ツインリンクもてぎは栃木県に位置し、ホンダによって1997年に建設された。ホンダはインディカーやナスカーのようなアメリカンレースの開催を望み、それらのレースを行うことができるオーバルコースを建設することを決めた。2.4kmのオーバルコースで1998年から2011年の間インディカーのレースが行われた。
2017年はツインリンクもてぎで19回目のGPになる。コースは4,801mの全長と14のコーナーからなる(右回りが8、左回りが6)。もてぎでは1999年に初めて日本GPが開催された。東雅雄が125cc、中野真矢が250cc、ケニー・ロバーツJrが500ccの初めての優勝を飾った。2000年から2003年の間は「パシフィックGP」として行われた。日本GPは鈴鹿サーキットで行われた。2004年より先はもてぎで日本GPが行われている。サーキット内には「ホンダ・コレクションホール」があり、日本の歴史上貴重な車やバイクが展示されている。
もてぎは最もブレーキングを要求されるコースであり、ラップ毎に33%、レースが終わると13分のブレーキング時間を要することになる。ブレーキシステムは通常320mmのディスクを使用するが、340mmのディスクを使用する。このルールが適用される唯一のコースである。
またツインリンクもてぎは、1速ギアを最も使用するコースで、ラップ毎に3回使用する。さらにギアチェンジも最も多いコースである(30回)。
この時期の雨の可能性はないとは言えない。2007年と2015年のレースはウェットコンディションで行われ、2013年金曜日のフリー走行と土曜日の第一走行は霧でキャンセルになった。
ダニ・ペドロサがもてぎで最も成功しているライダーで通算5勝(モトGPで3勝、250ccで1勝、125ccで1勝)、ホルヘ・ロレンソとロリス・カピロッシが続いて3勝を挙げている。マルク・マルケスとダニ・ペドロサの二人だけは、もてぎで各クラスにて優勝している。
歴史上日本GPは鈴鹿で行われてきたが、1967年、1968年は富士スピードウェイで行われた。
ホンダは8勝で、もてぎで最も優勝しているコンストラクターになり、続いてヤマハとドゥカティがそれぞれ3勝している。
もてぎは何度かチャンピオンが決定するシーンがあった。最近では去年のマルク・マルケスで、優勝して年間チャンピオンを達成した。それ以前には2007年のケーシー・ストーナー、2008年のバレンティーノ・ロッシ、2014年のマルク・マルケスがもてぎでチャンピオンを決めた。
2006年以来日本人ライダーの勝利はない。最後は2006年に青山博一が250ccで優勝している。最高峰クラスでは2004年の玉田誠が最後になる。
サーキットが建設される前は森に囲まれた場所だった。デザイナーはツインリンクの近くの那珂川の水路と植物を守りながら、可能な限り環境を損なわないようにした。わずか14,000人の住民の村に位置しているが、ツインリンクもてぎは10万人収容できる。ツインリンクもてぎがある関東地方は7都県で構成されているが、4,200万人が住み、これは日本の人口の3分の1。スペインの人口の90%にあたる。