東京都内のとある大学病院の正面玄関は午前5時に開く。僕が外来でそこを訪れる時は、いつも午前5時40分頃に到着するのだが、その時には既に数人の先客がいる。どこから何時にやって来るのだろうか。顔ぶれはいつも同じだ。仕切り役のような50代後半とおぼしき女性が、中高年の男性患者に向かって大きな声で教訓じみた話をしているのもいつものことだ。
5時55分に警備員の初老の男が受付札を持ってやって来る。この受付札は『再来機』を呼ばれる受診受付機の前に並ぶ順番を明確にするためのもので、当然その日大学病院の待合室に最初にやって来た人間が一番の札をもらう。先客の数人がトップグループでその次が僕ということになる。その5時55分にはおよそ20名前後の患者が広い待合室に点在しているのだが、ここで心配になるのは受付札をもらう順番を各自が正確に覚えているのかということである。自分が誰の次かなんて、はじめのうちに来た人ならともかく、先に来ている患者が多くなればもうわかりようがない。
だが、これが大丈夫なのである。例の仕切り役のおばさんがここで登場するのだ。誰の後ろに並べばいいのかと右往左往している集団に向かって、「あなたはこの人の次。そしてあなたは……6番よ」とテキパキと指示を飛ばす。誰も彼女の指示に異議を唱えることもなく、すぐに美しい一列の行列が出来上がる。そう、彼女は広い待合室に入ってきた人間を逐一記憶しているのだ。しょぼくれた中高年の男たちを前に教訓を垂れながら、目はしっかりと人の出入りを捕捉している。恐るべし、である。ちなみに一番札を貰うのは当然いつも彼女だ。
この受付札を手にしてしまえば、7時に『再来機』が稼働を開始するまではフリータイムである。最初に待合室にいた集団に受付札を渡すと、警備員は残りの受付札を演台のような小さな机の上に置いて本来の業務に戻っていく。それ以降待合室にやってくる人は自分でそれを取っていって下さい、という仕組みだ。原始的だけど仕切り役がしっかりしているのでとても円滑に回るシステムなのだ。でも、そもそも、午前5時から病院にやって来るというのは、いや、来なければならないのはちょっと尋常ではない。診察開始は一番早い診療科でも午前8時からなのだ。
その理由は「検査」である。それも午前8時に始まる血液検査の受診がこの早朝バトルのそもそもの原因なのだ。その日、医師の診察を受ける前に血液検査が指定されていると、それをまず最初に済ませておかなければならない。その結果をもとにその日の診療が行われるからだ。7時に『再来機』が動きだす。受付札を『再来機』の脇に立つ係員に渡して、診察券を『再来機』につっこむとその日の受診票が出力されてくる。今度はそれを持って4階の血液検査室に向かって患者たちが殺到するのだ。血液検査の順番が早ければ、医師の診察が予約時間より遅くなることもないからだ。
やれやれである。みなとても病人とは思えないほどに朝から元気だ。病気なのに元気なのだ。でも、この早朝の運動会のようなハレの時間が過ぎてしまうと、病院に満ちるテンションは目に見えて下がっていく。患者たちは自分の抱える病とそれぞれ向き合い、他者との関係性を断った時間の中に没入していくのだ。血液検査によって示される数値を想像して怯え、医師の口をついて出るかもしれない言葉を打ち消しては一瞬の安堵に浸る。診療科の待合室の静けさの内には、果てることのない患者たちの声なき呟きが渦巻いているように僕には思えるのだ。
そんなことをぼんやり考えていると、今日もまたあの二人を見た。車椅子の上で威張りくさっている男と、その車椅子を押している同年輩の男。老人と呼ぶにはまだ少し早いこの二人、実は友人同士なのだ。車椅子の男が口うるさくあれこれ指示するのを、押している男はニコニコしながら頷きつつ聞いている。妻や家族の誰かと病院にやって来るのではなく友達と来る。鳥の鳴き声の録音が二人の趣味だということも、車椅子の男の大声のおかげで僕も知ることができた。レコーダーが壊れたと言う車椅子に、オレんところに使ってないのが1台あるよ、と押し役が優しく静かに答えていた。病院が見せてくれた友情である。
イタリア自動車雑貨店 太田一義