過去の愛車・その2 ~ ユーノスロードスターについで、その3 ~ ホンダビート編です。
ビートは会社の同僚2人と私の3人での共同所有でした。
私を含むクルマ好き3人はその頃会社の独身寮で一緒でして、よくクルマの話をしたり、日曜早朝の箱根に行ってました。
私は、その頃はまだ前述のNAロードスターを所有、あとの2人のクルマは、初代インプレッサWRXとデルタインテグラーレ・コレッツィオーネ(!)
ある日、昼食に行ったびっくりドンキー(だったかどうかは定かでないですが)で、誰からともなく、面白そうなんで一緒にクルマのレースをやってみないか・・ って話になりました。 とはいえ、そんなにお金はありませんので、出れるレースは自ずと限られてきます。
当時盛り上がってた(フィアット)パンダカップも候補に挙がりましたが、イタ車故それでもお金がかかりそうだしなぁ・・って迷ってると、軽自動車の耐久レースが開催されてるとの事。 しかも、長いものは予選も含めて6時間! 3人で参戦してもたっぷり走れる。。 これだ!って感じで決まりました。
次はクルマの選定、レースの規定は草レース故非常にゆるーく、軽自動車ならなんでもOKです。 ライセンス等も全く必要なし。 オープンカーはロールバーが義務化されてるだけです。
ターボ車は早いですが、お金が掛かりそうでNA、どうせならFFよりミッドシップが楽しいんじゃあない って事でホンダビートになりました。
早速近所のホンダオートテラスに行くと、程度極上(と当時は思ってた)の赤のビートが。。 すっかり盛り上がってる3人ですので、その場でコミコミ80万円程(だったかな)で91年式の赤いビートを購入しました。
以下ホンダビートのカタログから。 見るからに楽しさが伝わってくるカタログですね。
その後、レース参加の為、ロールバー、バケットシートを取り付け。 ブレーキ、サス交換、オイル交換等自分達で出来る作業は寮の駐車場でやってました。
レースは主に、福島のメーハイランド、新潟の日本海間瀬サーキットにて開催されてたものに参戦してました。
間瀬サーキットの耐久レースは予選2時間、本選4時間(予選落ちは無し)の長丁場で走りごたえがありました。
国際サーキットの仙台ハイランドにも遠征しました。
とはいえ、お金が無いので、2-300キロ離れたサーキットまでサスガチガチ+セミスリックタイヤのビートで自走(+1台のサポートカー)、宿泊はキャンプor健康ランドの仮眠室で。。 翌日朝から6時間走った後に再度自走して東京まで戻り、翌朝会社に出勤なんてことをやってました。 若かったですねぇ。。。
写真は、福島メーハイランドのものです。 新潟間瀬サーキットのレースのほうが本格的で、ターボ、NA併せて参加車両は多い時で30台ぐらいだったのではないかと思います。 ビート以外に、カプチーノ、アルトワークス、ミラターボ、ミニカダンガン といったあたりの車両が多かったです。
この赤いビートがうちらのクルマです。 チーム名は「おすぎとビート」 アナウンスされると恥ずかしい・・(笑)
あれれ、後ろで他のビートがスピンしてますね・・・
レース仕様ビートです。 ピニンファリーナがデザインしたなんてウワサもありますね。 ミニフェラーリに見えませんか(笑)
この軽レースの良いところは、ホントに気軽に楽しめるところと、軽ゆえお金がそれほどかからないところ(とはいえ、かかりますが・・)、絶対的なスピードがしれてるので、怖さを感じることが無く、ファンであるところです。
改造に関する規定が実質有りませんので(エンジンのボアアップをしなければなんでもOK)、結局はお金をかけたところが強いのですが、下位チームは下位チームで熱いバトルがあり、ホントに楽しかったです。
(一番早いバケモノカプチーノは、GTーRと同じぐらいのラップタイムで走るようですが・・)
レース活動は1998年~2000年の2年間程度。 最後はビート君がエンジンブローしてしまい、資金面でも辛くなってしまい、辞めてしまいましたが、とても良い思い出です。
最後にビートに関して。 これもユーノスロードスターと同じく名車だと思います。 ホンダもスポーツカーとは謳っておらず、スピードもNA故シレてますが、8,500回転まで回るエンジンや、回頭性の良さ、着座位置の低さは、気分を盛り上げてくれます。 何より、公道であれだけアクセルをベタ踏み出来るクルマはそうそう無いでしょう。 セカンドカーでもう一度所有してみたいです。
ホンダはビートの復活を明言したようですね。 初代同様、ファンなクルマを期待してます。
次回、その4 ~ ポルシェ911(964)編に続きます。