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タブーなんて・・・なさけないが人生で何度もやっていることだ。
子供の頃には理解出来なかった大人の事情。大人の言い訳。
救われる心とその対価として生まれる罪。
ボクはそれでも完璧じゃなくても等価となる未来を考えた。
でもそれはずっと綱渡りの今を生きていた。
ボクは幸せになっちゃいけない。
苦しみと悲しみを与えたボクの対価(懺悔)だ。
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なんだか・・・なんかのアドベンチャーゲームのシナリオみたいに感じるな。
そんなゲームの主人公は大抵ヘタレとか言われる。
ゲームならば、トルゥーエンドやグッドエンド、バッドエンドと選択して向えれば良い。
しかし現実の自分には生きている限り常に選択肢があり、その選択肢は時にはどちらを選んでもバッドとなる事もある。正しいかどうかは先に進まなければ解らなかったり、間違いだとわかっていて進まなければならない時もあれば、時間が必要な結論や、心の状態で思いもよらぬ選択肢を選んでしまっている場合もある。
やり直しなんて出来ない。そこで踏みとどまっても黙っていても次々と選択肢に迫られる。
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本当に対価で考えていたのだろうか・・・。等価ってなんだろう。
これは自分で勝手に考えた我儘じゃないか?
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未来がどうなるかわからなくても・・・今を選ぶ時もあるというのは言い訳だろうか。
俺が望む未来・君が望む未来は、二人の中では正しいのか間違なのか。
どちらが先だったかは関係ない。
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爪を剥がされる痛み・・・は知らないが、きっとそんな感じなんだろうか。
引き裂かれる痛み以上に失うことが怖くて・・・拷問に耐えた。
孤独じゃないと思いたくて・・・色々なところにしがみつき・・・痛みをごまかしてきた。
これは拷問?いや違う?
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現実に怯えていたかというと・・・そうではなかった。
現実に叩きつけられた日にでた本音。
迷いは無かった。
覚悟は出来ていた・・・自分の世界での未来だけは。
怯えていた・・・ボクという存在・・・ボクという未熟。
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それでも君はボクを甘えさせてくれるのか。
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それでも君はボクを許してくれるのか。
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それでも君はボクを認めてくれるのか。
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