すっかり都心の人間だって事を忘れて山でかれこれ1週間生活している。夜な夜な雪道のドライブに出かけては、昼間は雪かきなんぞをしている。このまま春まで帰りたくないってのが本音だがそうもいかないので明日には下山(?)する予定だ。雪は各地で大荒れ状況と同じくこちらでもすごい。場所によっては雪壁が3m位になっている。国道だろうが県道だろうがどこでもスノボが出来るんじゃないかと思うくらいだ(笑)
そんな中、宿泊先住人とラリーの昔話をしていた所、PD誌をだしてきてくれた。そこで思わずびっくらする事に。なんと、昔の自分に会ってしまったのである(笑)
これにはぶったまげた(笑)1995年のナビゲーターとして2回目のラリーで私が本格的にモータースポーツの世界に入るキッカケとなったラリーでもある。この当時の師匠にラリーのイロハを教わり今があるようなもんだ。まったく余計な事をした師匠である(笑)今があるのもこの師匠のおかげ。感謝である。このラリーは当時大人気のイベントでもある関東戦でMSCCのラリーで丸和のダートでSSをやった後、H峠でハイアベとSSを行う3ステージだった。わたしの記念すべき1回目のラリーも実はMSCC主催の東京フレッシュマンラリーというのに友達がドライバーでナビゲータとして私が乗りデビューしたのだが、ちょうどエボ3がデビューしたてて、師匠のエボ3を借りてのデビューだった。何故に師匠の隣に乗っているのかは偶々師匠の奥さんが仕事の関係で出られずピンチヒッター&経験をつませてくれた。正直2度目で中級イベント(それでもレベルは高かったと記憶している)に出てナビの勉強だって曖昧でまだよくわかっていないのに、シリーズタイトルを狙っている隣に乗り込むんだから必死に勉強だけはした(笑)今でもよく出来たなと思う時がある(笑)チェックインハイアベなんてドキドキもんだ。それに輪をかけてドキドキだったのは師匠のスピード。恐怖の連続だった。
しかし二十歳でラリーにデビューしていたのは自分でも驚きだった(笑)そのまま続けていれば今頃はもっと速いドライバーになっていたんだろうなぁ(笑)