今週のブログ担当は
G.Sekidoです。
私の
前回のブログは、 イタリア・コモ湖畔の"Concorso d’Eleganza Villa d’Este"(コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステ)での「伏線回収」について書きました。
その会場でサプライズ発表された"BMW Concept Touring Coupe"は、
事前の告知ポスターに描かれた名車”328 Touring Coupe"の名前と「独伊合作という成り立ち」を引き継いでいる、という推察でした。
そして、ブログの最後にちらっと載せた
このM1が果たした、壮大な伏線回収?が今回のお話です。
この美しいM1は、コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステの会場の脇に停められていて、関係者の熱い視線を浴びていました。
この車の最初の持ち主は、BMW Motorsport社(現BMW M社)の創設者(初代CEO)である、
ヨッヘン・ニアパッシュ氏だったことが知られています。
(隣に写っているレーシングドライバーは、
M1 Procar Championshipの初年度チャンピオンでもある「不死鳥」
ニキ・ラウダ氏ですね)
ニアパッシュ氏は、昨年のコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステの会場でも元気な姿を見せていました。
BMW M社およびM1の父とも言える存在です。
ニアパッシュ氏が1980年にBMWを去る際に自分への贈り物として購入したこの車は、グレーの外装にブラウンのレザーと布の内装という独特の仕様が施されています。
オーセンティックでいて新しさも感じる、時代を超越した魅力的なカラーリングだと思います!
(ちなみにM1の総生産台数477台のうち、
出荷時にグレーに塗られたのはわずか4台、ブラウン内装はこの車のみだったようです)
ニアパッシュ氏はこの車を自家用車として使用し、
インターナショナル マネジメント グループに着任するにあたって手放しました。(そして後に「それは私の人生における間違いの一つでした」と述べています。)
この車はその後、
BMW M1 CLUBの共同創設者であるラインハルト・クライスラー氏が1990年に走行距離約24,000kmで購入し、
著名な職人による再塗装を施しました。
(余談ですが、ニアパッシュ氏は2020年に
BMW M1 CLUBの名誉会員になっています)
そしてクライスラー氏は2013 年に、物流会社を営むデトレフ・ヒブナー(
Detlef Hübner)氏に売却しました。
元レーシングドライバーであり、有名なカーコレクターでもあるヒブナー氏は、2013年のコンコルソ デレガンツァ ヴィラ デステにこの車を出展しました。
そこで
「最も保存状態の良い戦後車」という評価であるトロフェオ ASI を受賞しました。
(ちなみにこの写真のナンバープレートの文字 "F 01000H"の最初の文字"F"は、フランクフルト市を表します。)
コンクールでの成功を受けて、この車は一旦クライスラー氏に売り戻された後、
国境を越えて新しいオーナーの手に渡りました。
なんと、中国のマルチブランド自動車ディーラーである正通が2016 年末に北京にオープンした私設博物館、
Zhengtong BMW Museum(正通BMW博物馆)の豪華なコレクションに加わったのです!
4階建て・展示面積3600㎡の
大きく斬新な建築物です。
「赤い門」のような装飾には、中国らしさも感じます。
その後、それらの見事なコレクションは
2022年11月にRMサザビーズのオークションに出品されることになりました。
(博物館のオープンからわずか6年後にコレクションを手放すことになった背景はよく分かりませんが、中国の自動車産業が発展するにつれて、
外国車を尊重することに対して政府からの風当たりが強くなったのではないかと推測します)
RMサザビーズは同社初のミュンヘンでのオークションを、複合施設
MOTORWORLD MÜNCHEN にて催します。
その結果、32台のうち19台に「最低落札価格の2倍以上」という高値が付きました!
ウクライナ情勢やコロナ禍などの逆風も吹く中で、
ミュンヘンは偉大な作品の里帰りを大歓迎した形です。
そして
ニアパッシュ氏が所有したグレーのM1は、792,500ユーロ(当時のレートで約1億1500万円!)という高値で落札されました!
(なおコレクション中の最高額は、
1958 BMW 507 Roadster Series II の1,917,500ユーロ・約2.8億円!でした)
ちなみに、故ポール・ウォーカー氏が所有した
1980 BMW M1 AHG Studieがほぼ同時期にアメリカでオークションに出品されてその落札価格は
648,500USD(約8900万円)でした。
※ 同車は2021年2月にも出品されており、その時の落札価格は
500,000USDでした。
ニアパッシュ氏のM1の評価はそれらを上回ります!
M1の過去のオークション落札価格と比べても、史上最高値だと推測されます。
状態の素晴らしさや渋いカラーリングに加え、ニアパッシュ氏にまつわるストーリーも評価されたのかもしれません。
そしてそのニュースの後、ニアパッシュ氏のM1がどうなったかについての情報は見かけなかったのですが・・・
今年5月に、グレーのM1がコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステの会場に停まっている姿が、多くの人の注目を浴びることになりました。
(同コンクールでの輝かしい受賞歴があるためか、今年のコンペティションの
参加リストには入っていないようです)
そして、
ナンバープレートの"M C 805H"には、ミュンヘン市を表す"M”が入っています!
個人的には、
国境をまたにかけた伏線が回収されたようにも思えます。
さらによく見ると、ナンバープレートのフレームの下辺には、小さな文字で"
MINT CLASSICS"と書かれているようです。
ミュンヘンのルドルフ・ディーゼル通り (!) にあるクラシックカー専門店
Mint Classics のホームページには、グレーのM1が
売買事例として掲載されていました。
この写真の車両は
2016年に入荷したようなのでニアパッシュ氏のM1とは異なりますが、BMWの超希少なスポーツカーを得意としているようです。
(
俳優アラン・ドロン氏が所有した507も売買事例として載っています)
RMサザビーズのオークションでは、ニアパッシュ氏のM1はこのお店が落札したのではないでしょうか..?
または他者が落札し、
M1のレストアの実績がある(BMW Group Classicとも協力関係にある?)このお店に整備・登録を依頼したのかもしれません。
今年5月のヴィラデステには、このお店が
商品車のPRのために持ち込んだのか、新しいオーナー(Mナンバーということはミュンヘン市民か、BMW本社??)がお披露目のために乗り付けたのかは分かりませんが...。
この歴史的な名車が43年に渡る紆余曲折の末にミュンヘンナンバーを付けた事や、10年ぶりにヴィラデステの会場の土を踏んだことは、感慨深いです。
個人的には、ぜひBMW自身に買い戻してもらって、いつの日かミュンヘンの
BMW MUSEUMに展示して欲しいと思っています!
以上、2回に分けて「BMWのイタリアでの伏線回収?」をお届けしました。
長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました!