めりーくりすます。今日はそういう日らしい。
今月は不思議だ・・・どうしてこんなに強く繋がりを感じるのだろう。
私の人生はどこかしらで湾曲していてその都度色々な波の影響で過去を置いてこなければならない事がよくあった。置いて行く必要はなかったんだけど・・・その時の余裕が足りずに自然とそうなってしまう。
窮地に陥ると必要最小限に絞り込んでひたすらに耐える・・・だから要らないわけではなく、受け入れられなくなっていた・・・だけなんだけどね・・・。波乱が起きる度に失ったりしていた。
それは私だけではなく、その相手や廻りも同じで、その時々で私は繋がりから離れてしまう・・・これも正確には離れていたり切れていたりするもんじゃないんだろうね。そう感じる事すらできない状況下に陥っているだけで。
距離があったり圏外だったりするかもしれないが、忘れている訳でも無い事は心のどこかしらで見えない繋がりをもっているのかな・・・と思う。
以前もブログで紹介した事があるアニメ「プラネテス」という宇宙を舞台にしたアニメがあるのだが、最後は、人との繋がりを宇宙と表現していて、皆どこかで繋がっているんだと表現していた。
実はこのブログを始めたキッカケの一つに「自分を見つけて欲しい」という気持ちがあった。
私は多くの友と巡り会ったのに、自分の器の小ささのおかげで沢山の友から私は遭難してしまった・・・。その失ったのは相互通信するための情報。
今ってかなり携帯やメールというネット文化で、これはこれで問題になっていると思う。携帯を失うと連絡が途絶えてしまう遭難者・・・まさにボクの事だった。ボクは自分から安全帯を切って宇宙の中に漂流してしまったんだ。
その昔はしっかりアドレス管理をして年賀状を書いていたが、財布の中身の寂しさから生活経費を真っ先に削っていく部分が、ささいな部分・・・・年賀状とか・・・引越し連絡とか・・・ほんとに些細な部分だ。その後は年賀なんて世の中の行事に巻かれたくないとかそんな理由で全く書かなくなっていたり。それこそメールやグリーティングで済ます事がおおくなり、バーチャル化が進んでいた。
んでも今も昔もボクはあまり変わっちゃいない。やっぱり携帯に頼っているし。昔と違うのはPCにバックアップを取っている事位か。あいかわらずのバーチャル人間。
でも、この救難信号(ブログ)は確実に効果があったようで、mixiの効果も強いが、小学校・中学校の同級生・・・昔の彼女・・・色々な人にボクという存在を探し出してもらってきた。これは、バーチャルなネットだから逆に可能だったことで、インターネットがなければこんな事はあり得なかっただろう。
私はある意味大事な20代の頃にかなり飛び回って住所不定な存在をしてきただけあって、よっぽどボクという存在を意識して探してくれない限りは・・・この広大な宇宙で探し当てるのは難しいと思う。
必要とされている・・・という意味とは違うが、その人にとっての”はん太”の存在を意識してもらって探してもらえるなんて、こんなに嬉しい話はない。
偶然でもその発見の為には”はん太”という記憶が不可欠だ。
小学校や幼稚園のクラスメイトを全員思い出せるだろうか。さすがに過去すぎて無理だろうけど覚えている人は覚えていると思うんだよね。その何歳の時にだれが親友だったとか悪友だったとか。無関心な相手ではないかぎり何かしら刻まれている。目立たない人は確かに記憶に残らない。顔は浮かぶけど名前が思い出せないとかはあっても記憶はあるとかね。
私も・・・自分で言うのはおこがましかもしれないが・・・誰かに突っ込みをくらう覚悟でいうと、学生時代は大人しくて目立たない子だったのでその時の友達や周囲でボクを覚えている人は少ないと思う。またなんでかしらないが、こんだけネット社会になっているのにmixiに同窓生が少ないんだよね・・・なんでだろう。ま・・・それはおいといて、その目立たない自分が人の記憶に生き残れているのが不思議でならない。いあ・・・たしかに社会にでてからは結構キャラクターは変わったかも知れないが、それでも付き合う人を選ぶし。
でもこの最近だけで、ああ俺の過去に中身がちゃんとあるんだなって感じたのが、ここ最近の再会フィーバー。
ラリーの世界へ引き込んで、何故か俺だけラリーに残っていたりとか・・・チューニングショップに勤めていた時代のメカニックとの再会。これもなんだかんだで9年ぶりぐらい?!
新潟は長岡で電気の仕事をしていた時代の同僚(会社は違うが)もmixiで会えたし。
そして極めつけが・・・私が初の社会人となった会社の同期。社会人なんだけど1年目は寮付きの研修所というなの学校に1年間通う事になる。その学校の内容は軍隊的。連帯行動や規律・時間・体育会系の上下関係・・・そんなきびすぃ~世界で苦楽と釜の飯をともにしてきた仲間。修学研修でアメリカ西海岸にまでいっちゃう位・・・変な事をしていた会社。ベットは寝返りできない狭さだし、朝起きて10分後に点呼で寒い中ラジオ体操したらマラソン3kmだったか5kmだったか。んで掃除して朝飯・・・。門限もあって自由な時間はわずかしかない。そして未成年時代(笑)タバコを吸うのも命懸け。そんな時代の友からコメントが(つい昨日)。まだその会社にいるっていうから嬉しいね。俺はとっとと逃げた人なんではづかしい限りだけど、俺は会社との条件が合わずに辞めただけで、仕事とか会社が嫌だった訳ではないのだ。なので現職についた当初はよく自分で電気工事をしていた・・・あ・・・今もかも・・・(あまり大きな声では言えない)。あの当時・・・たった1年だったけど、3クラスぐらいあって、一番凸凹な面子が集まっているクラスで尚且つ女性が大量導入された年でもあったので、自分のクラスだけが共学状態(他クラスは男子のみ)。勉強は嫌いだったけどキツイ生活習慣には1ヶ月もすると慣れるもんで、結局楽しい記憶しか残っていない。
全国から寄せ集められた社員なだけあって1年の研修が終わるとみんな離れ離れになっちまう。それでもこのたった1年の関西生活は俺の人生でよい影響をうけているのか、度々カムバック(出張)もあったし色々と縁が続いている。出張する度に、この監獄学園時代を思い出しながらまた連絡取れないかなぁ・・・と思っていたのだ。
いつもは、もう俺の事は存在が薄くて忘れられているだろうって思っていた。それでもおぼろげでも覚えている人がいればうれしーなーぐらいにね。面識がなくてもあー知っているなーこの人・・・というのも嬉しいよね。んでも連絡とりたかった人から連絡が来るのはバリ半端なく嬉しいね!
今は生まれ育った地域から少し外れに住んでいるが準地元エリア。地元に住んでいた時でも、たぶんきっと知っている人とすれ違っていたのかも知れない。でもわかんないよねぇ・・・。ある時、中国からエアメールが届いた。中3のときのクラスメイトの二人だった・・・しかし住所がかかれてないねん(笑)連絡とろうにもとれないオチもあったり・・・。今の場所に住んでから中学の同期に発見されたのは実は車がキッカケだったが・・・いまのところ一人だけか・・・。派手な車なんだけどね・・・(苦笑)。
まだまだボクは探している人がいるし探して欲しいと思っているので、がんばってブログや活動を継続していきたいと思う。そして繋がりを大事にして、郵政政策がどうこうではなくて・・・これからは年賀状やらアドレス管理をしっかりやって何かしらの宇宙(繋がり)を感じていきたいなと思う。
まだまだ音信不通だけど会いたい人沢山要るんだ。謝りたい人もいるし。でも不景気もあって皆大変だろうしね。ながーい目でいつか会えたら良いな・・・ぐらいで・・・。
とりあえずプチ同窓会でもいいから大阪にいこうかな・・・無理やり仕事でもつくるかな(笑)。
こんな年になってやっとこ気が付くんだからねぇ・・・やっぱりまだまだボクはおこちゃまなんかもな・・・。
ちょっと興奮気味で、書きなぐりな日記になっちゃったけど(いつもか)・・・。
そしてボクの近状はブログでチェック宜しく!(きまぐれ更新だけど・・・)。