旅人なら、「今」を嘆き悲嘆の涙で視界をちょっぴり曇らせるかもしれない。イタリア人の手になるものとは思えないほどに緻密で整然とした博物館の展示は、皮肉なことに今現在のイタリア自動車産業の窮状を、新聞のどんな経済記事よりも的確に僕らに伝えてくるのである。
 
 だが、しかし、と僕はまだここで逆説の接続詞を選択したい。そしてアメリカ映画『草原の輝き』(エリア・カザン監督)の一シーンを思い出そう。主演のナタリー・ウッド扮する女学生が、教室で教師から指名されワーズワースの詩を朗読する。その一節。
 
草が輝き 花が香る

あの時代が再び戻ってくることはない

でも嘆くのはよそう

残されたものの中に、生きる力を見つけよう
 
どっこいまだ生きてますぜ、と言わんばかりのクルマが、イタリアからきっと出てくるはずだ。それは豪華、流麗なサルーンでなくても、パワーウォーズへの参戦を目指すスポーツカーでなくても、そんなもんじゃなくったって全然OKなのだ。いつか人生の第3コーナー辺りでホロッとしてしまうような、そして、生きてることもそうそう悪いもんじゃないと思わせてくれるような、そんなクルマを創れるのは馬鹿みたいに情の深いイタリア人だけだと、僕はイタ雑を始めた時とおんなじ気持でまだ信じている。
 
イタリア自動車雑貨店 太田一義




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2


  ファビオは時間厳守の青年である。彼のエピソードは前にも書いた。7時に家に来て、と言えば、その5分前には玄関先に現れ、7時になる瞬間をそこで待っている。そして時間ピッタリにチャイムを鳴らす。一般的には自閉症に分類される行動様式を確かにいくつか持っているけれど、これは彼の個性である。コンピュータを友として21年間の大半を自室で過ごしてきたこの青年を、太陽の下に引っ張り出してきたのは、幼馴染み同い年のジョルジョだ。今では復活祭の食事会なんかにもファビオは来られるようになった。ワインでいい機嫌になった近所のおじさんたちから話しかけられると、気を付けみたいな直立不動で、ちょっとぎこちない笑顔を頬に貼りつけて受け答えしている。そんな様子にジョルジョが少し離れたところからチラッと目をやる。
 ジョルジョは大学で栄養学を専攻、「食」を学んでいる。今年卒業だ。大きくなったね。初めて会った時はまだ小学校に上がる前だった。今、こうしてファビオを思いやるジョルジョもいろんなことを経験してきた。10年ほど前、婚約中の姉のシモーナが筋無力症を発症した。心配のあまり一晩で髪が真っ白になってしまった父親のジュゼッペ。病院に泊まり込み、献身的に看病にあたった婚約者のルカ。長い入院生活を経て、シモーナに後遺症は残ったけれど、ルカは何一つ変わることなく、ふたりは病気を乗り越えて結婚した。まだ少年だったジョルジョが、そこで胸に刻みこんだことがあるのかないのか、そんなことは僕にはわからない。ただ、誰もが多かれ少なかれ心や身体にハンディキャップを抱え生きているということ、ジョルジョはパン屋への道筋にさえ無数にころがっていそうなそんな小石を、涙が出そうなほど美しく橙色に染まったいつかの夕焼けの空の下、見つけたのかもしれない。
 
 最近は欧州危機の渦中でイタリア経済が低調、しかも増税の追い討ちもあって、なんとなくイタリア人がすべてに投げやりになっているように見えることがある。いや、実際にそうなのだ。イタ雑関連の取引の上でも、数量やカラー、そして価格の間違いが頻発している。梱包が雑になったのも目に余る。そんなこんなで僕の中に巣食う「イタリア人なんて!」モードも全開で、坊主憎けりゃ袈裟まで……状態が続いている。話は逸れるけど、1ユーロ/110円前後の円高の今でさえ、アウトストラーダのサービスエリアで給油すると、リッター200円を超える。ガソリン価格が高騰すると、他の製品の価格や輸送費なども確実に上がる。タッケーなあ、とブツブツ言いながら暮らしている。
 
 そんなイライラが募る中でも、ファビオやジョルジョの姿を目にすると束の間ホンワカとした気持になれる。なんていうのだろうか、例えばジョルジョのファビオに対する距離の取り方なんてほんとに絶妙だ。始終連絡を取り合うわけでもなく、会ったところでベタベタとくっついているわけでもない。それでも見て見ぬふりの素知らぬ優しさはまぎれもなく友達のそれだ。パソコンでトラぶったジョルジョが電話をすると、ファビオはいそいそとやって来る。そして今日も約束した時間ピッタリになるのを玄関の前で待って、そこでおもむろに正しい姿勢でチャイムを鳴らす。いいぞ、ファビオ。頑張れ。
 
 人には誰も、抱えて歩いて行かなければならない荷物がある。捉えどころのない孤独でさえ大きな荷物だ。空身で何の屈託もなく、なんていうのはあり得ない話だろう。それをお互いが了解し、そこにささやかな想像力が働きさえすれば、関係を繋ぐものは速射砲のように繰り出される電子メールでもなく、そこに踊るストックワードの羅列ってことでもないだろう。繋がるっていうのはそんなことじゃない。長針が文字盤の12の位置に重なる時に、時々ファビオを思い出せること、こっちの方がずっといい。
 
イタリア自動車雑貨店 太田一義




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  アイスクリーム屋でバニラだけを持ち帰りで750グラム。溶けちゃうから早く家に帰らなくちゃ。店を出ると制服姿の男が近づいて来て、藪から棒に言った。「今買ったもの、レシートはあるか?」財務警察官だった。いわゆる普通の警察官とは違って、イタリアでは主に経済関連の犯罪を担当する。制服もパトカーも普通の警察のものとは違う。何年か前に一度、クルマを止められ、積んでいた荷物をすべて路上に広げられて検閲を受けたことがある。密輸だの薬物だのに関連して、外国人に対してはことさら厳しい。でも今日はアイスクリームだ。ポケットにも怪しいものはニエンテだ。
 
 750グラムのバニラと一緒にさっき手提げ袋に入れられたレシートを財務警察官に見せた。13.90ユーロ。彼はレシートにさっと目を走らせて「オーケー」と言って、ゆっくりと僕から離れていった。やれやれである。これが2012年のイタリアの生の現実だ。アイスクリーム屋の客がレシートを持っているかどうかをチェックするのは、巨額の赤字財政に苦しむ政府が、商店主による脱税に網を掛けようとする国家政策の最前線なのだ。もしあのアイスクリーム屋の親父がレシートを出していなかったなら、翌日には財務警察の抜き打ち調査を受ける。売上除外、それによる脱税。イタリア政府、税収欲しさに総動員態勢である。
 
 この前、ナポリで財務警察による一斉調査があったんだよ。知り合いのベッペさんは何か愉快なことでも話すような口調で言った。そしたらね、調査した店の90%がきちんとレジを打ってない。まったくフィレンツェから南なんてロクなもんじゃないよ。そう言って笑っていた。僕も笑った。僕は既にこんな話を聞いて心底驚くような柔らかな心根を失っている。イタリアなんていい加減の集合体だとさえ思っている。1ユーロが170円を超えてイタリア人が妙に自信満々だった数年前でさえ、こんなテキトーな国の通貨の前に日本円がひれ伏している状況がどうしても納得いかなかった。北イタリアの人々は、南イタリアなんてアフリカと一緒になれと極論を言い放っているけれど、それじゃあアフリカ大陸の国々に失礼というもんだろう。僕の実感としては北も南も五十歩百歩である。レシートチェックはヨーロッパの先進国と言われる国の一つで、今実際に行われている施策なのだ。
 
 こういうことを言い始めると必ず出てくるのは、民族だの文化だの宗教だの、そういう共同体としてのドラスティックな差異にすべてまとめて収斂する論調である。確かにラテン民族とはそういうものだと言ってしまえばそれでなんとなく納得してしまう。だけど、はたしてそうだろうか。僕はそれ以上に「教育」の力が大きいと、ここトリノでの日常生活の折々に感じている。彼らが並ばないのは何故か、落とした財布がまず100%戻ってこないのは何故か、狭い歩道で横いっぱいに広がっておしゃべりに興じているのは何故か、犬の糞と紙くずがそこかしこに点在する街の風景は何故か、雪の日に家の周りの道路の雪かきを誰一人としてやらないのは何故か。大義名分としての耳ざわりの良いヒューマニズムに寄りかかっているのは、ちょっと乱暴かもしれないけど、自分さえ良ければいいという醜悪な無数の個人主義である。その個人主義が今日も陽気に笑っている。
 
 教育は学校だけの問題ではない。子供の頃、母親からうんざりするほど言われたものだ。明日着るものを枕元に置け。食事の前に手を洗え。外から帰って来たら風呂場で足を洗え、と。ここトリノでの生活で、イタリア人の知り合いが食事の前に手を洗っているのを見たことがない。家でもレストランでも見たことがない。ウェットティッシュも見たことがない。箸を使うわけでもなく、手でじかにパンをつかんで食べるのに。こういうのはラテン民族云々とは全く関係がないだろう。教育とか躾とかそういう座標軸での話だ。収入を正直に申告する背景には、納税が国民の義務だというお題目の前に、正直であるということの尊さを説く教育が不可欠だ。僕はそう思うけど、これは一片の綺麗事に過ぎないだろうか。
 
 イタリア自動車雑貨店の開店前から数えて、イタリアという国と関わりを持って18年になる。何のツテもなく、一人の知り合いもなくやって来た一人の日本人を、イタリアの人々はほんとうに良くしてくれた。イタリア自動車雑貨店を盛りたててくれたのは、まぎれもなくトリノやマラネッロの人々である。日本で同種の店がフォロワーとしてイタ雑を追ってきても、僕らだけのイタリアがイタ雑の背後にあることをささやかな誇りとして、ランニングシューズのストラップをギュッと締め直してきた。イタリア自動車雑貨店は常にイタリアにいた。でも、と僕は今思うのだ。苦境に喘ぎ、シーンと静まり返ったピニンファリーナの社屋の前に立ち、でも、と僕は思うのだ。このままでいいのか、イタリア。当たり前のことを愚直に練り直して進んできたVWの足音が、その確かな一歩一歩の足取りが、もう間近に聞こえてくるよ。
 
イタリア自動車雑貨店 太田一義




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2


 久し振りにクルマで箱根を目指した。夜明け直後の早朝、自宅から首都高用賀インター、そこから東名を使って厚木に向かう。途中、海老名サービスエリアでカレーパンとクリームパンという我ながら妙な取り合わせの朝食を摂った。子供のころから大好物なのだ。両方とも美味しかったけど、それにしてもサービスエリアがあまりにも美しくなったことにはビックリした。今ってこんななんだ。高速のサービスエリアなんて何年振りだろうか。

 厚木からは小田原厚木道路を行く。かつて自動車雑誌『NAVI』在職時代、ここでは頻繁に覆面パトカーと遭遇したものだ。超安全運転のトヨタプレミオの後ろで自制する。飛ばさなくたって運転が楽しいと思えるようになったのはやっぱり年のせいか。いや、運転が本当に楽しい。重いクラッチ、硬いギアシフト、そして狭い車内に満ちるエンジン音やギアノイズ、そのそれぞれが自動車を操る原初的な歓びを再確認させてくれる。6段マニュアルミッションなんてもはや前世紀の遺物みたいなものかもしれないけど、今日連れ出してきた僕のとっておきの秘密兵器にはこれが似合う。

 ウェブでチェックしてきた芦ノ湖近くのレストランで早めの昼食、そして渋滞を避けるためにすぐに東京に戻る、というのがその日の計画だった。早朝出発の甲斐あって、予想した通り午前8時前には芦ノ湖に到着してしまった。そのまま仙石原方面、そしてさらに山中湖を目指すことにした。ワインディングではリアがブレークするのが怖くて、自分の腕ではそこそこのペースに抑えざるをえなかったけど、それでもインにスパッと切れ込んでいくコーナリングマナーには胸のすく思いがした。運転が楽しい。ハンドルを握りながら、クルマっていいなぁとつくづく思う。

 そう、僕にはクルマのない生活なんて考えられない。今よりもうちょっと元気だった頃、真夜中近くに終わるイタ雑の仕事帰りに、小遣いを削って借りた納屋みたいなボロガレージに閉じこもってひとり、ただそこにあるクルマを眺めていたことがよくあった。運転しなくてもクルマは楽しいものなのだ。眺めて、ちょっと触って、磨いて、洗って、あそこをこうしてああしてと夢想して、そしてまたただぼんやり眺めてと、クルマが傍にある生活というのはこんなにも楽しい。ダメなクルマに少しずつ手を入れて、それを自分が思う完璧な状態に仕上げていく過程の、その時間のなんと幸せなことだろう。

 ハイブリットのクルマや電気自動車がマーケットシェアを広げ、そこにはまた別の自動車趣味みたいなものが生まれるのかもしれないけど、僕はまだ当分この原初的な歓びに満ちた旧世代のクルマとの生活に、それにピリオドを打つことは出来そうもない。何と格闘するのを想定して作られたのかはわからないけれど、まあとりあえずは「戦うクルマ」と称されるやる気満々の1台、我がラストサムライに慰撫される日々はまだもう少し続いていきそうだ。そうそう、山中湖から戻って入った芦ノ湖畔のレストランで食べたピザ、いつもトリノで食べてるのと結構近くて望外に美味しかった。ただしエスプレッソは、ちょっと雑味ありかなで70点。でもGOODでした。ごちそうさま。

 

イタリア自動車雑貨店 太田一義
 





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45


   東京都内のとある大学病院の正面玄関は午前5時に開く。僕が外来でそこを訪れる時は、いつも午前5時40分頃に到着するのだが、その時には既に数人の先客がいる。どこから何時にやって来るのだろうか。顔ぶれはいつも同じだ。仕切り役のような50代後半とおぼしき女性が、中高年の男性患者に向かって大きな声で教訓じみた話をしているのもいつものことだ。
 
 5時55分に警備員の初老の男が受付札を持ってやって来る。この受付札は『再来機』を呼ばれる受診受付機の前に並ぶ順番を明確にするためのもので、当然その日大学病院の待合室に最初にやって来た人間が一番の札をもらう。先客の数人がトップグループでその次が僕ということになる。その5時55分にはおよそ20名前後の患者が広い待合室に点在しているのだが、ここで心配になるのは受付札をもらう順番を各自が正確に覚えているのかということである。自分が誰の次かなんて、はじめのうちに来た人ならともかく、先に来ている患者が多くなればもうわかりようがない。
 
 だが、これが大丈夫なのである。例の仕切り役のおばさんがここで登場するのだ。誰の後ろに並べばいいのかと右往左往している集団に向かって、「あなたはこの人の次。そしてあなたは……6番よ」とテキパキと指示を飛ばす。誰も彼女の指示に異議を唱えることもなく、すぐに美しい一列の行列が出来上がる。そう、彼女は広い待合室に入ってきた人間を逐一記憶しているのだ。しょぼくれた中高年の男たちを前に教訓を垂れながら、目はしっかりと人の出入りを捕捉している。恐るべし、である。ちなみに一番札を貰うのは当然いつも彼女だ。
 
 この受付札を手にしてしまえば、7時に『再来機』が稼働を開始するまではフリータイムである。最初に待合室にいた集団に受付札を渡すと、警備員は残りの受付札を演台のような小さな机の上に置いて本来の業務に戻っていく。それ以降待合室にやってくる人は自分でそれを取っていって下さい、という仕組みだ。原始的だけど仕切り役がしっかりしているのでとても円滑に回るシステムなのだ。でも、そもそも、午前5時から病院にやって来るというのは、いや、来なければならないのはちょっと尋常ではない。診察開始は一番早い診療科でも午前8時からなのだ。
 
 その理由は「検査」である。それも午前8時に始まる血液検査の受診がこの早朝バトルのそもそもの原因なのだ。その日、医師の診察を受ける前に血液検査が指定されていると、それをまず最初に済ませておかなければならない。その結果をもとにその日の診療が行われるからだ。7時に『再来機』が動きだす。受付札を『再来機』の脇に立つ係員に渡して、診察券を『再来機』につっこむとその日の受診票が出力されてくる。今度はそれを持って4階の血液検査室に向かって患者たちが殺到するのだ。血液検査の順番が早ければ、医師の診察が予約時間より遅くなることもないからだ。
 
 やれやれである。みなとても病人とは思えないほどに朝から元気だ。病気なのに元気なのだ。でも、この早朝の運動会のようなハレの時間が過ぎてしまうと、病院に満ちるテンションは目に見えて下がっていく。患者たちは自分の抱える病とそれぞれ向き合い、他者との関係性を断った時間の中に没入していくのだ。血液検査によって示される数値を想像して怯え、医師の口をついて出るかもしれない言葉を打ち消しては一瞬の安堵に浸る。診療科の待合室の静けさの内には、果てることのない患者たちの声なき呟きが渦巻いているように僕には思えるのだ。
 
 そんなことをぼんやり考えていると、今日もまたあの二人を見た。車椅子の上で威張りくさっている男と、その車椅子を押している同年輩の男。老人と呼ぶにはまだ少し早いこの二人、実は友人同士なのだ。車椅子の男が口うるさくあれこれ指示するのを、押している男はニコニコしながら頷きつつ聞いている。妻や家族の誰かと病院にやって来るのではなく友達と来る。鳥の鳴き声の録音が二人の趣味だということも、車椅子の男の大声のおかげで僕も知ることができた。レコーダーが壊れたと言う車椅子に、オレんところに使ってないのが1台あるよ、と押し役が優しく静かに答えていた。病院が見せてくれた友情である。
 
イタリア自動車雑貨店 太田一義




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