今週のブログ担当は
G.Sekidoです。
少し前のブログ【
時代を貫くBMWの魅力 】では、入念な仕上げが施された02シリーズ(1600-2)についてご紹介致しました。
その車に備えられている
4冊の書類に目を通してみたところ、とても興味深い経緯が分かったのでご紹介致します!
"ΒΙΒΛΙΑΡΙΟN ΜΕΤΑΒΟΛΩΝ"(名義変更の記録)
※Googleによる翻訳画像も並べます。以下も同様です。
まずこの車は、ギリシャ語で書かれたこの車検証のような冊子によると、ドイツで製造されてギリシャに渡り、1970年に新車登録されたようです。
その販売・登録を行ったアテネの
BIOTA社は、ギリシャにおける正規輸入業者(インポーター)でもあったようです。
またこの冊子は、初度登録に関する情報に加えて、ギリシャにおける歴代の所有者を
連続して記入していく権利書類のようなページもあります。(個人情報保護という考えが浸透していない時代ならではだと思います)
”Service”(点検簿)
(表紙には、最初のオーナーの名前と電話番号が書き込まれています)
点検項目の解説と共に、6,000km毎の点検を推奨・記録しています。
整備日や走行距離の記入に加え、整備した工場のゴム印が押されています。
また6,000km毎のステッカーも綴じられており、切り離してドアの開口部に貼るように指示されています。
新車時から60,000kmまでは上記のギリシャのBIOTA社で点検を受けていますが、
66,000kmの欄には、以下のゴム印が押されています。
"BAYERISCHE MOTOREN WERKE(BMW)
Aktiengesellschaft(株式会社)
Werksreparatur(修理工場)
8 München 40,riesenfeldstraße 7(8 ミュンヘン 40,リーゼンフェルト通り 7)"
つまり、なんとドイツ・ミュンヘンのBMW本社で点検を受けているようです!
その地番
リーゼンフェルト通り 7 は、現在のBMW本社の脇にあたります。
ここに整備入庫することになった理由は不明ですが、それに至った流れは次の書類からも伺えます。
“Service-Station Europa”
ヨーロッパ全域(ただし当時の共産主義国は除きます)を網羅した、整備拠点マップです。
32の国と地域にまたがる数百もの拠点の住所と電話番号が記されています。
(上記のギリシャのBIOTA社も載っています。)
そしてミュンヘンの地図ページのリーゼンフェルト通り 7のBMWマークを、赤鉛筆で囲ってあります。
ここを目指して
ギリシャから2000km程の陸路を自走したのではないかと推測します。
整備拠点の住所と電話番号を記したページでも、BMW本社の欄に、赤色で下線が引いてあります。
そしてそのページには、
"SPECIALIZING IN GREEK CUISINE(ギリシャ料理専門店)
NERAIDA (小さな妖精 / ギリシャの閑静な観光地名)
129 DANFORTH AVENUE (ダンフォース通り129)"
と書かれた名刺サイズのカードが挟まれていました。
カナダのトロントのダンフォース通り129にあるギリシャ料理店のカードのようです。
店主の名前と共に、"NIGHTLY ENTERTAINMENT (BOUZOUKI)" (ギリシャ楽器
ブズーキの毎晩の生演奏)とも書かれています。
※ ただしその住所では、現在はギリシャ料理店は営業していないようです
ギリシャ(アテネ)と西ドイツ(ミュンヘン)とカナダ(トロント)を股にかけた人と車の物語は、どんなストーリーだったのでしょうか。
そしてその物語は、舞台を日本に移し、今も続いています...!
“Betriebsanleitung”(取扱説明書)
「
マルニ」シリーズ共通の取説です。
部分的にカラー印刷やウイットに富んだ写真もあり、とても濃い内容です。
整備解説書的な内容も含んでおり、日常点検・整備が重要な時代であったことが伺えます。
この冊子の濃厚な内容については、またいつか改めてご紹介しようと思います。
この車が製造された1970年は今から半世紀以上前になりますが、その頃からBMWが国の壁を越えて活躍し愛用されていたことが、これらの書類からも垣間見えて嬉しかったです♪
そしてこの車は、この先も駆け抜け続けてくれると思います!