今日は車の話じゃないよ(笑)いつも「とりてつ」で呑む上司、このGWに東京から車で九州へ旅行しに行った。旅行好きとはいえ、それだけでかなりのタフ。あんまりマネできない(笑)その方から携帯にライトアップの画像が届いた。
携帯の画像なのでちっこいけど・・・この写真は長崎のグラバー邸なのです。実は思い出があって、人生を過ったかもとと思う経験をした。実はグラバー邸の改装工事にともなってライトアップされたのが・・・今から何年前だろう。僕がまだ高校生だったような気がする。このグラバー邸のライトアップの仕事を実は父上・・・ごほん・・・親父がしていたのだ。グラバー邸の半分は、某有名女性ライトアップデザイナーのネームバリューで奪われてしまったが。そもそもネームバリューのないうちがこんな仕事がやってくるなんて思っても無かったけど。うちは、元々電気工事屋。図面をおこして施工するのがお仕事だった。そこにデザイン要素の仕事は普通は転がってこない。大抵は建築設計屋の仕事だ。まぁ電気屋の息子だったこともあり、図面はあらかたは描けるってことで親父の手伝いをしていた。親父は長崎と家の往復が多く、現場の写真を撮ってはどーしようかと悩んでそれを図化する。ライトアップ用の機器の選定も結構面白い。製品の仕様書を見て光の拡散図やら配光を数字から頭の中で3D化する。もちろんモックアップといって照らし方を試したりもするんだけど、全種類なんて出来ないから特色傾向をつかみながらやっていく。ライトも球のメーカーで同じ仕様でも色温度が違ったりするから奥が深い。音の世界に似ているものがあるかな?もって帰ってくる写真を見ながら、意見を出し合ったりもした。実は親父と同じ電機業界に居た頃、一緒に仕事をしたことが無く、このグラバー邸の仕事がユウイツの合作というか、お手伝いした仕事。(今はどちらも電気の世界から足を洗っている)そして長崎市に提出する図面は、その当時まだCADなんて大そうな物は流行っていなかったので手書きの図面なんだけど、そう・・・実は高校生が書いた図面が正式図面で収められているという(笑)手伝ったのは書体(文字)と1/3程の電気配線図面だけどね。今みたら多分下手だなって思うんだろうな(笑)図面とか絵を書く人なら判るだろうけど、平面に書いているものが立体で見えるようになるのね。建物の図面も平面なんだけど、そこに高さの情報があって、それを読み取っていくと立体になる。これが想像出来るようになると一人前とその当時思ったけど、ライトアップは正直・・・難しすぎた(^^;電気の仕事は中学校時代からこっそりとバイトして覚えて行ったんだけど、何が楽しいって作品(建築物)が残るから楽しい。配線は見えなくても、見えるものが残るのは楽しい。踏み込んだ世界がたまたま電気だったのでこういう形になったが建築家もすこし夢見ていた時もあった(笑)でも今思うとライトアップが好きだったんだよね。ただ、デザインだけって言うか表面だけの満足はイヤだった。構造を知ってじゃなくっちゃって思った。図面が立体的に見えるようになってきたのは20歳か21歳ごろだったかな。建築の世界はALL図面でしっかりとプラモデルのようになっているかと言えばそうじゃない。創意工夫のワンオフなアイデアがなければ照明器具なんて取り付けることは出来ない。空調もあるし・スプリンクラーもあるし、色々な干渉を見えないところでクリアしている。そしてまたライトアップというか・・・照明の担当になる仕事が来た。長岡のあの奇跡的に助かった子供が搬送された病院だ。実はこの病院・・・記憶だけでいうと250種類くらいの照明器具を使っている。ラブホテル真っ青(爆)夜の外観をみても高層ラブホに見えるくらいだ(謎)この膨大な種類の照明器具を管理しつつ現場の図面・施工管理を任された。その時の上司がコンピューターが使えるやつが欲しいということで僕が赴任することになったんだが、入社日当日に布団もって新潟飛んだよ(笑)ほんとに目が廻るくらいの多種メーカー照明器具を扱ったので、大変だったけど面白い。そして建築から渡される図面を基本に現場にあわせて照明の配置をするんだけど、自分なりにかなりこだわりを持って出来た。照度が足りないとか影が出来る部分等全て訂正していきながら・・・初めて経験する防塵仕様・防爆仕様の器具とか、手術室用の照明・エントランスの特注照明、特注案件はすっごいワクワクした。もちろんシッパイもたくさんした(笑)アイヤー(><ってのもあった。インチキもやった(キャー(笑)特に頑張ったのは間接照明といって天上の反射を利用する照明なんだけどムラがでやすくて結構な難易度なんだけど、上司はなんの文句も言わずに一任してくれたのですっごくやりやすかった。でも全体的に照度アップを図ったんだけど、体感的には暗かったな・・・。(笑)かなりムーディーな病院になったんだが、いまはどうだろうかなぁ・・・。でも少なからずともグラバー邸の経験がなければ出来なかったと思う。まぁ正規の部隊ではなく応援で入ったために1年の任期で長岡を離れてしまったが、ラリーで知合ったメンバーも楽しかったし、暖冬でそんなに雪にやられなかったし、すごく思い出に残る場所だ。もう今はIT屋なのでライトアップすることはないが、デザインの仕事・建築の仕事をしておけば良かったと思う事がユウイツの心残りだった・・・が、いまはする気はない(笑)今度救急車を呼ぶときは長岡を指定してみよう(マテ---追加:長崎の夜景