エイプリルフールの過ぎた今日。お嫁に行くって・・・ちょっ・・・ということで引っかかった人おめでとう(笑)タイトルはちょっと引っ掛けです。今回はラリーなお話。
私がラリーに復帰してから2年。もうランサーは車検なんですよ。早く感じることもあり遅くも感じる今日この頃。
ラリーへの復帰の再出発として選んだショップ、そして過去のラリークラブの方々との再会。ラリーは色々なドラマをラリーだけでなくラリーを通じて与えてくれます。砂利系モータースポーツをもりあげようと「ラリーるれろ」のサイトを構築してみたり、JAFのクラブを作ってみたり。仕事以上に忙しい週末を過ごす事も多く、栄養ドリンクは必須だわ、眠いわ、おっかないわ、色々ありました。
一般的にラリーという競技は広まっておらず、モータースポーツの中でもかなりマイナーな部類で、今もラリー業界はそこいらへんのジレンマと格闘中です。
そんな中でおきたエイプリルフールに言って欲しかった事件といえば、プレイドライブ(ラリー・ダートラ・ジムカーナ専門誌)の廃刊という通知です。元々のターゲットが限られている為、中々一般的ラリーファンにも目が届く事のない、コアな内容が書かれた月刊専門誌であり、全国のモータースポーツの情報をしるユウイツのメディアでした。
この情報を失うことによるこの業界の影響度は正直わかりません。
ただ、ここ最近、紙面内容がよくなってきていて業界的にも今が丁度分岐点の踏ん張り所でもあったので非常に残念な話でした。
雑誌があってもそうですが、このモータースポーツの世界は入門という入口がわかりにくい世界で、入口のドアを叩いたら今度はレギュレーションという壁に苦しめられてさすがにお手軽度というとお手軽ではない業界です。私もそうですが経済的財政圧迫にもなりかねません。安全に楽しく参加するには、そのまま売っている車では危ないんですね。これが。
それでもラリーは、国際格式のWRCや三菱・スバル等のおかげで認知度は昔よりも上がっては来ています。未だにパリダカと一緒にされたりもしますが、それでもいいんです。
ラリーというモータースポーツはユウイツ公道・林道・という普通の方々が使う生活道路等で行われる車の競技で、車もぱっとみは皆様と同じような車を使っています。所がその存在を知られてこなかったのです。それは今までの文化・道交法・色々な条件・不条理等が重なってそうなってしまった経緯もありますが、それにしてもF1と比べたら知名度の差がありすぎですよね。F1マシンを見たこと無い人だってF1を知っているのに、目の前で走っている車はラリーの車なんですよっといってもピンと来ないわけです。
私がラリーに復活する時に考えたのは、今後も自分がラリーをしていきたい、でも今何が出来るかな、どういった貢献が出来るかなというのを考えていました。
まず手始めにしたことは「ラリーるれろ」な訳ですが、想像以上に大変(汗)、立ち上げ当初より継続困難は出てくるだろうというのも見えていたので、更新が止まっても使ってもらえるサイトというコンセプトではじめました。
その次に考えたのはカラーリングです(ここでやっと当初の本題に近づく)。
昔はスポンサーも取れないのにカラーリングしても仕方がないなとか思っていました。今は、あからさまに何かモータースポーツをやっている車だぞというオーラがバリバリでています。これによって身近にも、こんな人がいるんだというのを見てもらってほんのちょっとでも興味を持って欲しい。カッコイイでもなんでもいいんです。小さい子供が見ると「カッコエエー」って言ってくれます。こんな子供達が将来車を運転するようになってやってみたいなんて思ってくれたら僕の狙いはオーケーです。観に行くとかでも良いんです。自分が競争する楽しみも一つですが、観てもらうのも大事だと思っています。
でもカラーリングって、そんなに簡単には出来ないもので、そのショップの看板(広告塔)にもなるので、はずかしい成績はとりずらいし、へたっぴもよくないし、そんなに簡単に許可が下りるようなもんでもないんです。またそれ以外にも上手でも信頼がなければ許可はおりませんし、看板しょったまま迷惑走行なんかしでかしたら色々な迷惑がかかるので、最初は勇気が要りました。
実績のない私がカラーリングをしたいと言った時に快くOKしてもらえて、お金は掛かりましたが、このカラーリングのおかげで顔は覚えてもらえなくても車は覚えてもらえるとか色々な効果を生み出していきました。下手だったので最初は恥ずかしかったですが、それでもラリーが好きという気持ちがあるので馬鹿にされる事もありませんでしたし、逆にこうする事で自分のモチベーションも高くなった気がします。
そしてちょっと本題(?)へ・・・
今回の写真のインプレッサはショップのもので私のエボのカラーリングの元祖。
私のエボは実はレプリカカラーリングなのです。実際に実績が低かったのでこの当時では側面のロゴはちょっと変更しています。
しかし、このカラーリングパターンはちょっとお金が掛かるのと、白ベース車両でないと再現しにくいことから、このデザインはこの2台しかありません。でもこの度インプレッサはお嫁に行ってしまい、どこか遠く知らない林道を走ることになるので、お別れ記念で撮影しました。嫁ぎ先でも元気に走ってもらいたいです。
私の車は最初は全然違うカラーリングを予定していたんですけどね。でもこのカラーリングで完成を見たとき、色々な気持ちが湧いてきました。そんな事を思い返して、まだエボはお嫁にだせないなって思って今月車検を取る気になりました(財政難なだけとも?(笑))。まだまだエボ五郎君には頑張ってもらわないとっ。
今は目の負傷により満足にドライビング出来ませんが、雑誌の件もネットの件もあるし、まだまだ何かしらで存在はアピールしていくぞ・・・メイっぱいがんばるぞ・・・とおもう今日でした。